やはり眠る前に読む“書物”は聖書とか

「宗教関係」の本がいい。

 

ということで、今日はその聖書。

まず、目を閉じて気持ちを落ち着け、指先で「ここ」と思ったところをパッと開き、そのページを読む。

 

きょう開いて出てきたのは、旧約「エゼキエル書」の34.「イスラエルの牧者」。

わたし流の読み方で、「牧者」を支配者あるいは権力者、「群れ」を民衆と置きかえる。

 

拾い読み

『・・・ 主なる神はこう言われる。

災(わざわ)いだ、自分自身を養(やしな)う   牧者(支配者)たちは。牧者(支配者)は群れ(民衆)を養うべきではないか。

おまえたち(牧者)は乳(ちち)を飲み、羊毛(ようもう)を身にまとい、肥(こ)えた動物を屠(ほふ)るが、「群れ」を養(やしな)おうとはしない。

 

おまえたちは弱いものをを強めず、病(や)めるものをいやさず、傷ついたものを包(つつ)んでやらなかった。

 

・・・かえって力(ちから)づくで、過酷(かこく)に群れを支配した。

 

・・・ それゆえ牧者たちよ。主(しゅ)の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。

見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。 ・・・ 彼らに群れを飼うことをやめさせる。

牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食(えじき)にはさせないからだ。

・・・

わたしがわたしの群れを養い、憩(いこわ)わせる、と主なる神は言われる。

わたしは失われたものをたずね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。

しかし、肥えたもの(大金持ち?)と強いもの(権力者たち?)を滅(ほろ)ぼす。

わたしは公平をもって彼ら(民衆)を養う

・・・                                   』

 

う~ん、癒されるなァ。。。

牧者=オイシイ思いをしている、政・財・官、安倍政権とそのご一党さんたち?

 

いるねえ・・・(笑)

 

でも、クリスチャンでもイスラム教徒でもユダヤ教徒でもないニッポン人が救ってもらえるの? ・・・・・とのギモンが・・・・

 

で、昨日のわたしのブログ

f:id:hibi333zakkan:20180402211226j:plain←う~ん。。。。

まあ、「聖書」とは関係ないから、それほど心配はいらないと思うけど・・・

 

しかし、99%の日本人にとって「救い」って何なんだろう?

眠れそうな眠れなさそうな・・・

 

少し残っていた膀胱の違和感もなくなって

完治。

 

眠る前に、この間亡くなった西部邁さんの「無念の戦後史」を読む。

 

60年安保の「闘士」から転向して自民党支持保守主義者となって、東京大学教授にまで登りつめた人、ということで、正直、あまり好感が持てず、これまでこの人の著作を読む気にはなれなかった。

 

テレビなどでの発言にも、首が縦に動くよりは横に動くことのほうがが多かった。

 

それが読む気になったのは、入水自殺という「死に方」に引かれた?からだ。

“なぜ自殺という死に方を選んだのか?”

 

この「無念の戦後史」という本は、西部邁氏の生まれてからの思想遍歴を綴った半ば自伝的なものになっている。

 

読むと、なるほど、この人がたいへんな知識量の持ち主で、分析力も卓越した知性抜群の人だということがわかる。

「学校」の勉強をやらせれば、まず、パーフェクトだろう。大学での「研究力」?も凄いのだろう。

「知性」では、わたしなんぞは足元にも及ばない。超優秀な大学院生と成績の悪い小学生くらいの差はありそうだ。

 

もし大学でこの人の講義を聞いたとしても、「難しすぎてついていけんわ」というところだったろう。

やっぱ、超秀才の東大生に合った教授だと思った。知識量が半端ない。

 

こんな「先生」が「構造改革」や「グローバリズム」をその「知識」を基に批判してくれているのは有難いが、

 

しかし、何かが違う。

 

非常にわかりやすく書いてくれているのだけれど、「好きになれない」という言い方もどうかと思うが、「入っていけない」。

「立脚点」が違う。

まあ、西部氏が批判している「社会民主主義」に近い考え方をわたしがしている、ということもあるのだろうが、たぶん、決定的に違うのは「価値観」なんだと思う。

 

ユングによれば、「価値」を判断をしているのは「知性」ではなく、「感情」なのだという。

わたしが「違和感」を覚えるのは、その「価値判断」の部分なのだ。

 

この「知性」の「巨人」の「感情」「価値判断」というものはどういうものであったか?

 

ちょっと苦痛ではあるけれど、なんとかこの本を読み通して、そのあたりのところを見極めてみたい。

 

それにしても「東京大学法学部閥官僚さん」もそうだけど、一般人と隔絶した「知性」の超エリート秀才の世界(人)というのは、やはり苦手だなあ。。。

どこかで「共感」が遮断されているような・・・

本日は、とりあえず近くの図書館で

新聞各紙に目を通して

f:id:hibi333zakkan:20180401230237j:plain(しかしこれ、悲しい記事だなあ・・・解散迫れぬ野党・森友で攻勢も支持低迷・準備不足否めず・・・日経)

から、電車で巣鴨へ。

 

目的は、“膀胱に刺さった?トゲを抜いてもらうため、  って、ほんとうは気分転換なんだけど。わたしくらいのトシになると、都内では巣鴨がいちばん落ち着ける。

膀胱の症状はほとんどなくなっている。

f:id:hibi333zakkan:20180401231408j:plain途中の通りで、尺八を演奏している青年を見た。とてもいい音色を出していると思ったのだが、立ち止まる人は少ない。

いまのじいさんばあさんは、もはや、尺八と言われてもピンとこない世代なのだろう。グループサウンズ世代が70歳を越えている時代だものねえ。  ちなみに手前のおじさんはわたしではない(笑)

f:id:hibi333zakkan:20180401232346j:plainスマホのような機会を操作している女性の前にうずくまる盲導犬

わたしのようなロクデナシよりは、はるかに立派だ。

 

暖かな日曜日ということもあってか、今日の巣鴨は盲目の人や車椅子に乗った身障者の人が多かった。障害を抱えた人たちが違和感なく溶け込めている、というのは巣鴨のいいところだろう。

 

高齢化が悪い悪い、などという前に、高齢化すればしたなりの「よりよい社会」を目指していこうとするのが、「人間的な思考」じゃないか?

と思うのだが、安倍自民党政権や官僚の皆さまの考え方は、それとは逆方向のようだ。

 

しかし、盲目の人たちの「カン」には驚かされる。

通りで、白い杖をついた盲人同士が、かなりの速さで互いに正面から歩いてきて、衝突するか?と思った瞬間、(杖も触れないのに)互いに左右反対の方向に素早く体をかわしてすれ違っていた。

 

人間には潜在能力が相当あるんじゃないか?そんなことを思わされた一瞬だった。

 

人間、ぎりぎりいっぱい、限界だ、と思っても、それは限界ではない。人間には自分でも気のつかない、大きなものが眠っていて、それは「必要になれば」出現してくるものなのだろう。

 

年齢を重ねれば重ねるほど、自分が不思議なものに思えてくるし、自分の人生の邪魔をしていたのが自分自身の浅はかな思考だった、ということもわかってくる。(自分の本来の能力を“抑圧”“誤誘導”している)

 

そういう意味でも、相模原の障がい者大量殺人は罪深い行為だったと思う。「浅はかな思考」で人を殺すなど、もってのほかだ!

 

しかし、現在の日本は、その「浅はか」な方向へと一直線に進んでいる。

そして、それを推し進めるのは「カネ」、持てるものたちのさらなる「欲望」。

“一面”ばかりを肥大化させた人間、社会。ほんとうの他者(人間)を見失った、不毛の人間関係 = 差別と格差の社会。

 

人間が愛情のはけ口をペットに求めるのも、よくわかる。

 

とげ抜き地蔵さん=高岩寺に到着して、境内のベンチに腰をおろすと、昨日の夢のことでいろいろな想念が頭を駆け巡った。

 

たぶん、わたしは「一昨日の男」とかなりのことを語り合っていた。

 

暖かな日差しの下、小一時間ほど、ぼんやりとベンチに座っていて、帰途に着く。

 

けっきょく、手を合わせての参拝はしなかった。

なぜか、気が進まなかった。

 

f:id:hibi333zakkan:20180402010247p:plainなんだかなあ・・・。

 

 

桜の季節には魔物も出てくる

のか?29日の未明から「えらいこと」になった。

 

排尿切迫感、というのか、もれそうになるほど小便がしたくなって、いざトイレに行くと出ない。

これは悶絶もの。たまらない!

しかし、しばらくすると、より弱い排尿切迫感がやってきて、ちょろちょろと小便が出る。

これの繰り返し。30分~1時間ごとに排尿切迫感が襲ってきて、「出ない」「ちょろちょろ」の繰り返し。もはや一睡もできない。

f:id:hibi333zakkan:20180401031306p:plainおまけにちょろちょろ排尿時の尿道の痛み、出した後の残尿感も半端ではない。

 

「どんな病気だ?!」

ネットで調べてみると、いちばん近いのが「間質性膀胱炎」。

尿が濁っていないので、「こちら」になる。ふつうの膀胱炎や尿道炎だと尿が濁ったり血や膿が混じったりするらしいけど、わたしの尿には濁りはない。

 

とにかく、尿が全然出なくなるのは怖いので、アルカリイオン水をがぶ飲みして、「出ない」「ちょろちょろ」を頻繁に繰り返しながら、午前九時頃までのたうち回っていた。

 

「医者にいくか?」「お医者さんはイヤ!」と頭の中で葛藤を続けつつ、判断力の落ちたわたしは、歩いて30分くらいの距離にある「温泉」(スーパー銭湯?)へ。

ぬるめの湯で成分が強い(食塩泉)温泉で膀胱を温めよう、と、何の根拠もない理由で、38度くらいのお湯に浸かる。

 

と、たしかに膀胱の緊張感は収まったようで、トイレに駆け込む間隔は長くなって、二時間くらいはガマンできるようになった!

時間間隔が長くなれば、尿量も増えて、かなりマシな状態にはなってくる。

水をがぶ飲みしながら、半日くらいも温泉に浸かっていた。

 

温泉から出た後、その「浴場施設」の休憩室で横になっていたのだけれど、温泉に入ったあとの爽快感のようなものはなく、イヤな汗がたらたらと出続け、館内着の背中はぐっしょり。

ただ、カラダが「熱」を持った感じだったので、「これは効果あったかな?」とは思えた。

 

そのまま帰宅するとなんだか風邪を引いたような気分だったので、飲み残しで部屋に置いてあった風邪薬(総合感冒薬)を飲んで横になった。

すると、猛烈な眠気に襲われて熟睡。

 

目が覚めると、なんと6時間経過していた。

「ということは、その間、トイレに行かずに済んだ?ということか?」

トイレでも、尿量はふつうに戻っていた。

不快感も軽くはなっていたが、それは残っていた。

 

とにかく、ヤマは越したようだ、と思って少し安心。

その後は、やや頻尿気味ではあるものの、排尿量はだいたい普通字時に戻っていった。

 

いったい何でこんなことになったかわからないが、さきの眠りから覚める前に、こんな「夢」を見た。

 

夢の中では、何人かの顔を見知った人たちが出てきたのだが、その人たちはいずれももうこの世にはいない、かなり前に亡くなった人ばかりだった。

そんな人たちのなかで、まったく、これまで見たことのない男がひとりいて、わたしのほうをじっと見ている。

他の人たちはみんな普段着なのだが、その男だけは背広をきちんと着て、背筋を伸ばして正座している。色黒で目つきが鋭く、痩せてごつごつした感じ。背広の襟には銅製?の分厚く造られたバッジをつけていた。

 

すると、その男はすっと立ち上がり、わたしのほうに歩いてきて、突然、こういったのだ

売国奴はいけません。売国奴たちのために国民は苦しんでいます。自分たちだけ金儲けをしている売国奴は許せません」

わたしは一瞬、この人はわたしの「ブログ」を読んでいるに違いない、と思った。

しかし、誰も読んでいないはずのわたしのブログをこんな田舎(場所はわたしの育った田舎だった)で読んでいる人がいるのか?

不思議な人だと思った。

 

男は、それだけ言って、自分がもといたところに戻って座ると、両手で顔を覆い、激しく泣き始めた。

男は前のめりになって激しく泣き続け、やがて消えていった。

 

男が消えたところで、わたしは目が覚めた。

 

今は、まだ「異常感」「不快感」はあるものの、症状はすっかり軽くなり、排尿の回数も量もほぼ正常になった。

たぶん、このまま治るんじゃないかと思う。

また風邪薬を飲んで眠ろう。

 

・・・・・桜の咲くときは死者たちも花見にやってくるのか?

そういえば、田舎でわたしが子どものころ行われていた「招魂際」は、桜の咲くこの季節だった気がする。

わたしも「田舎」に呼ばれたか?(げっ!)。両親がいなくなってからは一度も帰ったことのない田舎だけれど。

 

それにしても、七転八倒、たいへんな一日だった。

きょうは初夏を思わせる暖かさ

 

だった。

どこを歩いても桜、桜、桜。満開だ。よく通る線路沿いの道の桜も。

f:id:hibi333zakkan:20180329012525j:plain満開の桜というのは、懐が少々さみしくても、それを忘れさせて豊かな心持にしてくれるのがいい(^^)

f:id:hibi333zakkan:20180329012923j:plain今年はこの季節でも、それほど人々が浮かれた感じがしない。やはり、心のどこかに不安を抱えているのだろうか?

 

夕暮れから夜にかけて、近くの公園で花見。手には甘酒。300円の品が150円というので買ったら、やたらうまい!355gで300円なんだからうまいのは当たり前、まずかったら・・・怒ることはできないけど(笑)

常温の甘酒は桜とよく合う。

f:id:hibi333zakkan:20180329020158j:plainベンチにすわって夜間近の晴天の空を背景にした桜を見上げる。だんだんと暗くなっていく空はプラレタニウムのよう。こうして見ていると、この国もまだ捨てたもんじゃない、という気になる。

 

3月16日の日記に載せた写真の桜。

f:id:hibi333zakkan:20180329021126j:plain花が咲くとお月さんも見に来る。

・・・まあ、撮影時刻が違うんだけど(笑)

 

帰りにスーパーに寄って、“菜の花の辛し和え”と“豆腐ハンバーグ”を買う。いずれも値引き「半額」\(^-^)/ この季節の“菜の花の辛し和え”は最高!

 

深夜、昨日ブログで触れた「渚にて」が気になっていたので、ネットで検索。

なんと、ネットで全編を見ることができる!しかも「誰も知らないだろう」と思っていたものが、再生回数10万回を越えている。

 

ただ、コメントがすべて外国語。外人さんのほうがよく見ているのか?

なかには「音声がゴミ(日本では「糞」?)」(たしかに音声が小さい)とか、「韓国人にとってこの小説と映画はグレートです」というような書き込みも。

 

日本人の感想はどうなんかな?

 

この映画=「渚にて」=On the Beachのリメイク版が2000年に作られているとのことで、これも検索してみたら、やはり全編ネットで見ることができる!しかもこちらは吹き替え版まである。

リメイク版は日本では「エンド オブ ザ ワールド」という題名で公開されたらしいが、原語はOn the Beachで、リメイク版だということがわかる。

 

今度、両方ともじっくり見てみよう。

 

しかし、便利な時代には、なっているんだなァ。。

 

 

 

肉や魚を食べなくなると

「食用の動物」が動物そのものとして見えてくる。

 

ちょっとヘンな言い方だが、「食用」のそういった動物たちを見るとき、これまでは半分は生物としての動物、半分は「食物」として見ていたことに気づくのだ。

これもそう

f:id:hibi333zakkan:20180325023638j:plainわたしの住みかから歩いて10分くらいの距離にある「ふぐ」専門店の通りに面した生けすだ。

 

正直、肉食・魚食をしていたときはこの前を通っても、「うまそうだなあ」「でも高価そうだよなあ」くらいにしか思わなかった。

 

しかし最近は、この光景を「少し残酷だなあ」と思うようになってきた。

 

生けすをしばらく見ていると、「ふぐ」一匹一匹にも個性があることがわかる。

活発なもの、ほとんど動こうとしないもの。群れようとするもの、一匹離れていようとするもの。なかには、一匹だけ生けすのど真ん中でゆうゆうとひれを動かしていて、威厳を感じさせるのもいる。

 

「でも、みんな食われちゃうんだよな」

そう、一匹残らず、確実に人間に食われることになる。

やがてまな板の上にのせられ、包丁がズブリ。どの「ふぐ」もその運命から逃れられない。

 

残酷なもんだけど、そんな「今まで生きていたもの」を食べて喜ぶ人は多い。

まあ・・・わたしも若いころはそうで、店内にさまざまな魚の泳ぐ生けすがあって、そこから泳いでいる魚をリクエストして食べる、というようなところに何回か行ったことがあった。

「狩猟本能」というのがあるんだろうなあ。たしかに、それなりに楽しく、満足した気分になったものだった。

 

しかし、自分が(自分の意思で)ひとつの生命を絶っているんだ、ということに気づいて、やめた。“生餌(いきえ)より死肉あさり”。肉食といわれている野生の動物だって“死肉あさり“”が多いんだ。

「生命を絶つ」のは「産業」にまかせておこう。「仕事」でやるのは自分が生きるためだから、罪はないわ。

なんて考えて。

 

それにしても、重症の「痛風」で動物性のものがまったく食べられなくなった当初は、この世界が灰色になったように感じられたが、慣れてしまうと、案外この状態はいい。

 

世界も色と明るさを取り戻し、なんだかもうひとつの世界が開けたような・・・。サプリを併用しているから、健康も問題なく、なんだか「病気」から遠ざかっているような気もする。

 

世の中、こんなものなのかもしれない。ひとつ絶望しても、負けずに?なんとか生きていたら、また新しい世界が開けてくる。

 

ところで、あらがえぬ運命の「ふぐ」さんたち。

キミたちを食べている人間だって、いつかは死ぬんだからね。人間の運命もキミたちとそう大差はないのかもしれない。

f:id:hibi333zakkan:20180325032850j:plain

わたしは無宗教だけど、今日は“ナンミョウホウレンゲキョウ”。動物の「成仏?」には法華経がいいんだって。

 

日本の大乗仏教は(中国で)道教の影響を受けているから、動物や魚はおろか、草や木にも「魂」があると考えているとか。南無・・・・・

 

いや、これはちょっと怖いね

オウム事件での今日3.20での死刑執行の可能性を含め、ブログに書こうとしたら、記事が消されてしまった(アップできなかった?)との由 →osantati12345

 

ナニなんだろう?

気味が悪いね。この国、とんでもないことになっているのではないか?

f:id:hibi333zakkan:20180320033731j:plain「謎の解明を」と訴えかけているだけなのにねえ。

とにかく、こんな「不明瞭な」死刑執行をやったら日本の国際的イメージがた落ちだよ!将来に禍根を残すことを、「やる」のかね?

 

うーん、今日(3/20)一日様子を見よう。

 

しかし、ヘンだなあ。

こちらもそれに触れようと思ったのだが、なかなかブログにつながらなかったし。

「謎の解明」を訴えることがまずいのかなあ?なんて勘ぐってしまう。まあたまたまなんだろうけど???