梅雨の晴れ間の6月17日

築地本願寺に行ってきた。

 

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わたしの父方は浄土真宗本願寺派)ではないのだけれど、母方の実家が浄土真宗で、親戚もほぼすべて浄土真宗、住んでいた町も9割がた浄土真宗のお寺の檀家という環境だったので、浄土真宗とは縁が深い。

 

わたしはその母方の実家のあった町で育ったので、いまでも「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」と「念仏和賛(ねんぶつわさん)」くらいは唱えることができる。

f:id:hibi333zakkan:20200620112032j:plain お堂?の中に入らせてもらってお香をひとつまみ。

椅子に腰かけて休んでいると、なぜかうとうと、1~2分眠ってしまったようだ。

 

目が覚めて10分ほどそのまま座っていると、だんだんと気分が晴れてきてそれまで少し朦朧(もうろう)としていた頭もしっかりしてきたので、外へ。

 

本堂入口の説明板に「築地本願寺の創建は江戸時代はじめ」とあるのを読んで、

「へー、わたしの田舎(母方の実家のあった町)のお寺は室町時代からと言ってたからそれより後なんだー」なんて思ったりして。(笑)

さびれた漁師町だけど、東京きっての大寺院より古いお寺があるなんてのはちょっとうれしい。

じつはわたしはこれまで絶対他力浄土真宗にはやや疑問を抱いていたのだけれど、年を取るにつれ、その教えに包摂されて行くのを感じるようになっている。

 

なかんづくこれまではよく理解できなかった「御文章」の「信心獲得章」。

短い文章だけれど、これまでの自分の人生を重ねると、その底知れない奥行き深さに頭を垂れざるを得ない。

 

絶対他力の神髄」というべきか。

 

そのため末尾には

「この義は 当流(とうりゅう)一途(いちず)の所談(しょだん)なるものなり。他流(たりゅう=他の宗派)の人に対してかくのごとく沙汰(さた)あるべからざるところなり。」

とある。

この教えをもって他宗派の人に対してとやかく言うな、ということなんだな。

これもひとつの「宗派」としては思い切った言葉だと思う。

 

ということで、お寺の境内を歩いて見学

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した後は、

お寺カフェ?でかき氷を食べて帰路についた。

 

うん。行ってよかった。v(^-^)v

 

 

来月の父の命日(7月16日。母の命日は6月18日)の前後くらいには父方の実家の宗教である日蓮宗の総本山である身延山に行ってこようかな。

 

以前は、1,2年に1回は車をとばして身延山に行っていたものだが、この十数年一度も行っていない。

久しぶりに行って、どんな気持ちになるのか、ちょっと楽しみだ。

 

行ってこようっと。(笑)

 

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浄土真宗では「他力門」と「聖道門」という分け方をしているが・・・。

 

わたしは若いころは「聖道門」派で、「絶対他力」の考え方には反発を感じていたのだけれど、

夜、風呂に入ってとてもぬる~いお湯に浸(つ)かってこれまでの人生を思い起こしていると、「うーーーん」。

やはり「最後」は「絶対他力」しかないのかな、とふと思ったりするようになっている。

けっきょく「宗教」「信仰」はそこに行きつくしかないのかな?と。

 

まァ、日本の仏教はどこも「他力」を否定しているところはないのだけれど。(←異論のある人いるだろうな。)

 

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 これはお坊さんが読んでいるのかな?

歎異抄」を読んだ後にこの章を読む(聞く)と格別(かくべつ)。

 

悩みも後悔も越えて、ただ南無阿弥陀仏

 

ただ、わたしは今なお無宗教の不信人者なので、・・・

うーん、ここまで業(ごう)が深いと、やはり最後は南無阿弥陀仏かなァ・・・。(笑)

 

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いまや日本からも世界からも消えてしまった「平等」という言葉がお経の中に出てくるのはうれしい。

 

「光触(こうそく)かふるものはみな

 有無(うむ)をはなるとのべたまふ

 平等覚(びょうどうかく)に帰命(きみょう)せよ」(念仏和賛)

 

「願似此功徳(がんにしくどく) 

 平等施一切(びょうどうせいっさい)

 同発菩提心(どうほつぼだいしん)

 往生安楽国(おうじょうあんらくこく)」(回向(えこう))