しまうんじゃないか?と思うほどの体調の悪さに襲われた。
わたしは20代の頃、急性肝炎で入院したことがあるのだが、それに匹敵するしんどさだった。
「もしかして重病か?」
体を動かすのもおっくうだったので、
「これ、どうなるんだろう?」
と思いながら椅子に座って、しばらく身動きしないでいた。
すると、オナカがキリキリと催(もよお)してきたので、トイレへ。
で、出すものを出したのはいいのだが、その出したもののクサイことクサイこと
これまでの人生で屈指の臭さだった。
「なんでわたしがこんなクサイうんこをするのだ?」と思いつつ、鼻をつまみながら流したのだが、
・・・あら不思議
あれほど悪かった体調が、すっかり回復している。
さっきまで体調不良で苦しんでいたのがウソのように元気を取り戻した。
そういえば、調子の悪いときにトイレに行くと、通常とは違うクサイうんこが出て、体調が回復するということがこれまで何度かあることはあった。
しかし今回ほどしんどくなったことはなかったなァ。
中高年になると、老廃物も溜りやすくなるということか?
しかし、食べているものはいつもと変わらないのに、突如、体調を悪くするうんこが発生するというのは、ちょっと納得がいかない。
ということで、少し調べてみると、
「うんこのニオイが特別クサくなるのは、体が酸性になっているからだ」
と書いている本を見つけた。
その本によると、人間が心臓麻痺などで突然死したりするのは、体が酸性になっているときだ、ということで、
脳梗塞や脳溢血で倒れた人の、倒れた直後の便(べん=うんこ)はひどくクサイのだとか。
そうすると、わたしがクサイうんこをして、その後元気になるということは、うんこをすることによって、酸性の身体が正常に戻るということなのだろうか?
うーん。なぜそうなるのかは、もうひとつ良く理解できないが、突如倒れる人の体内にクサイうんこが溜っている、というのは、実感としてわかる。
すると、わたしも危機一髪だったわけか?
たしかに、しんどいのを無理して何かアクティブなことをやっていたりしていたら、倒れた可能性もあったかもしれない。
わたしも血圧が高いからなァ・・・
まあ、何事も無理は禁物ということだろう。
あと、このあいだのように公共的な共同トイレで特別クサイうんこをしたようなときは、周りに気を使う。
公共のトイレは上が開いているから、トイレ全体にニオイが拡散してしまうからだ。
これで思い出したのが、中学時代の昼休み、
わたしがトイレ(小)に行くと、どちらかといえばガラの悪い上級生たちが数人集まって大騒ぎしていた(わたしは1年坊主)。
「うわっ、くっせー」
「なんだよこれは」
「誰だよこんなクサイうんこをするやつはー」
「鼻がひん曲がる~~~」
等等。
なかには、ぴょんぴょん飛び跳ねて、トイレ(ニオイの発生源となっている大便所)の中を見ようとする者までいる。
わたしは、先輩たちを避けるようにして、少し小さくなって小用をたしていたのだが、
なるほど、信じられないほどの臭さというか、ニオイがトイレ全体に充満していた。
少しすると、水を流す音がして、中の人が出てきたのだが、なんと、それは
「先生」。しかもこわもてで有名な先生だった。
先輩たちは、先生の顔を見ると一斉に逃げ出し、あっという間にいなくなってしまった。
先生は、ずいぶん怒っているかと思いきや、いつもに似合わず、決まり悪そうにニタニタと笑っていて、
手を洗うと、足取りも軽く?トイレを出て行った。
・・・あのときの先生の状態が、今ならよくわかる。
クサイうんこを出したあとの爽快感で、生徒たちの事などどうでもよくなっていたのだ。
たぶん、うんこをする前は相当体調が悪かったに違いない。
それにしてもあのときの先生のニタニタ顔は、今でも強く印象にのこっているなあ。なぜか(笑)
秋から冬へ。急に寒くなった。
若い頃は気にならなかった季節の変わり目が、少し身体にこたえるようになっている。
季節も世の中も休みなく変わっているのだから、自分の身体も刻々と変わっていっているのだろう。
若いときは無理をするのが楽しい?というようなこともあったが、今は無理は禁物。
自然に逆らわない生活ができれば、それに越したことはない。
が、
それにしても、
いいトシをして無理のごり押しばかりしている首相の下で、
その「無理」の結果としての災難からは逃れようがない、というのは、
なんともやりきれない話だ。
大国を治むるは小鮮(しょうせん=小さな魚)を煮るがごとし (老子)
無理をして鍋(=国、国民の生活)をつつき(引っかき)まわして小魚(国民)の身を崩すようなことは、してほしくないものだ。
もっとも、今の政、財、官、メディア・独占企業エリート・・・
庶民、弱者体験ゼロの人たちばかりでは、何を言っても理解してもらえないんだろうなァ。