今はもう無い。
いつ無くなったのかと、ネットで調べても出てこない。
ひとつ、そのホテルが解体された年を調べていたブログがあって、それによると、建物が解体されたのは1990年らしいとか。
なんだか最後はタブー視されていたような感じなのだ。
ネットを見ると、それも当然で、
1984年にM社長が亡くなると、ホテルを経営していたG観光の経営権をめぐって内紛が勃発。
怪しい人脈によってホテルは食い物にされ、1988年には、後(のち)にある有名な経済事件の主犯挌となる人物に売却され、建物は補修されることもなく廃業していた。
これを知ったときはさすがにがっかりもし、淋(さみ)しい気持ちになった。
M社長の死後、会社がそうなってしまったのは、やはり、Sデパート火災の後遺症かな、と思う。
それ以上の詳(くわ)しいことはわたしにはわからない。
たしかなのは、そのホテルがわたしにとっては亡くなった人を思い出すような存在になった、ということだけだ。
それにしても、ネットで追っていると、M社長の描いていた夢の壮大さに今さらながら驚かされる。
上段の奈良と横浜にあったDランドも今はなく、下段左の名建築を謳(うた)われた新歌舞伎座も建て替えられていて、経営も別のところらしい。
わたしがボーイをしていたホテルが下段右。
中央のユニークな形をしたホテルだけは現在も某大学の図書館、事務棟として残っているようだ。(地元の人たちから残してほしいという強い要望があったからだとか。)
つまり、M社長の作り上げたものは、砂上の楼閣のごとく、ほとんどがその姿を消してしまったのだ。
M社長一代限りの壮大な夢だった、ということか。
ただ、東と西のDランドは21世紀になってもしばらく継続していたようなのだが、これはスーパーDのN社長が経営を受け継いだからだろう。
ネットで見るとN社長はM社長と盟友のような関係だったとか。
N社長はM社長の夢を引き継ごうとしていたのだろうか?
しかし、それが成功したとは言い難く、Dランドはけっきょく閉園し、日本一と言われたN社長のスーパーDも今は無い。
実は、奇妙なご縁でというべきか、わたしはスーパーDのN社長にも2度お会いしたことがある。
一般のイメージとはとは違って、非常にシャイな人という印象だった。
いつも手帳を持ってメモを取っていて、いかにもやり手の熱心なビジネスマンといった風情だったが、冷酷さのようなものはなく、むしろ不器用な純情さといったものを感じるくらいだった。
秘書のような中年の女性にことあるごとに相談していた。(笑)
こちらの社長も人間をモノ扱いできる人のようではなかったなァ。
けっきょく、M社長もN社長も資本家?(事業家)が夢を見れた、人間的な理想を求めることができた古い時代に属していたのではないか、と、わたしは勝手に思う。
カネ、利益がすべてで人間をモノ扱いする、いまの社会、世界とは相いれない部分があったのかもしれない。
なんて、わたしのような人間がそんなことを言ってみてもどうしようもないのだけれど、、、
ほとんどの「社会的成功者?」や大金持ちに対しては、「地獄に落ちろ」くらいの気持ちしかないわたしが(汗・笑)、心からご冥福を祈りたい人に含まれるお二人であった、ということだ。
(しかし、いま思い返してみると、ヒドイ世の中とはいえ、ほんとうにいい人、立派な人もけっこういたなァ・・・。
人間、二種類?三種類?
まァ、どちらにしろ、現代の政、官、財、メディアはどうしようもない?(笑)
なんとかなっているのは先人のエライ人たちのおかげなのかも。)
うーん、話がおかしな方向に行ってしまった。(笑)
次回、印象深かった思い出のひとつに触れて、この話を終えよう。
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いまや「今だけ、カネだけ、自分だけ」の時代だものなァ。
あからさまな偽善者の時代。
「鉄の信念、鉄の意志」というのはそういうところからは出てこない言葉だということにフト気づいた。
貧富の差を拡大させつつ、火星ロケットなどにカネをジャブジャブ使うなんてのが資本家の「理想?」になっちゃってんだから、資本主義は終わっている。
(99%の?)人間に敵対する現代資本主義。