例年、10月というのはわたしにとって

まさに、神無月。

何をやっても空回りしているような気持ちになる不運月で、おかしなこと、嫌なこと、辛いことが、多少の差はあれ、必ずやってくる。

気のせい、といわれれば、そうかもしれないが、

今年も例に漏れず、ヘンなこと嫌なことが立て続けに起きていて、目に見えないものに「不運攻撃」をかけられているような気持ちになっている。

 

こういうときは日常を少し離れて“気分転換”

ということで、D坂下のD坂食堂で、ひさびさの外食 \(^р^)/

好物の卵丼650円。

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                              ゼイタク!

朝から水分以外、何も口にしていなかったので、撮影前に二口ほど食べてしまう。・・・う、うまい!

 

ということで、

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            ごちそうさまでしたー^^

今日はこの一食だけ・・・

 

帰宅して冷奴で一杯。

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白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに のむべかりけり  牧水

 

の気分。

 

わたしは非常に酒に弱いので、ミニカップ1個で、じゅうぶんその心境にひたれる (笑)

 

じつはわたしは少量でも酒は毒だと思っていて、なるべく飲まないようにしているのだが、

それでも、     “飲まずにはいられない夜もある”

 

テレビも久々につけてみる。

しかし、数分くらいしか耐えられない。スグに消す。

 

なんだかなあ、・・・くだらなさ、バカバカしさ、と同時に、悪意、醜い偽善、卑劣な精神、既得権益にあぐらをかいた横着さ、というようなものまで感じてしまう。

面白くないだけではなく、すさまじい害毒でもあるように思えるのだ。

 

以前、わたしはこの日記かブログかで、テレビは現代のアヘン、という言い方をしたが、

f:id:hibi333zakkan:20181025211534j:plain ←これがニッポンのテレビ局のほんとうの姿!?NHK、日テレ、フジテレビ、TBS、テレ朝、テレ東・・・?(笑)

 

しかし、

もしかしたら、現代ニッポンのテレビ局よりはアヘンのほうがマシなのかもしれない、と思い始めている。

f:id:hibi333zakkan:20181025212146j:plainテレビなんかと一緒にしないでよね!(怒)

                           byアヘンちゃん(笑)

 

・・・え?酔っ払っているだろう、って?

 

うん(笑)

 

ミニカップひとつで酔えるってのも、シアワセな話・・・

 

さて、今日はCDでも聞きながら早めに寝よう。

 

こういうときに聞くのは、♪「ヨハネ受難曲」(BWV245)

がいい・・・(笑)なぜか・・・

 

即効で癒されて・・・(-.-)zzZZ  ぐっすり(← でした。(この部分後づけ(笑))

 

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こちらのyoutubeの動画。

カール・リヒター指揮の演奏も画像も・・・最高!永く残っていてもらいたい動画です。↓

https://youtu.be/fT1y0_9qpeY

 

 

 

 

 

 

たまにテレビをつけて見れば、報道という名の

グルメリポートやスポーツ番組ばかり。

 

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すみませんねえ、わたしの「ごちそう」てのはこんなものなので(^皿^)

 

しかし、圧倒的多くの日本人があんなものを「報道」として見ているとは・・・

 

まあ、日本人みんな、おばかパッパラパーで行けているというのなら、それはそれで大らかでいいかも知れない。

 

けど、現代のニッポンの人々というか、世間はちっとも大らかでは・・・ないよなあ・・・(笑)

 

グルメといえば、このあいだ読んだ「風太郎の死ぬ話」(山田風太郎・著)と言う本に「壮絶なる大食死」として、正岡子規のある日(明治30年9月10日)の献立(こんだて)が書かれてあった。

 

それによると、

 

→ 『朝飯。

    ヌク飯二椀、佃煮(つくだに)、紅茶一杯、菓子パン一ッ。

 

   午飯(ひるめし)。

   粥(かゆ)イモ入三椀、松魚(かつお)ノサシミ、ミソ汁葱(ねぎ)茄子、ツク

   ダ煮、梨二ッ、林檎(りんご)一ッ。

 

  間食。

  焼栗(やきぐり)八十九個、ユデ栗三十四個、煎餅(せんべい)四十五枚、菓子パ

  ン六十七個。

 

  夕食。

  イモ粥三椀、オコゼ豆腐ノ湯アゲ、オコゼ鯰(なまず)、キャベツヒタシ物、梨二

  切、林檎一ッ。                            』

 

いやあ、正岡子規さんの、あの痩せた横顔の写真からは想像もできない大食。

イメージが変わってしまう(笑)

 

それに、その当時の正岡子規といえば、病気でほとんど寝たきりだったはず・・・

 

一日中部屋で寝ていてこんな食べ方をしていれば、そりゃあ、死にますわ

                              (^^;)

いま特に持病のない(痛風除く)わたしでも、そんな食生活をして動かないでいれば、たぶん半年くらいで目出度くあの世に行けるんじゃないかと思う。

 

正岡子規結核性の病気だったらしいので、栄養をつける、という意味もあったのかも知れないけど、

(わたしも三十代の頃、極端に食を減らしていて、そのとき栄養失調状態になったのか、ちょっとした傷が化膿する、ということはあった。

食事を普通に戻し、化膿止めの軟膏をつけることで、スグに治ったのだが、

なるほど栄養が足りなくなると、細菌性の病気にはやられやすくなる)

 

それにしてもこの献立は・・・

 

余分なお金はどうか知らないが?、栄養過多は余分どころか確かに身体に害がある。

わたしも二十代の頃けっこういいものばかり大食していて入院1ヶ月半という「大病」を患った。

が、それ以降は大食の美食などというゼイタクからは遠い生活を送ってきたためか、そう大きな病気はしていない(痛風除く)

 

個人的な考え、だけど、

いまの日本人は「いい物を食う」ことよりも、むしろ「食わないこと」「美食から遠ざかって質素な食事に戻ること」を考えたほうがいいんじゃないか?と思う。

 

そのほうが、日本人の歴史、習慣に沿っていて、アイデンティティを取り戻すのにもいいかも知れないし、

何より、今の日本人が考えなくてはいけないのは、「食」以外の生活環境、

労働環境や住環境ではないだろうか?

 

そして、その基礎となる、政権の政策スタンス=司法、立法、行政、国際関係といった「政治環境」(?)についても

 

マスコミが政府・資本家さんの宣伝機関にすぎないのはよくわかっているけど、それにしても、グルメとスポーツばかりというのはお粗末過ぎる(笑)

 

アホらしくも苦しくかつ危険な、コンナ状況の下で、

「日本人が本当に考えなくてはいけないこと」を、どうやって広く共有していけばいいのか?共に考えることができる状況を作り上げていけばいいのか?

 

 (以下、乱心 ↓ 読まないでください)

 

ハァ・・・しんど。それにしても、どうしようもない世の中になったもんやなあ・・・(こういうときは関西風で(笑)(´д')行き詰まればオオサカ~♪ドツボのオオサカ~♪♪昔はよかったオオサカ~~~♪(意味不明。ヤケ?))

                 f:id:hibi333zakkan:20181021021207j:plain                    

                            f:id:hibi333zakkan:20181021021130j:plain                             (^^;)


嗚呼、昨日も今日も、泣きべそをかいているような東京の空を見上げながら、ため息をつくばかり~

 

♪心うつろに東京

秋の涙雨~~~~♪♪

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   さて、あとで、いつものカフェに行ってコーヒーか紅茶でも飲もうかな(笑)

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しかし・・・10月に入って、《嫌な予感》がする、というか、落ち着かないんだよねえ・・・わたしがスランプなだけなのかなァ。

ともかく、用心だけはしておきましょう。

 

            

 

 

 

 

 







やっと、まる1日の断食に成功 V(^^)V

1日の断食だけでも、やや体が軽く感じられ、歩くのも速くなる。

(べつに速く歩きたいとは思わないけど(笑))

 

昼は30度越えの暑さだったが、日が落ちると半袖に最適の気持ちの良い温度になった。

 

夜、散歩がてらに隣の駅まで歩いて買い物。

「浣腸(2コ入り)」と「爽健美茶2ℓ」を買う。

 

ダイエットを始めると便通が不順になるため、「浣腸」は必需品。

子どものころ、両手の人差し指を合わせて友達のお尻をめがけて、「カンチョー」てやってた世代 ヽ(^皿^)なので、最初は抵抗があったのだが、使い始めるとこれほど重宝なものはない。

 

爽健美茶」は、2~3年前から首の周りにイボがぽつぽつ出始めたので、その対策。

爽健美茶」と「十六茶」にはハトムギが入っているが、これは、よく知られているように、イボをとると言われている漢方薬の「ヨクイニン」の主要原料だ。

 

たしかに、ハトムギ入りのお茶を飲み始めてからは、イボが増えていないような気がする。

 

わたしのカラダには「ウーロン茶」がよく合っているので、お茶はウーロン茶とハトムギ入り茶の併用。

緑茶はあまり飲まない。

 

帰り道の道路脇の草むらにはススキ

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暖かい夜とはいえ、季節を感じる。

 

鼻歌のひとつでも出そうな気分で歩いていると、20メートルくらい先に、少しダブついた服を着た人が歩いている。

道の端から真ん中あたりへと、ふらふらしながら歩いているが、酔っ払っている感じではない。

 

少し気になったので、写真をカシャッ

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ありゃー      誰も写っていない

 

画像を見たあと、もう一度前を見ると、なるほど、誰もいない。

最近目の調子が悪いから、錯覚?

 

それでも、さっきはしっかりと見えたよなあ。

まあ・・・黒い影みたいではあったけど。

 

いつもなら「うへー」となるところだけど、この夜はなぜか全然怖くない。

□□?さんも、気持ちのよい夜に誘われて出てきた?か?という感じ。

 

で、無事帰宅。

シャワーを浴びたあと、前から買ってあるアルカリイオン水を飲んで、幸せな気分のまま就寝。

 

いい気候は、こうやって誰に対しても公平、平等に与えられるんだなあ~

本来、公平、平等な「天」を不公平、不平等にするのは、一部の人間なんでしょう・・・

(ー。ー)zzZZ

 

昨日からずっと雨。

長く続く右翼半独裁政権で憂鬱が続いているところに、天気まで悪いとなるとまったく救いようのない気分になってくる。

 

元気なく最近また吸いはじめた煙草をふかしていると、なぜか、昔の忘れていた「ある」光景がまざまざと蘇えってきた。

わたしの脳みそも、こんなときどうしたらいいのだろうと、頭を悩ませているのだろうか???(笑)

 

「なんでだろう?」というような、現状とは無関係なことを思い出させる。

 

思い出したのは、わたしがまだ30歳代の頃、関東北部の公団住宅に3年ほど住んでいたときのことだ。

 

わたしがそこに住んだのは、家賃が安かったから。

そこから都内の職場まで1時間半ほどかけで通勤していた。

 

駅から団地までは歩いて十数分くらいで、それほど広くない一本の道が続いている。

道に沿って片側は小川。水際から道路の際まで雑草が茂っていた。

 

川の反対側は畑も無い殺風景な荒地。それが団地まで続いている。

 

その道の途中に小さな雑貨屋さんがあって、パンなどの食料品や日用品をおいていた。

店のご主人は40代前半くらいでまだ若く、奥さんと中学生くらいの娘さんの三人家族のようだった。

 

当時のわたしは帰宅がいつも夜遅く、その時間には店が閉まっていたので、めったに利用することはなく、いつも通り過ぎるだけだったのだが、

このお店というか、家で飼っている犬がいけなかった。

 

雑種の中型犬なのだが、わたしが通りかかると、必ず吠えやがる(笑)

わたしは犬に吠えられるのが好きではない(たぶん誰でもそうだと思うが)

 

吠えられるたびにわたしは心の中で小さく「くっそ」。

気分の悪いときは犬をにらみつけた。

 

それでも、犬は毎日毎日、わたしが通りかかると必ず吠えた。

吠え続けた(笑)

 

ところがある日の夜、帰宅を急ぐわたしが閉まった店の前を通っても、犬が吠えない。

「あれっ?」と思って立ち止まっていつも犬のいるところを見ると、犬小屋の前に犬はいる。

 

しかし、犬は、犬小屋の横にある店(家)の方を向き、前足を立てて座った姿勢のまま、うなだれていた。

家を見ると、ガラス戸越しに、ふたつのお盆ちょうちんのようなものが立てられていて、そのあいだに壇が設えられ、ご主人の写真がおかれていた。

 

この家のご主人が亡くなったのだ、ということはすぐにわかった。

犬はそのご主人の写真のほうに向いてうなだれていたのだ。

 

いつもの、掛け合いの敵役のようなわたしがうしろで見つめていても、犬は微動だにせず写真のほうに体を向けていた。

 

その姿は、人間が肉親の死を悲しんでいるのと変わらないように見える、

というか

犬の背中からは、それ以上の「悲痛」ともいえる思い?さえ感じられるのだ。

 

わたしはしばらくその様子を見ていたが、犬はずっとそのままだった。

 

その日以来、犬がわたしに向かって吠えることはなくなった。

わたしが通りかかっても、こちらを見ようともせず、気だるそうに地面に寝そべっていることが多かった。

 

それから何週間かすると、犬はいなくなった。

多分、死んだのだろう。

 

空になった?犬小屋はずっとそのままだった。

 

・・・これはすっかり忘れ去っていたことなのだが、なぜ今頃、こんなことがまざまざと思い出されたのだろう?

 

脳の勝手な配慮?

たしかに気分は少し変わった。

 

犬も人間も不思議、

ということで、雨も止んだようなので、これから外出(^^)

 

 

 

なんだかニッポンも世界も資本主義が

ひどく残酷な方向に行っているように思えるので、

 

学生時代に読んだ、マルクスの「ドイツイデオロギー」をン十年ぶりに読んでみようと思った。

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わたしにとって難解至極なマルクスの著作の中で、この「ドイツイデオロギー」と「共産党宣言」と「経哲草稿」だけは理解できたように思っていて、とりわけ、「ドイツイデオロギー」(当時は「ドイデ」と言っていたっけ)はわたしの学生時代の座右の銘のようになっていた・・・

 

はずなのだが、いま、その「ドイツイデオロギー」を読み始めて、驚いた。

さっぱり理解できないのだ。

「ええ???」と思った。

 

わたしの脳みそがしなびてしまったからだろうか?

いやいや、必ずしもそうではないだろう。

学生時代に理解できなかった難解本も、人生の経験を積めば、「なーんだ」というくらいに解ってくる、というのがわたしの経験で、実際、他の哲学書思想書、古典の類は、年齢を重ねるほど、良く理解できるようになっている。

 

しかし、マルクスの著作だけは、そうはならないようなのだ。

学生時代に理解できなかった著作は今でも理解できない。学生時代に理解したつもりになっていたものも、今はわからなくなっている。

いったいわたしは何がわかっていたのだろう?何をわかったつもりになっていたのだろう?

 

そういう意味で、マルクスの著作は今のわたしにとって、苦いものになっている。

 

それでも、その後の人生経験のおかげで、マルクスの著作について一部理解できたことがある。(トシ食ってから「資本論」などを少しかじってみたりしていたので)

それは、

マルクスは「歴史」と「革命」については語っているが、「革命」後の世界については何も語っていない、ということ

つまり、

マルクスは「かくあれかし」という「理想の社会」などまったく「提示」していないのだ。

 

今回、ドイツイデオロギーが理解できなくなっていることで、あわてて、共産党宣言を(これまた学生時代以来ン十年ぶりに)読んで見た。

こちらはマニフェストとして、タイヘンわかり易く書かれているので、ドイデみたいなことはなかったが、ただ、理解の内容はまったく違った。

 

学生時代は「来るべき素晴らしき世界」を示しているように思っていた(思い込んでいた)「共産党宣言」だが、こちらも、「革命」のためのマニフェストであって、革命後の世界のマニフェストではないのだ。

 

どうも、わたしの学生時代のマルクスの読み方は間違っていた、というか、誤解して読んでいたようなのだ。

理解したように思っていて、実はまったく理解できていなかった!

 

わたし程度のアタマでは、ほんとうにマルクスは難しい・・・

 

そして、学生時代のわたしがやっていたもうひとつの間違いは、

聖書に書かれていることが一言一句正しいと信じるキリスト教福音派の人たちのように、マルクスの著作を一言一句すべて正しい、と思い込んでいたこと。(思い込まされていたこと)

それを「武器」に「論争相手」を屈服させようとしていたこと。(ザンゲザンゲ・・・ゴメンナサイ)

 

マルクスにだっておかしなところはいくつかあるのだ。

 

なんて書いたら、「反動だ」「修正主義だ」なんて言う人が今でもいるのかもしれない。

しかし、ニッポンの偉い経済学者さん(下記の宇野弘蔵さん)も言っているとおり、「修正主義」なんて言葉があること自体、おかしいのだ。

 

だいたい、「マルクス主義」って何なのよ?って話。

 

ハイデガー

マルクスは歴史を書いているだけなのだ」

と言ったが、この見方が最も的を射ているように思われる。

実際、そうなのだ。

 

マルクスは「歴史」を書くことによって「資本主義」がいかなるものであるかを明らかにした。

そして、当時の歴史の最終形態であった「資本主義」が「革命」によって滅ぼされるべきものであることまで見通した。

 

しかし、マルクスが語ったのはそこまでなのだ。

たとえば、

私たちを縛り苦しめている資本主義という「縄」がある。

マルクスはその「縄」がどのような由来で出来、どのような性質でわたしたちを苦しめているか?

マルクスはその「縄」の正体を暴き、その縄を断ち切ってわれわれが「縄」から解放されるべきことまでを語る。

 

しかし、「縄」から開放されたわれわれがどのような社会を作るべきか、は言っていないのだ。

「矛盾の解消」と「資本主義からの開放」。

とりあえずそれでオーケー?

それで「理想の」社会が到来する、というのは、(わたしの経験に基づくアタマでは)やはり「おかしい」と思う。

 

はたして来るべき社会の具体像をしっかりと示していないものが「マルクス主義」と言えるのかどうか?

 

マルクスが、べつに自分が作ったり主導したわけでもない「マルクス主義の運動」なるものに対して、

「あんなものをマルクス主義というのなら、私はマルクス主義者ではない」

と言ったというのは、重要なことだと思うのだが、それが取り上げられることはほとんど無い。

 

その、マルクスが否定した「マルクス主義」「マルクス主義の運動」がその後の「マルクス主義」の主流になってしまったというのが、ほんとうのところではないだろうか?

 

ただ、マルクスの著作にも「?」という面がいくつかあって、それが現代において、マルクスが○○○の陰謀の一味、などとグローバル資本家の手先のようにいわれることにつながっているように思う。

(このことについては、後日また)

 

とまあ、わたしのプアなアタマではこの程度のマルクス理解がやっとで、これ以上の「進歩」も期待薄。

わたしは死ぬまでマルクスを理解した「マルクス主義者」にはなれないだろうと思う。

 

それでも、わたしの学生時代に「世界先進国同時革命」なんていうことが主張されていて、わたしは「なんてアホなことを言ってんだろ」くらいにしか思わなかったのだが、現代のグローバリズムを見ていて、その意味がやっと理解できた。

(革命は先進国で同時的に起きる。そうしなければいけない。というのは、今の世界ではリアルに理解できる)

 

インターナショナリズムにしても、リビアやべネズエラを見ていると、「万国の人民の結束」が必要なことがよくわかる。

(小さな国が人民のための体制作りをしようとしても、グローバル資本家に(世界規模の圧力、攻撃で)潰されてしまう。ソ連がしばらく一国社会主義でやれたのは、それなりに強力な大国だったからだろう)

 

あと、現代を支配するグローバル資本家はマルサス人口論の信奉者のようで、人口削減ということに熱心なようだけど、(ニッポンの政・財・官もね)

 

(じつはわたしはマルクスも19世紀の人ということで、マルサスのような考えを持っていると思い込んでいたのだが)

 

宇野弘蔵さんの「資本論に学ぶ」を読むと、マルクスはとうに、マルサス人口論など越えていたようなのだ。

宇野弘蔵さんは

マルサス人口論なんかいうのはいい加減なもので、ネズミの繁殖率を計算したような人口論なのです」~

マルサスの「人口論」を論破、一蹴したうえで、

マルクスにも人口論があって、これこそがほんとうに人口論なのです。マルクスのは資本主義に特有な人口法則なのです」

と、(資本主義が)生産能力を上げながら、相対的過剰人口を作る、「つまり、生産能力が上がると、資本に対して人口が相対的に過剰になるような傾向を持っている」ということをマルクスが明らかにした、

と書かれている。

 

(つまり、「過剰人口」(余分な人間???)を発生させるのは資本主義の特性であって、人間が人間を産むからではない、ということだ。

 

詳しくは宇野弘蔵さんのこの本「資本論に学ぶ」(ちくま学芸文庫)で)

 

宇野さんは

「この人口法則を発見したマルクスは、とてもうれしかったのではないかと思うのです」

と書いているが、グローバリズムと日本政府・財界による人工削減政策に恐怖感を抱いているわたしもうれしい(涙・笑)

 

まさに、マルクスが見通していたのは現代のグローバリズム資本主義。

しかし、マルクス以後の「歴史」をマルクスがやったように対象化し、分析しきれていなかったことが、現代の「左翼」の低迷につながっているのだと思う。

 

「旧態依然」の運動ではダメなのだ。

 

それに、いくら偉大と言っても、マルクスは昔の人、「19世紀の科学」の時代の人だ。

西郷隆盛が十歳の子どもだったとき、二十歳の成人だった人だ。

 

ひとにぎりのグローバル大資本家が99%の世界人類を殺せる大量破壊兵器を手にしている現代、99%の人類はどうすればいいのか?

 

マルクスを越えるマルクスのような偉大な才能の持ち主(思想家)と、偉大な人民の指導者(政治家あるいは革命家)、人民の救済者が現れるよう祈っている。

 

 

いつものカフェ地下でDAYS JAPANの9月号を

読む。

知り合いから借りてきたものだが、いい内容。

f:id:hibi333zakkan:20180924223328j:plain どの記事もよかったが、とりわけ印象に残ったのは、『「大逆事件」と高木顕明 - 国家権力による思想弾圧の歴史』と『人間の支配 動物工場・消える大地』だ。

 

高木顕明というのは、大逆事件で逮捕され、獄中で自殺した真宗大谷派の僧侶。

 

大逆事件」というと、どうしてもわたしは今回の「オウム真理教事件」での大量処刑と重ね合わせてしまう。

 

丸木俊・位里夫妻・作の画、「大逆事件」の写真をさらに転写させてもらって保存(スミマセン)

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12人処刑の大逆事件は今日、冤罪であったことが明白になっているのに、この現代で13人の処刑をやった、安倍自公政権というのは、わたしにはとてもまともな人の集まりとは思えない。

 

大逆事件での大量処刑は、やはり長州閥桂太郎内閣。

桂太郎首相は、アメリカの鉄道王・ハリマンとの南満州鉄道に関する「契約」で、日米戦争の遠因を作ったが、この桂太郎首相と安倍首相は、明治末期と平成末期での相似形。

同じようなものが、また現れた、という感じだ。

 

ところで、麻原氏の宗教をまだ信じている人たちがいるなら、いい画家さんを見つけて、上記の丸木夫妻の描いた絵ようなスピリッツある、「13人処刑の図」を描いてもらったらどうだろうか?

将来に向けて、けっこう意義ある絵画になると思う。

 

「人間の支配 動物工場」のほうは、とにかく、写真が衝撃的。

「タイの鶏(ニワトリ)加工工場」「アメリカの乳製品製造工場の雌牛」「ラテンアメリカ最大の養鶏場でのケージ飼いの鶏」「ブラジルの大規模養豚場」等々、

 

動物たちはいずれも、「生命」というより、「物」としか見えない。「悲惨」「残酷」といった想像力の入る余地さえなくしてしまう?まさに「工場」。

 

これらの「家畜」の運命が、未来の「人間」の運命でない、とはいいきれない。

「資本家の支配 人間工場」

 

現代において、(自民党議員による「生産性」発言など)その「兆候」はすでに現れてきているような気がするのだが?

 

「DAYS JAPAN」、なかなかのクォリティで、定期購読すべきなのだが・・・やっぱりこれからも(定期購読している)知人から借りるようにしよ

(節約・工夫しなければ生きていけない低年金プア~(いつまで生かしておいてもらえるかワカラナイ?)だかんね(^^;))

 

知人といえば、われわれが時々会ってワイワイやっている

『おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ』

も見てください ヽ(^皿^)ノ

 

 

 



政治状況が悪いので、私も体調が

悪い!

 

そういうことがあるのかどうか知らないけど(笑)、とにかくこのところ体調がすぐれない。

 

わたしの場合、「太りすぎ」ということもあるのだろう。

それでなくとも、やや太り気味だったところに加えて、やたら「食欲」が増進。

「食べる量を抑えなくては」と思いつつ、我慢できず、食欲の要求どおりに食べ続けてしまった。

おかげで、体重は、これまでの最高を記録している。

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体重が増えると、体調が悪くなるだけでなく、運も悪くなる、というのがわたしのこれまでの経験なので、

なんとかしなければ、ということで、断食を考えているのだが、これも、「食」への未練のほうが勝っているために、「あさってから」「後三日したら」などと、ずっと先延ばしし続けて、一ヶ月以上が経過。(ナサケナ)

 

30代の後半に、思うところあって35日間断食(固形物を一切食べないという断食)をしたことがあるのだが、その頃とは雲泥の差の精神状態だ。

 

老齢になると、人は子どもに返っていくというが、「明日」「明日」と、やるべきことを先延ばしにしていたら、ふと、小学校時代の夏休みのことを思い出してしまった。

 

小学生時代の夏休み。

夏休みの宿題に、わたしはぎりぎりまで手をつけなかった。

「やらない」と決めていたわけではない。

「明日からやろう」と思いつつ、毎日、遊びが優先で、ずるずると、夏休みの終わりまでその状態が続いた、というだけのこと?だったのだ。

 

おかげで、夏休み最後の2~3日は、現代のブラック企業で働く人なみの状態になった。

小学生時代は、毎年そうだった。

中学に入って、少し改まって、以後はまあまあ意志も強くなっていたのだが、ここに来てまただらしなくなっているのかもしれない。

 

トシをとって、子どもに帰っている?

ハアァ???

ま、まだそんな年齢じゃない~~~~~~~~~~!!!!!(^□^;)

 

ともあれ、どこかで思い切って3日断食から始めなくては・・・

(でも断食って、それなりにタイヘンなんだよなあ・・・ ←なかなか決心がつかない)

 

わたしはそういう状態だけど、

世の中を見れば、「欲望」のままに際限なく太り続けて、自分の状態には無自覚でいながら、人々を不調に追いやっているものもある。

 

自分(たち)は「不調」を感じることもなく、やりたい放題で「超肥満体」になっている、いまの自民党。安倍自公政権・・・

 

自民党が太り続けて「超肥満体」になっていることは、国民、ひいては日本という国にとってもいいことではないと思うんだよなあ。(実際、そうなっている)

おととい安倍首相が自民党総裁として再選され、さらに「超肥満体」路線の長期独裁体制が続くのだとか。

 

わたしは、わたしの身体以上に、自民党のダイエットが必要だと思っている。

しかし、自民党は絶対に自分からダイエットしようとはしないだろうから、これは、国民がダイエットしてあげるしかない。

 

自民党のダイエットは、この国、国民にとって、いま喫緊の課題だろう。

自民党が「超肥満」のままだと、自民党だけではなく、国や国民までも「死ぬ」恐れがあるのではないだろうか?(笑)突然死の可能性も含めて(怖)

 

自民党にエサ(食べ物)をこれ以上与えてはいけない。自民党に投票してはいけない》

 

国もわたしたちも、元気で幸運でいたいものです。

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(追:自民党の超肥満体路線を続けさせている公明党という食物(票)提供政党も、ちょっと悪魔的だと思いません?←「もっと食え、もっと食え」)