ついこのあいだまで「寒(さむ)~」なんて言っていたのに。
今年の春、「いい気候」を実感できたのは実質1ヶ月くらいかな?
春夏秋冬。四季ということにいちおうなっているわけだから、3ヶ月(=1年の4分の1)とは言わないまでも、2ヶ月くらいは「春」のいい気候でいてもらいたいもの。
昔はそうだったと思うんだけどねー?
春と秋が短くなって、夏の暑さと冬の寒さが長く厳しくなる。
これは、近年の人間社会に自然が「反応」しているのかも?
なんちゃって(笑)
でも、案外、そういうこともありそうな気がする今日この頃の気候と人間(日本)社会。
やっとアジサイの花が開きかけたばかりだというのに、エアコンを「除湿」or「冷房」にしてうちわを使っているという・・・。
それにしても、年を重ねるにつれ暑がりになってきたなァ。
子どもの頃は夏がいちばん好きな季節だったんだけど。(夏休みがあったからかも(笑))
暑くなる直前、数日前に、5月の「街角の花」を見ておこうと、文京区まで「遠足」?をしていたのはよかった。
もう出歩く気はしないものねえ。
左の2つの画像は、やや暑さを感じさせるタチアオイ。右の3つの画像は「卯の花」(うのはな)?。中側のふたつの花はたぶん(ウツギ=卯の花)、いちばん右側の画像は間違いなく「卯の花」(うのはな)(笑)(※①)
仕事やゼニカネのことを忘れてのんびり歩くと、東京もけっこう「見るところ」があって楽しい。
普段は人間性を喪失しているように見える東京の人々も、心の奥底には花を愛する気持ちがあるんだなあ、
と思えるほど?(笑)5月の東京の街角にはいろんな種類の花が溢(あふ)れている。
花屋さんの店先も賑(にぎ)やか
今は「ヒアルロン酸」くらいでしか注目されないニワトリの鶏冠(とさか)から花名をとった鶏頭(ケイトウ)も、最近では小さく可愛いものに変わってきているよう。
空き地の草花(雑草?)も東京で生きようと必死で?頑張っている。
右端なんて、まるで誰かが意図的に植えたかのように三種類の雑草が整然と並んでいる。
花ではないけど、途中にあった美しい庭の禅寺。人影は無し。江戸時代そのままのような風情・・・
いいなあ・・・
この日が今年最後の春、あるいは「初夏」だったのかな?
今年は初夏がなくて、いきなり「夏」という感じだものナァ。
菊坂あたりへ
蔦(つた)のからまる銭湯(この日はお休み)と、うれしくなってしまう建物の柱(笑)。
がんばりましょう\(^0^)/
菊坂では樋口一葉ゆかりの井戸を見たいと思っていたのだけど、見つけられず。残念。
後で調べると、路地の奥にあって、案内板も表示もない、とのこと。
樋口一葉が死んだ年に発表された「たけくらべ」は、伊勢物語の筒井筒(つついずつ=丸く囲った井戸)から着想を得ているそうなのだけど、
平安時代初期に書かれた伊勢物語では井筒で背比べをしていた幼馴染(おさななじみ)が成長して、やがて一緒になる(結婚する)という、いわば初恋が実る話になっているのが、
樋口一葉が書いた「たけくらべ」では、女の子が「遊女」になることを運命づけられていた、という、悲恋物語になる。
平安時代よりも明治時代のほうが人間にとって残酷な社会になっている、ということなんだろうなあ、
と、考えさせられてしまう。
伊勢物語は高校の「古典」教科書の定番で、わたしも学んだことがあるのだが、その内容はほとんど覚えてなく、ただ「文法」やらなにやら、テスト用のものとしての枝葉末節のことばかりが授業でやられていたように記憶している。
伊勢物語に限らず、古典はすべてそんな感じ。
まあ、日本の「古典」を「内容」中心のものにすれば、やたら「惚れたはれた?」の男女関係のものばかりなので、
内容に深く立ち入ることを避けて、そうなるのかもしれないが?(笑)
伊勢物語も、プレイボーイ(在原業平)の一代記のようなもんだし。
(筒井筒の段は在原業平は関係ない)
・・・・・最近、なんだか初恋にこだわっているなあ(笑)
これまで、過去は振り返らずのハードボイルド人生を送ってきたわたしなんだけど、トシをとると、やはり人並みに人生を振り返るようになってくる。
それではじめて、わたしはわたしの人生における初恋の影響の大きさに気づいた、というわけ。
単なる淡い思い出と思っていたものが・・・
そう、振り返ってみると、高校時代、大学時代を通じて、わたしはどんな女性にもほんとうの恋愛感情を抱くことができなかったようなのだ。
けっこう素晴らしい女性が回りにいたし、女性の「友人」や可愛がっていた後輩もいたし、(軽い?)おつき合いをした女性もいた。
しかし、どんな女性を見ても、初恋の彼女「以下」と思っていたようなのだ。
だから、どんな女性もでもわたしの心にぽっかり開いた穴を埋めることはできず、
お付き合いも深まることは無かった。
たぶん、わたしは周囲の女性たちからは、ずいぶんヘンな男と見られていただろうと思う。
わたしはなんともいえない「空しさ」に捕われていた。
(しかし、当時のわたしにはその原因がまったくわからなかった!)
わたしが一時過激な学生運動に走った(※②)のには、いろいろな動機があるのだけれど、まったく気がつかない潜在的かつ最大のものがそれだった!
と、やっとこのトシになって理解できた次第。
そして、この「後遺症」は30歳を過ぎるころまで続いていたようなのだ。
うーん、人生を振り返るというのはやはり大事なことなんだなあ
すべてのことに「原因」があり、その「結果」があるのだ、ということがよくわかってくる。
(複雑にからみあっているけれど・・・)
目的地の文京区立真砂図書館に到着。
ありゃー・・・・・・
以前来たときには、何本かの古い木があって、緑に囲まれていた公園が・・・
暑い日に日陰を提供してわたしを癒(いや)してくれたあの木は切られてしまった?
もしそうなら・・・
文京区いや東京、いや、日本社会は人間にも植物にもキビシイのだなあ、と改めてしみじみ・・・
図書館で本を読み、外に出ると日が暮れかかっていた。
図書館のある台地?から見る夕暮れの景色はちょっと絵画のよう。
初夏の終わり?
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※①
わたしら、それをふつうに「卯の花」と言っているんですけど、正確には「卯の花あえ」とのこと。
「卯の花」はこちら↓
調理前の「おから」。
その「白さ」がウツギの花=卯の花を思わせたので、「卯の花」と言われるようになったようです。
なるほど。。
※②