テレビはほとんど見ないのだけれど

テレビのワイドショーなどでは今、どうやら体操業界の内紛?がメインの内容のよう。

 

わたしらの子どものころにヒーロー、ヒロインだった体操の塚原夫妻がお偉いさんになっていて、パワハラだとか体操協会での専制?とかでバッシングの対象になっている。

 

わたしはどちらかといえば、週刊誌やテレビからバッシングを受けている人たちに味方したいほうなのだが、

今回のような場合、協会内部だとかの特定の業界の問題になると、内部事情を知っているわけではないので、何とも言えない。

 

ただ、塚原夫人の体型を見ると、もう引退すべきときじゃないかな?

とは思う。

 

わたしなんかも油断しているとすぐに太る体質なので、肥満とダイエットを繰り返しているのだが、

そのわたしの経験から言わせてもらうと、

“肥満は不運を呼ぶ”

 

これまでのわたしの人生を振り返ると、

太っているときは運が悪く、何をやってもダメで、体が引き締まっているようなときは好調、というか不運も近寄ってはこない、

という傾向が顕著なのだ。

 

たぶん、“不運は太っているわたしが好きなんじゃないだろうか?”

と思えるくらい、

 

不運、不幸は体重が増えているとき、体重が増加傾向にあるときに集中している。

 

トシを食って、もう痩せる努力も空しくなれば、そのときが引退の潮時なんじゃないか?

と思っている。

 

自分が不調なら周りにもいい印象を与えないし、トラブルも起きてくるしね。

 

“ダイエットできなくなったら引退”

これでいいんじゃないかな?

 

まあ、人さまざまだけど。

 

それにしても、日本の老人?の大罪は“後継者”を育てられなかったことだな。

それがすべてを物語っている。

いまの老人だけではなく、すでに亡くなっている人たちも含めて。

その結果が、現在の政・財・官・マスコミ・教育界・スポーツ界???(笑)なんじゃないかと思う。

企業も政府も国会も官僚もマスコミも教育界(とくに御用学者ばかりで占められた大学など)も酷いじゃない。

 

などととりとめのないことを考えつつ、

 

まだ、あの「13人の処刑」にこだわっている。

 

ほとんどの「オウム関連本」が政府・捜査機関・司法などに忖度した内容となっているなかで、インパクト出版会から出ている「獄中で見た麻原彰晃」がリアルに事実を伝えていて面白く読めた。

 

オウム裁判の当初、マスコミで麻原氏の「不規則発言」が報じられ、「わけのわからないことを言っている」ということだったが、

この本ではじめてその内容の一部を知ることができた。

その中で、印象に残った麻原氏の言葉は

 

「(裁判官に対して)どっちが被告人だ。あなたのほうが被告人だ」

 

「ここは裁判所じゃないでしょう。劇場じゃないかここは」

 

そして、沈黙を始める直前の言葉が

「早く逃げろ。もう危険だから」

この言葉を最後に「廃人化」していったようだ。

 

いずれも「わけのわからない発言」とは言えなくて、それぞれに意味のある言葉だと思うのだが、

とりわけわたしの印象に残った言葉が

 

「ここは裁判所ではないでしょう。劇場じゃないかここは」

 

これ、すごい言葉だと思うんだよね。

わたしは、これは、後世にしっかり伝えれば、歴史に残るようなセリフになるんじゃじゃないだろうか?と思っている。

たとえば、ハムレット

生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」

とか、カエサル

「ブルータスよ、おまえもか」

(言葉自体は)肩を並べるような「セリフ」になるのではないだろうか?

 

演劇などで使ったら、すごいインパクトを与えられるんじゃないだろうか?

 

「ここは裁判所ではない。ここは劇場だ」

英語にしたら

(He said)

“This isn’t a courthous.It’s a 

theater.”

とでもなるのかなあ・・・

英語苦手、のわたしの訳ではたぶん「英語」になっていないと思うので、誰か、この言葉を英語(外国語)の名文句にしてもらえないだろうか?

 

・・・ヒゲを生やした「教祖」が法廷を見回し、両手をあげて天を仰いだあとでこう言うのだ

 

「・・・ここは裁判所なのか? ・・・いや、違う。ここは・・・ここは劇場なのだ。いくつもの茶番劇の演じられた、嘘と偽りと詐術に満ちた狂言綺語の空間なのだ」

 

・・・うーん。劇のシナリオのひとつでも書いてみたい気分だけど、そういう「創作」に関しては、若い頃に一度挫折しているからなあ・・・(笑)