どうにも政治状況が悪すぎて、

のんびりと生活を楽しむ気分になれない。

 

そんな中、

 

こんな動画を見た。

 

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久しぶりに感銘を受けた。

 

この動画はロングインタビューの一部で、この部分の前にも結婚問題にまで踏み込んだスゴイものがあるのだけれど、それはいま見ることができない?ようだ。

また見つかったらUPさせていただきたい。

 

それにしても、この動画主=モーニング宇宙ニュースの旦那さんである服部氏。

この人、今の日本では突出したインタビューアーではないだろうか?

どうやってこういうような(他にも)スゴイ人を見出すことができるのか?

ちょっと不思議な感じさえする。

 

服部氏のタブーなく、分け隔(へだ)てなく人に接することのできる“人徳“ゆえか?

 

自由な表現の困難な時代ではあるけれど息長く頑張ってほしいと思う。

 

ところで、現代ニッポンのタブーのひとつであるこのBURAKU問題。

 

日本においては政治も裁判も行政も理不尽なものが多いが、このBURAKU問題も国民にとって理不尽なものと感じられているようだ。

 

ただ、わたしがBURAKU問題で理不尽な目にあったわけではない。

 

むしろBURAKUの人たちにはお世話になったくらいなのだ。

 

昔、わたしの姉が某県某都市の清掃局の近くで喫茶店をやっていたとき、少しの間だけど、店の営業を手伝ったことがあった。

 

そこの常連のお客さんは当然のことながら清掃局の人が多く、その中でも店に来てくれるお客さんたちはほとんどがBURAKUの人たちだった、

のだが、

まあ、お客さんとしては上客もいいとこ。

毎日決まった時間に、多人数で来てくれるし、カネ離れもいい。

親しくなると家族のような雰囲気で接してくれる。(やさしい。)

姉の店はそうやって毎日律義に利用してくれるBURAKUの人たちによって潤っていた。

 

ということで、わたし個人としてはBURAKUの人たちに親しい気持ちを持っているのだが、(それ以外のところでも)

 

しかし、というか、それゆえに今のうちに解決しておかなくてはならないBURAKU問題があると思う。

 

しかも、その問題はとても大きい。

 

何より、この問題を今のようにタブーとしてブラックボックス化してはいけないだろう。

 

タブーが強いため多くの国民がBURAKU問題について語りえるほどの知識を持っていない。

 

わたしも自分の体験の範囲でしか語りえないのだ。

 

したがって、この動画の女性のようにしっかりとした体験と知識で勇気をもって語ってくれる人がいるのはすごく有難い。

 

目からウロコのお話もあった。

(BURAKUの内側での村八分の恐怖とか・・・。)

 

このお話をもとに、わたしも自分の体験から考えたことを次回、書いてみたいと思う。

 

とりあえず、押さえておきたいのは、

BURAKU差別というのは、被差別と言われたBURAKUの人たちの生活が悲惨だったり、貧しかったりしたからではないということ。

 

むしろ、BURAKUの人たちというのは、いまの日本の一般民衆よりもしっかりとしたプライドを持っていて、ある意味プライド高き人たちなのだ。

昔から経済的にも豊かで、農民が飢え死にすることはあってもBURAKUの住人が飢え死にすることはなかった。

(ただし、明治維新後は「特権」を無くされて厳しい状況に陥らされた。←BURAKU問題の始まり。)

 

そのあたりを踏まえておかないと、BURAKU差別の「差別」を見誤ってしまう。

 

あと、以前ブログで取り上げた江戸時代中期の思想家山県大弐さんも言っている通り、江戸時代の士ー農ー工ー商ー〇〇ー〇〇〇とは身分差別というより職業区分の意味合いが強かった、ということ。

もともと士農工商というのは古代中国での職業区分で、江戸幕府もその「職業区分」をもとにして国を作り上げていた、ということだろう。

 

まァ、「差別」といえば、漁師町で育ったわたしなども、豊かな農村の人たちからウチの町(漁師町)がやや差別(とまではいかないか?)されているように感じることもあったといえばあったわけで、BURAKU差別の「差別」にもそういう面はあったろう。

(わたしの育った町の人たちはほとんど浄土真宗だったわけだけど、BURAKUの人たちもほとんどが浄土真宗。)

この話にも触れることがあるかな?

 

とにかく、この勇気ある出色の女性のお話を聞くことができたわけだから、わたしもこの機会にBURAKU差別について改めて考えてみたいと思う。