今日で5月も終わり。

梅雨入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

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(・・・ というところまで昨日は打ち込んで、眠くなってそのまま眠ってしまったので(-~-)、今日はその続き・・・)

 

入梅(つゆ)入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

 

卯の花(ウツギの花)は日本の初夏を代表する花とされていたようで、それを詠んだ俳句や短歌も多い。

 

しかし、近年は色鮮やかな花々が増えていて、花が地味なウツギは存在感が薄れ、街や公園でもあまり見なくなった。

 

だいたい、最近の日本人は、「卯の花」がどんな花なのかも知らない、という人が多いんじゃないだろうか?

 

f:id:hibi333zakkan:20190601133812j:plain ← こんな花。(画像は他のサイトからの借り物です)

 

現代人が卯の花と聞いて、真っ先にアタマに浮べるのは童謡「夏は来(き)ぬ」だろう。

 

卯の花の 匂う垣根に   時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

 

忍音(しのびね)もらす   夏は来ぬ♪

             (作詞 佐佐木信綱

 

とまあ、わたしも5月が来ると、必ず思い出す歌なのだが、こうして歌詩を書いてみると、わからないものが出てくる。

 

「忍(び)音」?シノビネ?   ナニそれ?

 

ネットで調べると、

「その年はじめて聞くホトトギスの鳴き声」。

 

 もともとは、「ひそひそ声」「小声」のことなのだとか。

 

うーん。ホトトギスの声ってこんなんらしいけど

[http://:title]

この国では、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」とか「テッペンカケタカ」と聞こえる、なんていわれている鳴き声で、

「忍び音」と表現されるような優雅なものであるかどうか?

 

ホトトギスカッコウの仲間で、鶯(ウグイス)に託卵(たくらん)する、ちょっと(ウグイスにとってはとんでもない)悪い奴でもあるし。

 

ま、どう感じるかは、あなたしだい(笑)。

 

ちなみに、作詞の佐佐木信綱さんは明治5年生まれ、戦前の帝国ニッポンの短歌と古典の「権威」で「正三位文学博士」「文化勲章受章者」という人。

 

作曲の小山作之助さんは文久3年(江戸時代)生まれで昭和2年に亡くなっている。

この歌のほかにも「敵は幾万」など、多くの軍歌を作曲し、作曲者不明と言われる童謡のいくつかも作曲したのではないか?と考えられているそう。

 

で、この「夏はきぬ」が作られたのは明治29年。

 

前年明治28年に日清戦争終結し、「次の」日露戦争(明治37年~明治38年)に向けて「軍国主義」が高揚していった時代だ。

 

そういう時代を「いい時代」ととらえるか、「悪い時代」ととらえるかも

「あなたしだい」だが、

(まあ、そう単純じゃないと思うんだけどね(笑))

 

こういう歌を聞くと

「いい時代だった」

と思う人も多いのではないだろうか?

 

たしかに、この歌は「美しいニッポン」を思わせ、かなりいい気持ちになる。

 

しかし、当時の日本のリアルな現実は、そんなにのんびりしみじみしたものではなかっただろう。

 

この頃の日本は富国強兵のスローガンの下に軍備が増強され産業が発展していく反面、財閥に富が集中し、貧富の差が絶望的に拡大、多くの民衆は悲惨な生活を強いられていた。

自殺者の割合は間違いなく世界のトップだっただろう。

徴兵制もあった。

 

この「夏は来ぬ」の歌詩も、

リアルな現実を歌ったものというより、豊かな古典と短歌の教養をもとに作られた観念的なもの、とわたしには思われる。(それだけに完成度が高い?)

 

ホトトギス卯の花も昔からよく歌に詠われる題材だ。

 

ホトトギスは40近くの漢字が当てられていることでも有名。日本では不如帰、子規あたりがよく知られている?。

 

ホトトギスでは江戸時代中期の俳人、山口素堂の

“目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)”

も、よく知られているが、

痛風で)もうカツオを食べることのできないわたしには毒な句となっている(笑)

 

食べたいけど、絶対に食べないぞー!(悲))

 

あと、この明治29年には東日本大震災の前例となる「明治三陸津波」も起きていて2万人を越える犠牲者が出ている。

 

この「前例」を「前例」とできずに、東日本大震災では死者1万5897人、不明者2533人の犠牲者を出している。こちらも約2万人だ。

 

いったいこの国の政府、支配層は何をしていたのだ、と思う。

 

そしてさらに、改憲軍国主義の復活?再び海外派兵?

 

貧富の差もやはり絶望的なレベルまで拡大していて、社会保障、福祉、年金も大幅後退。消滅もささやかれる。

 

そんな「改憲」を推し進める支配層が美化しているのが明治時代。

 

たしかに明治時代に作られた「童謡」は美しい、というか、われわれ日本語を母国語としている者の胸に染入る。

われわれの精神のある部分を作り上げているといっていいかもしれない。

 

しかし、民衆が貧困、生活苦、戦争苦(戦死、傷害)、災害にあえいでいたリアルな明治時代と、童謡を通じて幻想する美しい明治時代はしっかりと区別をつけておく必要があるだろう。

 

日本人は(支配層によって与えられた)妄想に支配されやすい民族だと思うので、とくにこの点は気をつけていたいものだと思う。

 

でも、音楽は音楽として十分に楽しもう。童謡に罪はないのだから。

危ないのはそれを利用して妄想に引き込もうとする人たち。\(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。

渡り鳥であるホトトギスの第一声として自分に聞こえる鳴き声のことね・・・

 

といちおう納得はしたものの、

ナンデそれを「忍び音」というのかはちょっとわからない。