昔のことといえば、

学生時代、わたしは過激派といわれていた某セクトの秘密組織というか、“法律に触れても仕方ない?”組織?にいたことがあった。

 

そのときのことは詳しくは話せないが、非合法といっても、捕まってもせいぜい罰金程度のことしかしていない(笑)

 

しかし、もはや学生運動の時代も、「実力闘争」の時代も過ぎ去っていて、セクトも組織も崩壊の一歩手前。思想がどうのこうのというより組織の維持に必死のときだった。

 

と、これ以上は話せないが(笑)

とにかく、わたしは半年ほどの活動で、精神的にも肉体的にも限界を越えてしまった。

 

で、

逃亡。

田舎に逃げ帰った。

 

両親はべつに何も言わなかった。

 

帰ってしばらくすると、熱が出た。

最初は38度くらい。

風邪かな?と思ったけど、二日三日熱が下がらないので、町内にある公立病院に行って注射をうってもらい、熱さましの薬を出してもらった。

 

しかし、一向に熱が下がらない。

むしろ上がるばかり。

39度近くになったので、もう一度病院に行くと、お医者さんはやや首をひねり、熱を下げる座薬を出してくれた。

 

だが、座薬を入れても、まったく熱は下がらないで、さらに上がっていき、ついには39度の半ばから40度近くになってしまった。

ふらふらになりながらも、母に付き添ってもらって、病院へ。

状況を説明しても、お医者さんは困った顔をするばかりで、座薬以上の治療法は無い、という。

 

とにかく、座薬は出し続けるということだったので、そのまま家に帰ったが、その日ついに40度を0.2度ほど越えて、寝付いてしまった。

 

それからずっと39度後半から40度の熱が出続けた。

1週間、2週間・・・

座薬を入れると、ひどく発汗して、布団を変えるざるをえないので、母ひとりではどうすることもできず、元看護婦(師)だった兄嫁が応援に来てくれた。

 

ずっと高熱なのだが、わたしの意識ははっきりしているというか、むしろヘンに頭が冴えていて、夜もほとんど眠ることができずに、目をぱっちり開いて天井を見つめているばかりだった。

 

食事はできず、栄養ドリンクと水だけを飲んでいた。

 

2週間をすぎたあたりから、眠れない夜がたまらなくなって、一冊の本を読み始めた。

 

それが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。

以前買っていて、読まずに本棚にしまっていたものだった。

 

読み始めると、これがひどく面白い、というか一気に物語に引き込まれていった。

40度近い熱で、よく本が読めるな、と自分でも不思議だったが、ふだん本を読んでいるよりも深く入っていく、というか、物語りの情景なども、鮮やかに頭の中に浮かんできた。

f:id:hibi333zakkan:20181115134346j:plain なんだか変にリアルに・・・

もちろん長い時間は読めないから、少しずつ読んでいくのだが、それで十分だった。

 

熱はまったく下がらないのに、読書を楽しんでいるという不思議な状態(笑)

 

眠れないのと高熱で神経も少しイカれてきたのか、頭を少し動かすと首から後頭部にかけてピキーンという感じで鋭い痛みが走るようになったが、それでも本は読めた。

三週間目が近くなると、さすがに両親もこれはヤバイと思いはじめたのか、動きが少しおかしくなってきた。

 

公立病院のお医者さんはこれ以上やりようがない、ということで往診を依頼してもこないので、町内で開業医をしているお医者さんにきてもらった。

その開業医さんは注射を一本うってくれたが、やはりどうしようも無い様子。

 

「あとは心臓が・・・(もつか?)」

とぽつりと言って、視線を落としていた。

 

その開業医さんもそれきりだった。

(みんなに見放された?(笑))

 

その後もわたしは「高熱」-「発汗」の繰り返し。

 

それでもわたしは「銀河鉄道の夜」を読み続けたのだが、終わり近くになると、本を開くたびに、一本の長いはしごが夜空に伸びていく光景が見えるようになってきた。

f:id:hibi333zakkan:20181115134628j:plain(はしごにみえなくもない?もっともわたしがリアルに見ていたのは木製の長いはしご)

 

「ああ、銀河鉄道の夜って、こういう物語だったんだな。空に向かってはしごを登って行くという・・・」

そんなことを漠然と考えるようになっていた。

(しかし、「あの世」のことはほとんど意識しなかった。

わたしは自分が死ぬなどとは毛ほども思っていなかったので(笑))

 

そのうち、本を読み終えた。

 

読み終えると、それまでの緊張感がなくなって、わたしはちょっとぐったりとなった。

 

すると

「いよいよ、あかん」

と思われたのか、父親は会社を休み、都会に出ている兄や姉も帰ってきた。

 

わたしは「え?なんで」と思って不思議な気持ちがしているだけだったのだが・・・

 

その次の日から熱が下がり始めた。

熱は下がり始めると早く、2~3日で、ウソのように「安全地帯」の体温に戻っていった。

 

けっきょく、約1ヶ月近く高熱に苦しんだことになる。

 

心臓が全然平気だったのは、高校時代スポーツ浸けで、「ちょっとは勉強もさせてよ」という状態だったので、

(いちおう)体が鍛えられていたおかげだろう(^^;)

 

しかし、このとき以来、体質が変わったのか、病気をしやすくなり、とくに20歳代にはいくつかの慢性的な病気に悩まされた。

 

その後、「銀河鉄道の夜」をもう一度読み返してみたが、病気のときに読んだものとは「別物」、「別の世界」だった。

 

それにしても、わたしの学生時代の「過激派」体験はいま思い出しても、体がどーんと重くなるような苦しいものだった。

こういってはなんだが、どんなブラック企業にいるよりも精神的、肉体的に辛いものだ、と自信をもっていえる。

ブラック企業勤めで精神的、肉体的に障害を負ったりすれば別だろうけど)

 

ただ、その辛い体験は、精神的、肉体的破綻からきていて、思想的なものではなかった?ので、それでわたしが一気に「転向」したというわけではない。※1

 

わたしが中庸からやや左より、というポジション(と自分では分析している)になったのは、その後の人生経験の結果だと思う。※2

 

それにしても、世の中で最も厳しい「地獄の体験」が「戦争体験」だろう、ということは容易に想像がつく。

それが平気、あるいは戦争を煽っているというようないまの政府、メディアが信じられない。

        

                     

 ※1 ただ、ユング流の精神分析によれば、田舎に逃げ帰った時点でわたしは「転向」したことになるようだ。(だから、死にかけた?)

 

しかし、わたしは元々&一貫して軟弱だったわけで、「転向」というほど大げさなものではなかった、と思うんだがなァ・・・

 

※2 わたしの私説?によると(笑)、この国では、右翼=後退(1%側)、保守=停滞(1%側)、左翼=人民のための革新を目指す99%の側。(当然、異議は認めます(笑))

中庸よりやや左というのは、中庸を保ちつつも常にフォアザピープルのための改善を行おうと努力し続けることで、過激あるいは独善的な改革は否定。

日本国憲法で言う「この憲法=人権、民主主義、平和」を守るための「不断の努力」という、この「不断の努力」という言葉が「やや左」という立場に近い。

庶民(99%)第一で、少しずつでも庶民の生活がよくなるように、暮らしやすくなるように努力し続けてほしい、という庶民(わたしも)のささやかな願いのことです。              

     f:id:hibi333zakkan:20181115150755j:plain  (^-^)