3ヶ月ほど前から、モーニング宇宙ニュースという

夫婦でやっておられるネット配信を見るようになった。

 

これが、ぶれない市民目線で、

かつ扱うニュースの内容のハードさとは裏腹の、夫婦漫才のようなほのぼのとした?やりとりが面白くて、やみつきになっていた。

 

その配信が11月30日以降なくなり、どうしたのかな?

と思っていると、

旦那さんがツイッターで、奥さんが12月24日に亡くなったことを報告していた。

 

11月30日の最後の配信でも、いつものとおりの鋭いつっこみを見せておられただけに信じられない気持ちだった。

 

もうあの配信が見られないと思うと、残念でならない。

 

奥様のご冥福をお祈りする。

 

いまは民主主義を求める市民にとっては冬の時代。

その「逆境」を跳ね返して頑張って声をあげてこられたご夫婦。

 

それは、この厳冬になぜか、精一杯の努力で?花を咲かせているこのツツジのようなものではなかったか?

「狂い咲き」といわれようが、立派にその「生命」の存在を主張している

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葬儀には参列できないが、昨日公園で撮ったこの写真を捧げて、黙祷したい。

他の、“平和”を求めて活動しつつ亡くなった多くの市民の皆さんへの思いとともに

 

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                       黙祷

 

 

 

 

 

(「狂い咲き」という言葉に付け加えると

 

わたしは「狂い咲き」のなかには何か大きな災厄がやってくることに対する、「花」からの警報、警告のようなようなものがあるのではないかと思っている。

 

わたしが前回、上掲のようなツツジ?の狂い咲きの鮮やかなものを見たのは2010年の晩秋だった。都内某施設(学校)の中庭にひっそりと咲いていた。

 

ひっそりと、というのは春に咲き誇っているような勢いは無く、ぽつぽつまばらに、

それでもすべての木が花をつけている、といった状態だったからだ。

 

その翌年の花が咲く前の季節に何があったかは言うまでもないだろう。

 

モーニング宇宙ニュースの奥さんも、われわれに大きな「危機」を知らせつつ、その役目を終えて旅立って行かれたのかもしれない。)

 

・・・そういえば、この秋には桜も咲いていたなあ(別の公園)

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「秋咲きの桜ですかね」

といって、おばちゃんが声をかけて通り過ぎていったけど、

いいや、何年かこの公園を見ているけど、秋に桜が咲いているのは見たことなかったなあ。

この木も毎年春に花をつけていたし。

 

いずれにせよ、来年も「天災」「戦争」「悪政(笑)」に要注意。

それが、いま次々にお亡くなりになっている(民主主義世代の)「市民」の皆さんの気持ちを受け継ぐことになるだろう、と思う。







 

 

 

 

 

 

一昨日は冬至。

冬至の夜はゆず湯、ということで、出先からの帰りにネットで捜した銭湯へ。

 

銭湯への道に迷っていると、変電所の高い鉄塔が目の前に現れる。

 都内。下町のど真ん中にこんな高い鉄塔があるとは知らなかった

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電線と繋がっていない「電波塔」。東京タワーなんかと同じ種類のものだ。

 

わたしは夜の鉄塔を見ると、なぜか映画の「ゴジラ」を思い出す。

1954年公開の初代「ゴジラ」だ。

 

この映画で、ゴジラは送電線でつながった鉄塔を破壊し、口から吐き出す「放射能」?は鉄塔を溶かした。

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わたしがこの映画を見たのは1960年代。

田舎の小学校でだった。

黒い幕で囲われたほこりっぽい小さな講堂で、床に直接座って見た。

 

べつに感想文を書かされるわけでもなく、ただ、見せられただけで、先生もとくに授業で触れることはなかった、が

「よく上映してくれたなァ」

と、今では感謝している。

 

町にひとつしかなかった映画館(新作が多かった)では、(子ども時代には)まず見られなかっただろうから。

(ただ、その後一度だけ学校が映画館を借り切るような形で、高峰秀子主演の「二十四の瞳」を全校生徒に見せたことはあった。

ゴジラ」はこっそりと、「二十四の瞳」は堂々と、という感じだったのかな?(笑))

 

ゴジラ」といえば、国会を破壊する場面も強烈に印象に残っていて、

 

わたしは、秘密保護法が強行採決された夜、国会の裏で抗議の声をあげていたのだが、

 

ゴジラ」が現れて、国会を吹っ飛ばしてくれないかな、と思ったものだった(笑)

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                     f:id:hibi333zakkan:20181225005846p:plainGO!GO!(^^)

 

そのあと、しばらく迷った挙句、最初捜していたのとは別のお風呂屋さんを見つけて、無事、ゆず湯に入浴。

                              f:id:hibi333zakkan:20181225012247j:plain

夜道に迷いながら、鉄塔 → 知らないお風呂屋さん。

 

方向音痴の醍醐味を味わった冬至の夜だった(笑)

 

そして今日はクリスマスイブ。

わたしはクリスマスといえば、楽しい思い出ばかりで、別段クリスマスにうらみはないのだが、トシをとるとどうしてもひねくれちゃうのか、最近は

“ メリークルシミマス ”

としか言わない〔笑)

 

で、こんな“センス”に出会うと嬉しくなって、写真を撮ってしまう

  f:id:hibi333zakkan:20181225013637j:plain  メ “メリークリスマス” (^^;)

 

自公格差政権から優遇され、ボーナスもたっぷりの独占企業のエリートサラリーマンさんや、官僚公務員の皆さんには楽しいクリスマスなんだろうけど、

世間の喧騒を背に、苦しく寂しい思いをしている人たちも多いわけで、

 

わたしの「いやがらせ」的な?

“ メリークリシミマス ”

 

もあながち「ひねくれ」だけではなく、トシを重ねて世の中がよく見えるようになったから、なのかもしれない。

 

うん。

 

ということで、

 

“ メリークルシミマス  ” 

 

テレビが見せているようには、世の中、リッチでシアワセな人たちばかりではありません。

 

さて、

 今夜は「クリスマスキャロル」(ディケンズ)の朗読でも聞いて眠ろうかな・・・

 

 

 


     

 


    

   

 

 

 



 

しばらく肉体的、精神的にハードな

日々が続いたため、今日は寝込んでいる(笑)

     f:id:hibi333zakkan:20181217120004p:plain 熱がでているというほどではないんだけど、全身筋肉痛、全身倦怠感。

 

若いときからは考えられないほどの体力の無さ、体質の弱さ。

 

横になったまま、のた打ち回っている。

 

がん患者の人が亡くなるときは、猛烈な?倦怠感(だるさ)に襲われるというけど、この状態をもっともっとひどくしたものなのかな?

そう考えると、がんはやはりいやなものだ(あたりまえ(笑))。

 

痛みもたまらないけど、倦怠感のひどいのも耐え難いつらさ。

 

十数年前、倦怠感の弱いものというか、わけのわからない脱力感に一ヶ月ほど悩まされたことがある。

身体にとくに異常があるというわけではなく、仕事もふつうにできているのだが、なんとなく根気がなくなり、ここぞというときの頑張りがきかない。

身体の下半分からスースーと力が抜けて行っているような感じだった。

 

「ひょっとして(がんとか)重大な病気でも潜んでいるんじゃないか~?」(´`)

と取り越し苦労をして、当時がんにも効く温泉として雑誌などで紹介されていた、山梨県にある増富温泉に行った。

 

痛風にも効く、とあったから、二重の魅力(^^)

f:id:hibi333zakkan:20181129205717j:plain休みがとれると車を飛ばして行った。

 

ふつう、予約をしていないとまず泊まることのできない温泉なのだが、そんなことも知らずにいきなりやってきたわたしに旅館の人は親切に対応。

苦笑いしつつも、

「一部屋あいていますから、どうぞ」

 

何も知らないわたしは、ひとりではもったいない広くていいお部屋へ。

(あとから考えると、料金も安くしてくれていたようだ)

 

期待した温泉は、

「なんじゃこりゃー」

 

なんと湯温約30℃! 体温より低い。

 

しかし、がまんして首までつかっていると、だんだんと身体の中心部が(微かに)温まってくる。

 

途中で2~3回小用をたしつつ、日が暮れるまで入っていた。

 

出ると、「湯疲れ」。(効いているということか?)

少し「ぐたっ」としたが、悪い倦怠感ではなく、むしろ快いものだった。

 

卓上にはお銚子に入った飲用の温泉水。

うまいものではないけれど、湯上りの喉にはちょうどよかった。

 

食堂で食べる夕食もお品書きの添えられた立派なもの。

が、隣の人はじっと料理を見つめているばかりで、まったく箸に手をつけようとしない。

しばらくすると料理をそのままにして食堂を出て行った。

 

その温泉は、重病の人も多く利用するということだったから、その人もふつうの料理がまったく喉を通らないほどの病気だったのだろう。

まだ50歳そこそこという感じで、外見は健康そうに見える人だったけど。

 

その後何回かその温泉に行きわたしの「症状」もだんだんと消えていったが、温泉がどの程度役に立ったかはわからない。

 

ただ、その温泉は一部の人には奇跡的な回復作用があるようで、末期の肺がんの人が治癒したりすることもあるらしい。

 

その「効能」の秘密は、あの「冷たい」お湯にあるのかな?

と、今は思っている。

 

体温より低いお湯なのに、長く入っていると身体の中心の一部が「ぽっ」と温かくなってくる感覚。

あれが、とても「いい」のだと思う。

 

・・・と、思い出しつつ、今は温泉どころか銭湯にも行く気力がない。室内のシャワーさえ浴びたくない(笑)

 

ただただ、唸ってゴロゴロするだけ。

 

自業自得のわたしの状態はともかく、わたしの周りでは最近、健康の不安を口にする人が増えている。

年齢的なものが大きいだろうけど、なかには、「時代の区切り」に対する不安を口にする人もいる。

 

「平成」が終わって、新しい「天皇」の年号に変わる際に年配の人の多くが亡くなるのではないか?というのだ。

 

「ひとつの区切り」ということで、「がくっ」となる人が多い、ということなのか?

 

そういえば、「昭和」が終わる際、文化人などの有名人がけっこう亡くなったように記憶している。

 

「ひとつの時代の終わり」

というのはそういうもの?なのだろうか。

(案外、官=厚生労働省の意向を受けたお医者さんたちが、「殉死」よろしく、文化人や有名人、年配者などを「お殺し」になっていたりして ← 冗談、冗談(^^;)冗談だよー(笑))

 

それにしても、多くの人たちにこの「時代の区切り」を「不安」かつ「憂鬱」なものに感じさせているのは、「新しい時代」の見通し、展望がまったく見えていないことに原因があるだろう。

 

「いちおう現状が保証、維持されて、そこから「よりよい」「より平和で暮らしやすい」社会、時代を目指す、という確固たる展望が示されているのなら、別に不安はないのだけれど、

 

その「転換」に向けて、安倍政権が「人権と平和と民主主義の」憲法を(前時代的な発想で)変えようとしていること、

 

一定のエリートと正規公務員など(←支配層の使用人?)は優遇しつつ、庶民なかんずく老人や障害者、貧者、非正規労働者などの弱者を叩いて「沈め」、格差を拡大する政策をとっていること、などを考えると、その「時代の転換」が民衆にとっていいものだとはどうしても思えないのだ。

 

財閥・独占資本家、世襲政治家、学閥官僚&OB、エリート公務員などの身分を保証された「支配層」以外、

の誰もが多かれ少なかれ将来に不安を感じている。

 

「次の天皇」はそんな状況の中で「即位」するのだ。

そして「新天皇」がどういう「考え」を持っているのか?どういう人なのか?庶民にはもうひとつわからないでいる。

 

いずれにせよ、いまの自公政権的右翼「改憲」新天皇あるいは「格差」=「差別」の上に乗っかる新天皇像がイメージされるようでは、庶民にとって「希望」より「絶望」のほうが大きいだろう。

 

正直、わたしもかなりの「不安」を抱いている、というのが正直なところだ。

f:id:hibi333zakkan:20181217140545j:plain← 19世紀前半のスペイン皇帝、フェルナンド7世。

こういう「皇帝」=「天皇」にはなっていただきたくないものだ(笑)※

(フェルナンド7世については、また触れることがあると思う)

 

 

それにしても、

あーーー、だるい、痛い、クルしい~~~ヽ(×-×)ノ~~~~~~

このままゴロゴロしていたいけど、食料を買いに行かねば~~~~トイレットペーパーも買いに行かねば~~~~~~~~~(笑)

つら・・・     このまま埋もれてしまいたい・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20181217153247j:plain ゴヤ「鰯の埋葬」

このお祭り?で埋められる鰯(イワシ)のように、人々のバカ騒ぎから(土の下という)隔絶したところでごまめ(小さなイワシ?)の歯ぎしりをしている、というのもいいかも(・・・やばいなあ)笑

 

 いてててててて(笑)

 

※市民、庶民を裏切り、立憲主義も否定。(肖像画作者もゴヤ

 

 



 

 

 

最近、一日一回はマーラーの巨人(タイタン)を

聞いている。

 

ストレスでささくれ立った気持ちを落ち着かせるには、やはりこれがいちばん。

 

昔、聞きすぎたため、しばらくは遠ざかっていたのだが、最近心理的につらいことが続いていて、再び聞くようになった。

 

とくに気にいっているのは第三楽章の「葬送行進曲」(笑)

 

腕利きの猟師が死んで、その葬列を森の動物たちが先導して行くという民謡だか民話がモチーフになっている、という曲の「解説」(一説?)を読んで、より好きになった。

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対人関係に悩んだときなどは、これしかない、という感じ。

聞いているうちに、たとえば猫の逆立った毛がスーッと滑らかに収まって行くような気持ちになって、平常心が戻ってくる。

                              f:id:hibi333zakkan:20181205025235p:plain

             f:id:hibi333zakkan:20181205025425p:plain

で、すっかり静かないい気持ちにひたっていると、

いきなり、第四楽章の冒頭の部分で“ガツーン”とやられて(笑)、少し現実に引き戻されるのだが・・・

 

もう聞きなれた曲なので、第四楽章が始まる直前に思いっきりボリュームを絞るようにしている。

それでも“カツン”くらいの衝撃(笑)

 

今日も眠る前に“タイタン”を聞こう。

気持ちが平静であれば不運も去るのが早い。(経験上)

 

不運のときは忍耐第一で、平常心と常識を保つこと。

誰にだって悪いとき、不運のときはある。

 

ツライけど、人間のありがたさがほんとうにわかるのは、そういうときでもある。

 

・・・「ああ、こういう人はいけないな」

ということがわかるのも(笑)

 

「不運」、「苦悩」とは、まさに神さまから与えられた試練。

誰も何も恨まず、その「不運」「苦悩」を「味わう」くらいでいたい。

 

けど、なっかなかそうはいかないんだよなァ(笑)

 

ということで、さて聞こ(^^;)

 

心静かに ・・・・・静かに・・・・静かに・・・・

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https://youtu.be/Cn3vFK6u7lk

 

 

                              

                            おやすみなさい

 

 

 

一度行ってみたいな、と思っていた銭湯に

行ってきた。

 

北区西ヶ原にある殿上湯というお風呂屋さんだ

 

行ってみたかった理由は、昔、このお風呂屋さんに大杉栄伊藤野枝が通っていたことがあった、と聞いたから。

 

「へー、そんなお風呂やさんがまだ残っていたんだー」

 

わたしはもともとお風呂やさんや温泉施設が大好き。

そこへもってきて、わたしが気になっている歴史的人物が通っていたとなるとたまらない。

 

大杉栄伊藤野枝の在りし日の姿を想像しつつ、大正ロマンの雰囲気に浸れるんじゃないか、とやってきた。

 

目指すお風呂屋さんは、路地を少し入ったところにあった。少しわかりづらい。

 

f:id:hibi333zakkan:20181128190856j:plain 思っていたよりこじんまりした感じ。

「歴史」を知らなければ、ごく普通のお風呂屋さん。

 

内部も、東京の伝統的なふつうの作り。

でも、お湯の質は良かった。

 

井戸水なので、温泉のようにじっくりと温まる。肌触りももちろんいい。

しかも、わたしが行ったのは8時過ぎと、銭湯がいちばん空いている時間帯だったので、途中から入浴者はわたし一人。

湯の温度もいいし、伝統的な銭湯?を独り占め\(^^)/

じつに気分がいい。

 

ただ、大正ロマンに浸っているという気分はない、というか忘れてしまっていた(笑)

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わたしのお風呂の入り方というのは、最初お湯につけるのは心臓から下のところまでで、絶対に心臓はお湯につけない。

そして、湯から上がる直前の1分間くらいだけ、首までザンブとつかる、というもの。

 

これをやると、かなりの長時間、お湯につかっていることができて、じっくりと温まり、出てからもポカポカとしばらくは身体が温かい。

しかも、絶対に湯あたりしない。

 

わたしがこの入浴法をやりはじめたのは、二十年ほど前、新宿区にある銭湯で、元気そうな老人が、医者から聞いた効果的な温泉の入浴法として話しているのを聞いてから。

 

この日は他のお客さんがいない時間が長かったので、ゆっくり温まることができた。

 

「歴史」を感じさせるというよりも、アット・ホームな柔らかさを感じさせる銭湯だった。

 

帰宅してネットで「殿上湯」というのを検索してみると、そのお風呂屋さんは昔文京区にあったのを戦後、現在のところに移転してきたものだという。

 

うーん、大杉栄伊藤野枝が通っていた場所ではなかったのか(笑)少し残念。

 

図書館から借りていた「大杉栄全集」((株)ぱる出版)の第3巻を開いて拾い読み。

 

憲兵隊に殺されるくらいだから相当過激な人かと思ったら、著作を読むかぎり、先進的ではあるけれど、ふつうの市民主義、民主主義者という印象だ。

一貫しているのは「個人主義」だが、これもエゴイズムのそれではなく、個人の自由を追い求めながらも他者への理解、相互扶助を強調していて、ついこの間までの日本ではあたりまえのことというか、穏健な革新派の範疇に収まっていたものだろう。

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大杉栄が立脚していたのはあくまでも人民大衆。

その立場から、人民を搾取・抑圧する財閥資本家、官僚閥、軍閥などによる全体主義体制を批判する進歩的知識人だった。

それでも戦前の全体主義体制にとっては刺激的だったのだろう。

また、大杉栄の文章もなかなか「挑戦的」ではあった。

たとえば、『秩序紊乱』(ちつじょびんらん)、と題された次のような文章。

 

⇒ 『ぼくらは、すでに幾度か、いわゆる「秩序」を「紊乱」(びんらん)した。また幾度かいわゆる「朝憲」(ちょうけん)を「紊乱」した。そして今また本紙(平民新聞)の第一号によっていわゆる「安寧秩序」(あんねいちつじょ)を「紊乱」した。

 

「秩序」とは何ぞや。またその「紊乱」とは何ぞや。

ぼくらはただ、ぼくら自身の苦(にが)き生活の経験によって、その真実を知る。

 

人類の多数が、少数(※資本家、既得権益者)のあくなき貪婪(どんらん)と驕慢(きょうまん)と痴情(ちじょう)とを満足せしめんがために、刻苦(こっく)して労働する。これすなわち「秩序」である。

 

人類の多数が、物質的生活と精神的生活との合理的発達に必要なるあらゆる条件を奪われ、科学的研究(※科学の進歩)や芸術的創造によって得られた楽しみを夢だにも知らざる、その日稼ぎの駄獣(だじゅう)的生活に堕す。これすなわち秩序である。

 

人類の多数が、あらゆる奢侈(しゃし)品や必要品のうずたかく積みこまれたる倉庫の前に、あるいは餓死(がし)せんとし、あるいは凍死せんとする。これすなわち秩序である。

 

人類の多数が、男は機械のごとく働き、女は大道に淫(いん)をひさぎ、子は栄養不良のために死ぬ。これすなわち秩序である。

 

雇い主の貪欲(どんよく)なる怠慢(たいまん)のために、あるいは機械の破裂や、あるいはガスの爆発や、あるいは土くずれや岩くずれの下に、毎年数千数万の生命を失う。これすなわち「秩序」である。

 

人と人との、国と国との、たえざる戦争、

海に、山に、空にとどろく銃砲(じゅうほう)。田園の荒廃。幾世紀かのあいだの幾多の膏血(こうけつ)の累積(るいせき)よりなる(※人民の)富の破壊。

数万、数十万、もしくは数百万の若き生命の犠牲。これすなわち「秩序」である。

 

而(しこう)してついに。鉄と鞭(ムチ)とによって維持さるる、

動機と感情と思想と行為の束縛。したがってその(人民の)屈従。

これすなわち「秩序」である。

 

しからばこの「秩序」の「紊乱」(びんらん)とは何ぞや。

 

あらゆる鉄鎖(てっさ)と障碍(しょうがい)物とを破棄しつつ、さらによき現在と将来とを獲得せんがために、この堪(た)えるべからざる「秩序」に反逆する。これすなわち「秩序」の「紊乱」である。

 

              ~~~略~~~

 

真に自己のためなると同時に、また他の同類(人間)のためなる、もっともうるわしき激情の爆発。もっとも大いなる献身(けんしん)。もっとも崇高(すうこう)なる人道愛の発現。これすなわち「秩序」の「紊乱」である。

 

ああ、ぼくらはついに、生涯を通じてこの「秩序」の下に蠢動(しゅんどう)しつつ、その「紊乱」に従わなければならぬ。

「秩序」はぼくらの真の死であり、その「紊乱」はぼくらの真の生である。』

 

このように、市民的自由、個人の尊厳を主張していると、「国」が「殺し」にくるのが戦前の日本の体制?

 

大杉栄伊藤野枝と、甥の子どもまで殺した憲兵隊の実行犯の一人であった甘粕大尉は、アジア太平洋戦争の敗戦時に自殺したが、自殺する前に、

大杉栄たちを殺す命令を出したのは憲兵隊の司令官だったのか?」

と問うた人に

「もっと上だ」

と、薄笑いを浮べて言った。

 

「戦前の日本の体制」と書いたけど、基本的なものは戦前も戦後も同じなんだよなあ。

今の改憲政治体制はそのことを如実に証明している。

 

うーん、と思ってさらに頁(ページ)をめくると、「<種の起源>について」という題の文章があった。

 

大杉栄は1914年の10月から翌年の7月にかけて、新潮文庫から5分冊にしたダーウィンの「種の起源」を翻訳発刊していて、

そのダーウィンの学説である「生存競争」の人類社会に対する功罪を論じたものを「新潮の1914年12月号に載せた、その文章。

 

この時代に、ダーウィン学説が人類社会に悪影響を及ぼす可能性を論じているのはかなりすごいことだと思う。

 

たとえば

⇒ 『~ しかし、ここにただ一言しておきたいのは生存競争のことだ。

これは自然淘汰説すなわちダーウィニズムの根底になるのであるが、それと同時にまた、これほど社会現象の上に応用された生物学説はない。

 

そして今日では、この生存競争もしくは適者生存という言葉が、学者のあいだにもまた通俗の人のあいだにも、社会現象のほとんどすべてを説明する常套語(じょうとうご)になっている。

 

しかもこの言葉は、常に誤用(ごよう)され、かつ悪用されて、現代社会の欠陥(けっかん)を永遠に続けて行くことを承認する憑拠(ひょうきょ)になっている』

 

として、今で言う「社会ダーウィニズム」の危険性を的確に指摘している。

・・・たぶん、この時代にはまだ「社会ダーウィニズム」という言葉さえなかったのではないか、と思うのだが?

 

もし大杉栄が国によって殺されずに、彼の思想が一定の影響を持つことになっていれば、戦後の優生思想(社会ダーウィニズムによる)に基づく「強制断種手術」にもブレーキがかかった可能性があるのではないだろうか?

 

いずれにせよ、大杉栄の「先進性」は群を抜いていて、「現代」的である、とさえ言える。

 

それにしても、大杉栄はなぜあんな殺され方をしなくてはならなかったのか?

 

そして今また、甘粕大尉を満州の夜の帝王にした権力者(岸信介)の孫さんとその一党によって、民主憲法が破壊され、日本は再び暗い時代を迎えようとしているようなのだ。

 

 

・・・せっかくお風呂で温まったのに、引用文ばかりの固い文章になってしまった。

今日はぐっすり眠れると思ったのに(笑)

 

本日読んだお仲間ブログ

「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」

の記事。身につまされました。

 

ほんとうに日本の支配体制は変わらない。

どうしてなんでしょうかねえ?

 

というか、世界全体も悪い方向に行っているような気がして、気持ちが穏やかではない。

分岐点といえば分岐点なんだろうけど。

 

なんとなく気持ちが穏やかではないときは、

マーラー交響曲1番「巨人」(タイタン) \(^^)/

 

聞きながら眠ろう。 おやすみなさい。

 

              (引用文はごく一部読みやすいようにアレンジしました)

 

 

 

三日ほど前、急に、ひょっとして倒れて

しまうんじゃないか?と思うほどの体調の悪さに襲われた。

 

わたしは20代の頃、急性肝炎で入院したことがあるのだが、それに匹敵するしんどさだった。

「もしかして重病か?」

 

体を動かすのもおっくうだったので、

「これ、どうなるんだろう?」

と思いながら椅子に座って、しばらく身動きしないでいた。

 

すると、オナカがキリキリと催(もよお)してきたので、トイレへ。

                               f:id:hibi333zakkan:20181125191738j:plain

で、出すものを出したのはいいのだが、その出したもののクサイことクサイこと

f:id:hibi333zakkan:20181125192106j:plain これまでの人生で屈指の臭さだった。

 

「なんでわたしがこんなクサイうんこをするのだ?」と思いつつ、鼻をつまみながら流したのだが、

・・・あら不思議

あれほど悪かった体調が、すっかり回復している。

さっきまで体調不良で苦しんでいたのがウソのように元気を取り戻した。

 

そういえば、調子の悪いときにトイレに行くと、通常とは違うクサイうんこが出て、体調が回復するということがこれまで何度かあることはあった。

 

しかし今回ほどしんどくなったことはなかったなァ。

中高年になると、老廃物も溜りやすくなるということか?

 

しかし、食べているものはいつもと変わらないのに、突如、体調を悪くするうんこが発生するというのは、ちょっと納得がいかない。

 

ということで、少し調べてみると、

「うんこのニオイが特別クサくなるのは、体が酸性になっているからだ」

と書いている本を見つけた。

 

その本によると、人間が心臓麻痺などで突然死したりするのは、体が酸性になっているときだ、ということで、

脳梗塞や脳溢血で倒れた人の、倒れた直後の便(べん=うんこ)はひどくクサイのだとか。

 

そうすると、わたしがクサイうんこをして、その後元気になるということは、うんこをすることによって、酸性の身体が正常に戻るということなのだろうか?

 

うーん。なぜそうなるのかは、もうひとつ良く理解できないが、突如倒れる人の体内にクサイうんこが溜っている、というのは、実感としてわかる。

 

すると、わたしも危機一髪だったわけか?

たしかに、しんどいのを無理して何かアクティブなことをやっていたりしていたら、倒れた可能性もあったかもしれない。

わたしも血圧が高いからなァ・・・

 

まあ、何事も無理は禁物ということだろう。

 

あと、このあいだのように公共的な共同トイレで特別クサイうんこをしたようなときは、周りに気を使う。

公共のトイレは上が開いているから、トイレ全体にニオイが拡散してしまうからだ。

 

これで思い出したのが、中学時代の昼休み、

わたしがトイレ(小)に行くと、どちらかといえばガラの悪い上級生たちが数人集まって大騒ぎしていた(わたしは1年坊主)。

 

「うわっ、くっせー」

「なんだよこれは」

「誰だよこんなクサイうんこをするやつはー」

「鼻がひん曲がる~~~」

等等。

なかには、ぴょんぴょん飛び跳ねて、トイレ(ニオイの発生源となっている大便所)の中を見ようとする者までいる。

 

わたしは、先輩たちを避けるようにして、少し小さくなって小用をたしていたのだが、

なるほど、信じられないほどの臭さというか、ニオイがトイレ全体に充満していた。

 

少しすると、水を流す音がして、中の人が出てきたのだが、なんと、それは

「先生」。しかもこわもてで有名な先生だった。

 

先輩たちは、先生の顔を見ると一斉に逃げ出し、あっという間にいなくなってしまった。

 

先生は、ずいぶん怒っているかと思いきや、いつもに似合わず、決まり悪そうにニタニタと笑っていて、

手を洗うと、足取りも軽く?トイレを出て行った。

 

・・・あのときの先生の状態が、今ならよくわかる。

クサイうんこを出したあとの爽快感で、生徒たちの事などどうでもよくなっていたのだ。

たぶん、うんこをする前は相当体調が悪かったに違いない。

 

それにしてもあのときの先生のニタニタ顔は、今でも強く印象にのこっているなあ。なぜか(笑)

 

f:id:hibi333zakkan:20181125210525j:plain 秋から冬へ。急に寒くなった。

若い頃は気にならなかった季節の変わり目が、少し身体にこたえるようになっている。

 

季節も世の中も休みなく変わっているのだから、自分の身体も刻々と変わっていっているのだろう。

 

若いときは無理をするのが楽しい?というようなこともあったが、今は無理は禁物。

自然に逆らわない生活ができれば、それに越したことはない。

 

が、

それにしても、

いいトシをして無理のごり押しばかりしている首相の下で、

その「無理」の結果としての災難からは逃れようがない、というのは、

なんともやりきれない話だ。

 

大国を治むるは小鮮(しょうせん=小さな魚)を煮るがごとし (老子

 

無理をして鍋(=国、国民の生活)をつつき(引っかき)まわして小魚(国民)の身を崩すようなことは、してほしくないものだ。

 

もっとも、今の政、財、官、メディア・独占企業エリート・・・

庶民、弱者体験ゼロの人たちばかりでは、何を言っても理解してもらえないんだろうなァ。

 

 

 

 

昔のことといえば、

学生時代、わたしは過激派といわれていた某セクトの秘密組織というか、“法律に触れても仕方ない?”組織?にいたことがあった。

 

そのときのことは詳しくは話せないが、非合法といっても、捕まってもせいぜい罰金程度のことしかしていない(笑)

 

しかし、もはや学生運動の時代も、「実力闘争」の時代も過ぎ去っていて、セクトも組織も崩壊の一歩手前。思想がどうのこうのというより組織の維持に必死のときだった。

 

と、これ以上は話せないが(笑)

とにかく、わたしは半年ほどの活動で、精神的にも肉体的にも限界を越えてしまった。

 

で、

逃亡。

田舎に逃げ帰った。

 

両親はべつに何も言わなかった。

 

帰ってしばらくすると、熱が出た。

最初は38度くらい。

風邪かな?と思ったけど、二日三日熱が下がらないので、町内にある公立病院に行って注射をうってもらい、熱さましの薬を出してもらった。

 

しかし、一向に熱が下がらない。

むしろ上がるばかり。

39度近くになったので、もう一度病院に行くと、お医者さんはやや首をひねり、熱を下げる座薬を出してくれた。

 

だが、座薬を入れても、まったく熱は下がらないで、さらに上がっていき、ついには39度の半ばから40度近くになってしまった。

ふらふらになりながらも、母に付き添ってもらって、病院へ。

状況を説明しても、お医者さんは困った顔をするばかりで、座薬以上の治療法は無い、という。

 

とにかく、座薬は出し続けるということだったので、そのまま家に帰ったが、その日ついに40度を0.2度ほど越えて、寝付いてしまった。

 

それからずっと39度後半から40度の熱が出続けた。

1週間、2週間・・・

座薬を入れると、ひどく発汗して、布団を変えるざるをえないので、母ひとりではどうすることもできず、元看護婦(師)だった兄嫁が応援に来てくれた。

 

ずっと高熱なのだが、わたしの意識ははっきりしているというか、むしろヘンに頭が冴えていて、夜もほとんど眠ることができずに、目をぱっちり開いて天井を見つめているばかりだった。

 

食事はできず、栄養ドリンクと水だけを飲んでいた。

 

2週間をすぎたあたりから、眠れない夜がたまらなくなって、一冊の本を読み始めた。

 

それが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。

以前買っていて、読まずに本棚にしまっていたものだった。

 

読み始めると、これがひどく面白い、というか一気に物語に引き込まれていった。

40度近い熱で、よく本が読めるな、と自分でも不思議だったが、ふだん本を読んでいるよりも深く入っていく、というか、物語りの情景なども、鮮やかに頭の中に浮かんできた。

f:id:hibi333zakkan:20181115134346j:plain なんだか変にリアルに・・・

もちろん長い時間は読めないから、少しずつ読んでいくのだが、それで十分だった。

 

熱はまったく下がらないのに、読書を楽しんでいるという不思議な状態(笑)

 

眠れないのと高熱で神経も少しイカれてきたのか、頭を少し動かすと首から後頭部にかけてピキーンという感じで鋭い痛みが走るようになったが、それでも本は読めた。

三週間目が近くなると、さすがに両親もこれはヤバイと思いはじめたのか、動きが少しおかしくなってきた。

 

公立病院のお医者さんはこれ以上やりようがない、ということで往診を依頼してもこないので、町内で開業医をしているお医者さんにきてもらった。

その開業医さんは注射を一本うってくれたが、やはりどうしようも無い様子。

 

「あとは心臓が・・・(もつか?)」

とぽつりと言って、視線を落としていた。

 

その開業医さんもそれきりだった。

(みんなに見放された?(笑))

 

その後もわたしは「高熱」-「発汗」の繰り返し。

 

それでもわたしは「銀河鉄道の夜」を読み続けたのだが、終わり近くになると、本を開くたびに、一本の長いはしごが夜空に伸びていく光景が見えるようになってきた。

f:id:hibi333zakkan:20181115134628j:plain(はしごにみえなくもない?もっともわたしがリアルに見ていたのは木製の長いはしご)

 

「ああ、銀河鉄道の夜って、こういう物語だったんだな。空に向かってはしごを登って行くという・・・」

そんなことを漠然と考えるようになっていた。

(しかし、「あの世」のことはほとんど意識しなかった。

わたしは自分が死ぬなどとは毛ほども思っていなかったので(笑))

 

そのうち、本を読み終えた。

 

読み終えると、それまでの緊張感がなくなって、わたしはちょっとぐったりとなった。

 

すると

「いよいよ、あかん」

と思われたのか、父親は会社を休み、都会に出ている兄や姉も帰ってきた。

 

わたしは「え?なんで」と思って不思議な気持ちがしているだけだったのだが・・・

 

その次の日から熱が下がり始めた。

熱は下がり始めると早く、2~3日で、ウソのように「安全地帯」の体温に戻っていった。

 

けっきょく、約1ヶ月近く高熱に苦しんだことになる。

 

心臓が全然平気だったのは、高校時代スポーツ浸けで、「ちょっとは勉強もさせてよ」という状態だったので、

(いちおう)体が鍛えられていたおかげだろう(^^;)

 

しかし、このとき以来、体質が変わったのか、病気をしやすくなり、とくに20歳代にはいくつかの慢性的な病気に悩まされた。

 

その後、「銀河鉄道の夜」をもう一度読み返してみたが、病気のときに読んだものとは「別物」、「別の世界」だった。

 

それにしても、わたしの学生時代の「過激派」体験はいま思い出しても、体がどーんと重くなるような苦しいものだった。

こういってはなんだが、どんなブラック企業にいるよりも精神的、肉体的に辛いものだ、と自信をもっていえる。

ブラック企業勤めで精神的、肉体的に障害を負ったりすれば別だろうけど)

 

ただ、その辛い体験は、精神的、肉体的破綻からきていて、思想的なものではなかった?ので、それでわたしが一気に「転向」したというわけではない。※1

 

わたしが中庸からやや左より、というポジション(と自分では分析している)になったのは、その後の人生経験の結果だと思う。※2

 

それにしても、世の中で最も厳しい「地獄の体験」が「戦争体験」だろう、ということは容易に想像がつく。

それが平気、あるいは戦争を煽っているというようないまの政府、メディアが信じられない。

        

                     

 ※1 ただ、ユング流の精神分析によれば、田舎に逃げ帰った時点でわたしは「転向」したことになるようだ。(だから、死にかけた?)

 

しかし、わたしは元々&一貫して軟弱だったわけで、「転向」というほど大げさなものではなかった、と思うんだがなァ・・・

 

※2 わたしの私説?によると(笑)、この国では、右翼=後退(1%側)、保守=停滞(1%側)、左翼=人民のための革新を目指す99%の側。(当然、異議は認めます(笑))

中庸よりやや左というのは、中庸を保ちつつも常にフォアザピープルのための改善を行おうと努力し続けることで、過激あるいは独善的な改革は否定。

日本国憲法で言う「この憲法=人権、民主主義、平和」を守るための「不断の努力」という、この「不断の努力」という言葉が「やや左」という立場に近い。

庶民(99%)第一で、少しずつでも庶民の生活がよくなるように、暮らしやすくなるように努力し続けてほしい、という庶民(わたしも)のささやかな願いのことです。              

     f:id:hibi333zakkan:20181115150755j:plain  (^-^)