晴れた。
空気が澄んで、
西方の遠くの山々が切り絵のように暗紫色でくっきり見え、街路や公園の緑も鮮やかで、子どもの頃の田舎の景色、色彩を思い出したほどだった。
しかし、台風の進行方向では被害が拡大中で、犠牲者も刻刻増えていっていて、
空は晴れても気持ちは、どちらかといえば沈みがち。
その次の日は雨。
気温も急激に下がった。
気持ちは滅入(めい)るばかり、
なかなかすっきりした気分にはさせてもらえない。
背景には格差が広がる一方の日本社会の現実があるのかな?
格差社会は庶民を直撃する災害のむごさを増大させる。
天災に強いのは平等的な社会。
もっとはっきり言えば共産主義社会。(笑)
これははっきりしているだろう。
((災害vs人類ということに絞って)ちょっと考えてもらえば、理解していただけると思う)。
そして、今日も雨。
寒くて、あまりいいニュースもない。
ちょっといい話としては、
去年豪雨による災害を被(こうむ)った被災地から、自分たちの経験を生かした支援物資が被害地に送られて来た、
というものくらいかな?
こういう民衆同士の助け合い支えあいの話はホッとする。
(それにしても、去年本州西部、今年本州東部とは・・・。)
あと、きようの目だったニュースとしては・・・・・・
10月22日の「天皇即位の礼」は予定通りに行われるが、その祝賀パレードは3週間延期になった、とのこと。
パレードの延期はよかったけれど、
「えー?神無月(かんなづき)に即位の礼???神様がいない月に天皇の即位の礼なんてやっていいの?」
なんて思ってしまった。
wikiを見ると、それは俗説?みたいなことが書いてあったけど、そうかなあ?
昔からこの国では10月は日本中のすべての神様が出雲に集まるので、出雲以外は神様がいなくなると信じられていたんじゃなかったっけ?
わたしも10月は不調、不運なことが多いので、それを「神様がいない」ため、と思ってきたんだけど・・・(笑)
民衆が長く伝えてきた伝承をむげに否定するのもどうかと思うんだけどねえ・・・
あと、来年の東京五輪でのマラソン競技を北海道で行うようにIOC会長が提案、とか。
日本の関係者は「暑さを想定してやってきたのに(だから東京でいい)」などと勇ましいが、
最近の日本の(東京の)とんでもない暑さにうんざりしているものとしては、真夏に開かれる東京五輪など、ただただ恐ろしいものに思えるばかりだ。
それでもIOCが夏の開催にこだわったのは、古代オリンピックが夏に開催されていたからだろう。
それに関しては古代ローマの著述家・アイリアノスが書いた「ギリシア奇談集」(岩波文庫)に、
「立腹した主人が召使(めしつかい)に加えようとした罰(ばつ)」
として、こんな話が載っている。
『あるキオス人が召使に腹を立てて言うには、
「俺はおまえを粉ひき場などへはやらず、オリンピアに送ってやるぞ」
どうやらこの男(主人)は、オリュンピアで競技を見物しながら陽(ひ)に焼かれるほうが、粉ひき場へまわされて粉(こな)を挽(ひ)くより辛(つら)い罰だと思ったらしい。』
ちなみに、この「オリンピアに送ってやるぞ」というのは、競技者としてではなく、「観客として」という意味のよう。
(当然)冷房のなかった古代ギリシアでの真夏のオリンピア観戦は観客にとっても大変だった。
それにしても、真夏の東京・・・
考えたくない。
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あの、タオルにしがみついていたカメムシ。
実は台風が通り過ぎる最後の段階?でベランダ側にも強風と豪雨が吹きつけて、しっかりと留めていたタオルも吹き飛びそうになっていたので、ベランダに出て見てみると、さすがにカメムシはいなくなっていた。
そのままタオルを取り入れて、
「そりゃあ、吹っとばされるわなァ」
なんて考えつつ就寝。
翌日、ベランダに出て、
「どこに飛ばされていっただろうな」
なんて外を見ていたら、ヘンな予感。
ん?
と思ってベランダをよく見てみると、
いた!
エアコンの排水ホースにしがみついている。
しかし、さすがに弱っているらしく、
ホースを持ち上げるとポロリと落ちて仰向けになってもがいている。
直接つかむのはナニなんで、洗濯ばさみを差し出してやると、それにしがみついた。
「いやー、よく頑張ったねー。あの台風を生きのびたもんなー」
なんて言いつつ、洗濯ばさみをベランダの外に出してポイと一振り。
カメムシは植木の方向目指して?、
斜めにスーッとすべるように落ちていった。
なんだかヘンに数日間関わっていた?にもかかわらず、一度も臭気を発しなかった、いい奴でした。
それにしても、虫にすごく「個性」を感じるのはなぜなんだろう?