最近、思い出にひたることが多いのは

目の前の現実に失望しているからかな?

 

ま、昔もロクなもんじゃなかったけど(笑)

それでも人々が今よりは少し誠実だったような気がする。いい意味で個性的でもあった。

 

これまでの人生で最も楽しかった時は?と問われると中学生時代かなあ。友人に恵まれ、先生も個性的で人間性むき出しというか偽善を感じさせられるようなことはなかったし、人間的に素晴らしく、いい影響を受けた人もいた(敬虔なクリスチャンだった先生とかいたな)。

 

部活(ブラスバンド部)も楽しく、学校の成績もそのころが最高だったかな?

 

友人といえば、同級生の、1年生のときから周囲の学校まで知られていたような「番長」、ともなぜか気が合って、(いまは「番長」も死語かな?(笑)

べつに子分というんじゃなくて、わりと対等に話ができていた。

 

気が合うというのかな、彼はケンカも正々堂々、陰湿さが全くない、キップのいい男だった。

何より良かったのが、絶対に弱い者いじめをしないこと。

むしろ、弱い者いじめをするような奴が「制裁」の対象だったな。

 

それでも1年坊主のとき、朝、彼と通学路の途中であって、「おう」ということで話しながら学校に行っていたときのこと、

前を歩いていた3年生の、こちらも有名な「不良さん」が菓子パンが2,3個入った袋をぶらさげて、パンをかじりながら歩いていた。

 

すると、彼はその「上級生」をつかまえて

「おお、いいもの食べているじゃないか」

と、そのパンの入った袋を取り上げて、

「ほいよ」

袋からパンを取り出して、その一つをわたしにくれた。

 

あれにはちょっとまいった(笑)

後ろで舌打ちをしている3年生の方をふり返って、「スンマセン」という顔をして頭をちょっと下げて、パンにかじりついたんだけど、おいしいパンだったなァ(あの上級生、パン屋さんの息子だったような記憶が・・・・?(笑))

 

彼は、中学校を出て、しばらく土木関係の仕事に従事していたようだけど、その後、農業をやるということで沖縄に行き、そこで結婚したという話を聞いた。

今でも元気にしているかなあ?(笑)

 

部活も楽しかった。

小学校時代の音楽の成績が「2」だったわたしがなぜブラスバンド部なんかに入ったのか?今でも謎なんだけど(というか「動機」を忘れた)

 

楽器を与えられて、その楽器をやっている3年生の先輩が素晴らしくて、あっというまに「部」になじめた。

 

最初、その先輩を見たときは、その日限りでやめようと思った。

無口な感じで、何より「顔」が怖かった(笑)

「いやー、こりゃあハンパなくやられるぞ」

と怖さに体を固くした。

 

ところが、教えはじめると、教え方がすごく上手い。

楽譜に向かうとにこやかになって、話し方もすごく優しい。

教え方は・・・たぶんそこらへんの音楽教師よりはるかに上手だったんじゃないだろうか?その中学3年生は。

 

まず、絶対に怒らない。

楽譜と楽器の説明をして、自分で模範を示してから、こちらにやらせるのだけれど、下手でもつまっても、それなりにいいところを指摘してほめてくれる。

そしてとにかく熱心。こちらまで引き込まれる。

 

何日かしたとき、練習しているわたしたちのところに顧問の音楽の先生がやってきて、

「どうだ?進んでいるか?こいつ(その先輩)は音楽は天才だからな。しっかり教えてもらうんだぞ」

とニコニコした表情をしてわたしの肩をポンと叩いた。

 

その先輩は音楽で身を立てようとしていて、

「急いでばかりで悪いけどな。俺はやることがあっていつまでもブラスバンド部にいられないので、早く覚えてもらわないといけないんだ」

と言っていた。

 

歌が非常に上手だった(東京のエライ先生から「この中学生は並みのプロの歌手よりはるかに(歌が)上手だ」というお墨付きをもらっていたとか)

 

その言葉通り、先輩はわたしが独り立ちできるようになると、部にはまったく顔を出さなくなった。

その先輩は、中学校を出て、歌手になるために上京したのだけど、歌手としてはまったく芽が出ず、相当苦労したらしい。(歌のうまさだけではダメだったんだろうなあ)

 

しかし、その後、プロの作曲家として有名になった!

カラオケでその人の作曲した歌を何曲か歌っていると、当時のことを思い出して、ふと泣けそうになるときがある。

「よかったですね、音楽で身が立てられて」

(先輩のおかげで、わたしもブラスバンド部の部長を2期やらしてもらって、中学校の3年間は音楽の成績がずっと「5」だった!ええ格好できて女の子にももてたし? \(^0^)/ありがとうございますー(笑))

 

天網恢恢、疎にしてもらさず、というのかな?

いいものを持っている人は、苦労はしてもやはり報われることが多いのだと思う。

 

そういえば、わたしの小学校時代の担任教師。

1・2年を担当してくれた先生はけっこう大きな規模の小学校の校長先生になったな。

いっぽうあの二人の先生は教頭にも校長にもなれなくて、男性教師は近くの小さな学校で嫌われながら教師生活を終え、女教師は、途中から消息も聞かなくなった。元の県にでも戻ったのかな?

 

小学校から高校まで教えてもらった先生たちのその後を見ると、わたしが

「あ、この先生はいいなあ」

と思った先生は、だいたい校長になっていたりしていて幸せな教師生活を送ったようだ。

 

(ただ、高校時代気の合った先生は、後年その高校の校長になったのだけれど、生徒が不祥事(大事件)を起こしてマスコミにいじめられていたのは気の毒だったな。問題(部活関係)はわたしらの頃からあって、その先生は関係ないというか、どうすることもできなかったと思うんだ・・・)

 

そういう意味では、なかなか公正な人事が行われていたのかな?昔のわたしが高校生まで暮らした県では。「左翼」だからって差別されていたような形跡もないし。

 

ただ、いまの「いじめ」の隠蔽だとか子どもの自殺だとかでの、学校や教育関係上層部の卑劣な対応を見ると、昔とは違っているな、と感じる。

 

政、財、官、教育関係、いずれも「悪貨が良貨を駆逐」した結果の社会になってしまったようにも思える。

そして事態は悪化の一途?

 

とりあえず、わたしは6月10日は国会前に行って声をあげてこよう。

(きょう6月8日も国会前で「定額働かせ放題」に対する反対集会があるみたい、だけど、うーーん、今日はむりかな?)

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6月10日は雨みたいだけど

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まあのんびり行ってこよう

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(再び思い出)
・・・しかし、天網恢恢かあ・・・

わたしはいったいどんな悪いことをしたんだろ?(笑)

 

ま、罪滅ぼし、罪滅ぼし(笑)

少しでもいい世の中が来るように、声をあげに行ってこよう。

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夏近し \(^^)/

f:id:hibi333zakkan:20180606035657j:plainということで、ちょっぴりウキウキしてしまうのは、子どものころ、遊びまわった夏休みの記憶のため?

 

たしかに、小学生時代の夏休みは楽しかった。

住んでいた田舎が海沿いの町だったので夏休みの始まる7月20日からお盆までの間は、毎日のように町営の海水浴場に行って泳いでいた。

 

海水浴の帰りにはかき氷を食べたり、ぶつ切りにして氷水に浸けられていたサトウキビをかじったり。サトウキビはかき氷よりもずいぶん安かった記憶がある。

 

嫌な教師の顔を見ないで済むのも嬉しかった(笑)

なにせ、小学3年生から6年生にかけて、担任教師との関係が最悪だったもので。

 

小学1年2年のときは、同じ町の出身の美人で優しい先生でね。

いいところはきっちり評価してくれて楽しかった。

通信簿も4と5だけだった。

 

ところが3年になると、新しく赴任してきた少し年配の女教師が担任になった。

これがどうもわたしの不運のはじまりみたいで(笑)

その女教師は隣県から二時間近くかけて通っていたのだけれど、

四月だったか五月だったかな?

隣県の某都市にいる親戚を訪ねるために母親と二人で電車に乗ると、偶然その女教師と一緒に乗り合わせた。

 

そこでのわたしの母親と女教師の「会話」が悪かった!

わたしの母親はけっこう明け透けな人だったので?その女教師が片道2時間もかけて隣県から通っている理由を(しつこく?)聞いちゃったのだ。

教師は困ったような顔をして、はっきりとは答えなかった。

 

ぶっちゃけ、性格も合わなかったんだろうなァ。

やがて二人とも黙ってしまった。

 

そんなことすっかり忘れてしまっていた1学期の終わり。

なんだか前年度よりテストの点数が全般的に上がっているような気がしていたので、期待して通信簿を見ると、

ナント、2と3が半々!5どころか4もひとつも無し。子どもながら大ショック!

 

青い顔をして家に帰り、台所仕事をしていた母親に通信簿を手渡すと、母親は「フン」と言う感じで、ふり返りもせず、何も言わず、後ろ手に通信簿を返してくれただけ。

 

夕食時、事情を知らない父親が、「何でだ?」という顔をして首をひねっているのをしり目に、会話ひとつ無い暗い食事が終わりましたっけ。

 

でも、次の日からは夏休みv(^-^)v

通信簿のことなんか忘れて海水浴に出かけていました。

そのときの夏休みはとくに楽しかったような(笑)

 

しかし、成績は6年生までずっとそのまま。

3年4年とその女教師に引っぱられて、5年生からはなんだかその女教師のお仲間のような一癖ある中年の男教師の担任になり、こちらも6年生まで担任を続けられ、みっちりのいじめ(笑)

 

中学生になってやっと「開放」され、最初にあったテストの成績を友だちと見せっこすると

「あれ?○○君、そんなに成績よかったっけ?」(笑)

 

中学校以降はもうヘンな教師にあたる事もなかったのだけれど、このときのトラウマはその後の人生にもやや尾を引いたなあ。

 

あのころの「地方」での子どもに対する公立小学校教師の権威、権力というのは絶対的なものがあって、いわゆる「先生」さまだったものなあ。

今からはちょっと想像できないんじゃないだろうか?

 

世の中変わった?

といっても、今でもお役所や警察などのお役人と民間人の関係は基本的にそう変わっていないんじゃないか?と思うときがある。

 

官は強く民は弱し。

官民格差は、待遇などの面では、あの頃よりもさらに広がっているような気がする。

基本、日本はやはり変わっていないのだろう。

どころか、「実現目標」でもあった日本国憲法の「基本的人権」「民主主義」「法の下の平等」そして「平和」までもが危機にさらされる時代になってしまった!

 

庶民はさらに「ものが言えない」状況にさらされている。

 

ということで(^-^)

庶民も自分の立場を主張できる時代が来るように!

改憲日本国憲法の理念を実現してからにせー!

権力ずくでウソをつくなーーーー!事実を隠蔽するなーーーー!

権力犯罪最悪!

民営化は民のためならず!強者のための政治!すべてそう!

 

などと、声を上げるために

6月10日、わたしは国会前に行く!

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お友だち、取り巻き政治。力ずく。批判封じ。批判者の排除。

安倍政権はやはり最悪だーーーー!

 

声をあげるぞーーーーーーーー \(^0^)/

都合のつく人、みんな行こーーーーーーーーーーーーーー!

昨日は夕方から少し足を伸ばして

隣の区にある温泉施設というかスーパー銭湯に行ってきた。

入浴料は税込みで800円。

これで時間無制限で温泉に入れ、寝転がったりもできるのだからありがたい。

国民切捨ての政府官僚系や独占企業系と違い、ニッポンの民間資本は民衆のために頑張っているのだ

                                (^-^)v

わたしが風に吹かれて、気持ちよく露天風呂に浸かっていると、ひとりの老人が話しかけてきた。

「きょうは暑いかなと思ったら案外涼しかったねえ」

一見、70歳代後半かな?と見える老人。

「ええ、陽ざしは強かったけど風が涼しかったですから、それででしょう」

わたしもそれに応じて答えた。

 

老人は

夏至は一年でいちばん昼が長くてお日様が照っているのに、7月や8月に比べてそう暑くないというのは不思議だねえ」

という話から始まって、地球の緯度や経度の話を始めた。

「ずいぶんと詳しいですね」

とわたしが言うと

「戦争中、海軍に4年間いたからねえ」

ちょっと驚いた

「え?戦争に行っていたんですか?じゃあもう相当なお年?」

「90歳を越えているよ。16歳で志願兵の一期で海軍に入って、終戦まで足掛け4年間海軍にいたんだ」

「へええ、4年間も。よく戦死しませんでしたね」

わたしの微妙な反応に、老人は苦笑しただけ。

それから、戦争の話になった。

 

しかし、それまでとは違って戦争の話になると、老人の口はやや重い。

だいたい、戦争体験者というのは戦争の話はあまりしたがらない。とくにその体験の内容は語らない。これは一般の空襲体験者なども同じで、やはり話すとトラウマになるというか、口にできないほどの辛い体験だったからだろう、と思う。

 

老人はずっと駆逐艦に乗っていたらしいが、その内容についてはあまり聞けなかった。

ただ4年間の「従軍」体験を通じて、政府や軍に対する疑問はずっと抱いていたようで、

「よくあんな戦争を始めたもんだ」。

「国力が全然違っていましたもんねえ。まだいまの北朝鮮のほうが当時の日本よりマシですよ。核を持っているだけ」

老人は少しうなずいて

山本五十六真珠湾で飛行機を使ってあんなことやっちゃったものだから、アメリカは、じゃあ飛行機でお返ししろとばかりに、飛行機をどんどん作って・・・」

老人の口からは当時のアメリカ軍の飛行機の名前が次々と出てきたのだが、わたしが憶えているのはP51くらい。そのあたりのわたしの戦争知識は薄いのだ(笑)

 

わたしが最初70歳代と見たくらい、まだ体型も表情もしっかりした、おそらく戦争中は精強そのものの兵隊サンだったろう老人。

しかし、その話には、もう戦争はしてはいけない、という気持ちがにじみ出ていた。

はっきりとは言わないが、「日本政府」に対する疑問もずっと内面に秘めていたように思えた。

 

「しかし、(北朝鮮の)キム・ジョンウンと安倍首相の(政治家としての能力の)差は・・・」

最後にそういって老人は苦笑した。

 

ぬるめのお湯だったが、長話になってしまって、わたしも湯から出ると少しふらっとしたほど。元気に立ち去っていったが、あのご老人、大丈夫だったろうか?(あとで倒れていやしないか?)とやや気になる。

 

それにしても、少し反省したのだが、年長者との話は聞き役に徹するのがいちばんいい。

わたしの話はあまり意味がなかった気がする。

まだ聞いておきたい話があったんだけどなァ

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少し残念・・・

 

最近、気分がもうひとつぱっと

しない。

ややウツ状態。

こういうときは暖かいコーヒーを飲んでポケッとするか、寝転んでウトウトしとくのがいい。

焦って無理したり、ジタバタ動き回るのは逆効果。

 

きょうは昼から雨。

帰ってパソコンを開くと、党首討論があったらしい。

 

ネットの書き込み→「【党首討論安倍総理、聞かれたことには答えない。ヤジに反応してテレビ目線でクレームを長々と言う」

「安倍首相「枝野さんの言われたことはもう何回も質問されたこと。今、うしろから100回聞いたとヤジが辻本さんからありましたが、同じことを聞かれれば同じことを答える ~」」

党首討論。「辻本さんからのヤジが」って、安倍首相は本当に意地悪だね。わざわざ名指しで皮肉。話し長いし質問に答えないし・・・イライラする」

 

いちいちヤジに反応する安倍首相(笑)

 

ヤジで思い出した。

 

まだわたしがメチャクチャ若かったころ、阪神甲子園球場に巨人ー阪神戦を見に行ったことがあった。

プロ野球を見に行くのはそれが初めてだった。

早い時間に行ったのだが、もうかなりな数のフアンが球場につめかけていた。

 

外野席のちょっと前のほうに席をとると、周りは阪神フアンばかり。

すると、ナント!王選手がこちらのほうに歩いてきて目の前でキャッチボールをはじめたではないか!

すると、「おー、上等だ」とばかりに、阪神フアンのすさまじいヤジがはじまった。

 

いや、当時の阪神ファンのヤジといったら・・・

アンチ読売、アンチ巨人だった(阪神ファンでもなかったけどね(^皿^))わたしでさえ茫然自失、あ然とするばかりの「質」と「量」。

卓抜な気の利いたものから罵詈雑言まで、まあ実にバリエーション豊かに人々の口から出てくるわ出てくるわ。

 

これでは王選手もたまらないだろう、と思って見ていると、ナント、来たときと同じニコニコ顔のまま。

まったくヤジが耳に入っていなくて、そよ風に吹かれているような気持ちのいい表情のままだった。

そのまま、ごく普通のしぐさで去っていく王選手に、ヤジり疲れた?阪神フアンの間からも、「まあ、がんばれや」という声がかけられていた。

 

でも試合は阪神の勝ち v(^^)v

最後を締めたのは江夏投手で、キャッチャーは田淵選手だった。

王選手も三振していたな(笑)

巨人は、たしか長島監督の一年目じゃなかったかな?

 

六甲おろしが夜空に鳴り響いて、阪神フアンが大喜びでメガホンをたたきながら録音(歌は立川澄人さんだった?)といっしょに歌っていたっけ。

 

という思い出話しはともかく(笑)

王選手と安倍首相の「洗練度」「大人度」の差もともかく(笑)

 

当時の?阪神甲子園球場で本物のヤジを聞いたわたしからすれば、国会でのヤジなどヤジとは思えない。

 

自民党議員がたまにする「問題」発言には、議員として、良識ある人間としてどうか?というものがあるのだけれど、それはヘイト、差別、等「問題発言」の内容が問題になるので、ヤジとは言い難いし、

 

野党議員のものは、権力づくで強権を押し通す安倍自公政権の「圧力」に抗するところから出てくるものだから、これもヤジとは言えない。

 

野党のものは、これは「ヤジ」というより、安倍政権による強権、強圧、横暴に対する「悲鳴」といったほうがよいものではないか?

 

野党はこのあたり、しっかりと主張しておいたほうがいい。

安倍首相「ヤジはやめてください」

野党「それはヤジではありません。国民と野党の悲鳴なのです」

 

こういっておけば今回のものだって

 

野党の女性議員「100回やられた」

安倍首相「同じことをやるだけですよ。100回やっても101回やっても同じこと。・・・!ちょちょっと、おとなしくしろ!」

野党の女性議員「あーーーれーーーーーーーーーーーーーーーーー」

ということになって、安倍首相の実態が国民によく伝わるのでは?

え?

一部違うところがある?

そうかなあ・・・

 

ともあれ、今日は(きようも)なんだかじめじめ。すっきりしない。

 

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東京は雨の日が多いなぁ・・・

 

薄月というのかな?

薄い雲の後ろになって、鈍く光っている月。明日は雨の予報。

 

帰りに公園に寄って鉄棒にぶらさがる。(ぶらさがり健康器の代わり)。

 

公園のベンチに座って薄く光る月をながめていると、隣のベンチに一人の男性がやってきて寝転んだ。

誰かと話しをしているので、あれ?二人だったかな?と思って見ると、やはり一人。

ひとりごとだった。

 

けっこう大きな声で早口。

よく聞こえるので聞いていると、どうも日本語ではない。

最近よく聞く中国語でも韓国語でもない。英語でもない。

どこの国の言葉かはわからないが、とにかく早口。ちょっと怒っているような調子。

 

声の感じからすると40代50代くらいの年齢か?

よほどストレスや不満が溜まっているんだろう。

そう思って少し同情的な気持ちになる。

 

わざわざこんな国に来てくれてごくろうさま。

われわれ日本人にだってけっこうキツイ国。外国から来て働いているのだとしたら、ほんとうに大変だろう。

 

少し前のデータでは、外国からの労働者がいちばん行きたくないアジアの国はニッポンだった。

まあ、思う存分ひとりごとで不満などをぶちまけて、明日から元気に働いてください。

 

ということで、わたしは早々に公園を後にして帰宅(笑)

 

昨日の日記でキリスト教系の学校をディスったみたいになったことを少し反省。

たしかに、冷酷非情な「新自由主義グローバル資本主義世界」ではキリスト教、いや、仏教もその存在感を薄めているように見える。(宗教すべてが後退?)

つまりは、「神も仏もない世界」。

 

それでいて世界の紛争の火種は宗教対立であるという。

こういうときこそ、カトリックバリバリ、あるいは名門プロテスタント派ぞろいの日本のキリスト教系大学の奮起を求めたい。

 

学生さんもキリスト教を学ぶのはいいことだと思う。

世界を覆った「シオニズム」を越えるきっかけを作ることのできる最有力候補は日本だと思うので。

 

それにしても(平和に)逆向きな安倍政権(シオニスト?)

 

 

とりあえずダイエット挫折 \(^-^;)/

それでも体重が2キロちょっと減ったので、歩くのが少し速くなった。

わたしの場合、「食べなければ」快調。

なんだけど、中高年にさしかかってこらえ性がなくなったようで、なかなか昔のようには断食、節食ができない。

それでも、動物性のものを絶った(牛乳、タマゴ(平飼い)除く)おかげで、ダイエット時の体重の減り方が早くなっているような気がする。復食もラク。

 

それにしても、現在の政治状況を見ていると、お腹に泥水をぶち込まれたようないやな感じに襲われる。

「働かせ放題」の高プロ制やTPP、種子法廃止、水道民営化など、

そして、それをを覆い隠すような「報道」でテレビを一色に染め上げる情報統制。

 

3S(スポーツ、スクリーン(ドラマ等)、セックス(芸能など))漬けで国民を馬鹿にしておくクラシックな手法が行われているわけだけれど、

でも、まあ、内容がお粗末なので、それほどの効果はあげていないようにも見える。

NHKをはじめテレビ局も国民から馬鹿にされるようになった。

「そんなもん」としてテレビを見ている日本の市民はけっこうたいしたものかも(笑)

 

いまの日本で最も馬鹿にされ笑いものになっているのはテレビとネトウヨ、ネトサポ、

ということで  \(^-^;)/ ・・・

 

それにしても、日本大学アメリカンフットボール部の交流戦ラフプレーでテレビの「報道」が何日も埋められたのは驚いた。

しかも、世間の注目度も高かったという・・・

これは、その「違法(ルール無視)」ぶり」「乱暴」さ、「首脳部の“圧政”、“強圧”」ぶりが安倍政権と二重写しになったところから起きた社会現象だったと思うんだけど、

さらに突っ込んで、今の日大のウヨ経営陣(首脳)と安倍ウヨ政権が瓜二つというくらいに似ていた、というところまで行けば、安倍政権にとってはヤブヘビ?

 

これに関してはマスコミはよくやったというべきか・・・

マスコミから政府へ → 「どうですー、ご注文どおり報道をスポーツの話題で埋めちゃいましたよー」

政府「・・・むむ・・・」

といったところか?(笑)

 

ところで、話題になった当事者の大学は、どちらも東の日大、西の関西学院大学といわれるくらい全共闘運動が盛り上がった大学であったようだ。

 

わたしは全共闘運動世代より下の世代だが、学生時代に行きつけだったビルの地下にあるジャズ喫茶のトイレ(ドアから壁、天井までびっしりと落書きされていた)の壁に大きく「日大の全共闘関学全共闘よどこに行った?」と落書きされていたのを覚えている。

 

それを思い出して、「なんだか因縁話のようだな」なんて思っているのはわたしだけか?(笑)

 

それにしても、コルトレーンなど重いジャズばかりがかかっていて、タバコの煙がもうもう。暗い社会の予感に、誰もが沈んだ表情でモダンジャズに耳を傾けていた、あのジャズ喫茶が懐かしい。

(もうとっくの昔になくなっちゃったけど)

 

その日大もすっかり全共闘以前の日大に戻った、というか、さらにヒドイ状態になっている様子。

対する西の関学は?よくわからないが、キリスト教系の大学も全般的に右傾化、学問レベルも低下しているということなので、やはり全共闘以前か、あるいはそれよりもっとヒドイ状態なのかもしれない。

 

なんといっても、政治が、全共闘以前でさえ想像もつかなかっただろうほどに右傾化してしまっているんだから。

あのころの自民党議員さんでさえ、80%くらいの人は、今ならネトウヨやネトサポに「サヨク」と罵られていたかもしれない。

 

わたしも全共闘運動は無くなっていたけど、「学費値上げ反対」の運動には関わったな。

わたしが学生のころは、なんだかんだ言って学費は安かった。

しかし、当時すでに、政府、大学?がむちゃくちゃな値上げをやっていきそうだ、という情報は入っていた。

けっきょくわたしの在学時には値上げはなく、学費が上がり始めたのは、卒業してすぐくらいのときだったかな。

(たぶんわたしらくらいの頃を最後に学生運動もほぼ完全に姿を消したと思う)

 

それでも、まさか、学費の高騰もだが、奨学金サラ金化させるまところまでやるとは思わなかった!

やはり、学生運動にしろ市民運動にしろ、民衆の抵抗がなくなれば、政府・官僚・財界=権力は好き勝手なことをやるものだ、ということがよくわかる。まさに(民衆が)権利のために闘う姿勢を失えば(民衆のための)権利は失われるのだ!

 

といっても、今の若者の多くの人にはピンとこないかもしれないが。

(そういう(ウヨ)「教育」(ウヨ)「環境」で育てられてしまった、という面はあると思う)

 

ともあれ、おじさん(わたし)はまだまだやることがあると思っているので、市民運動に参加して声をあげていくぞー! 若者ももっともっと目覚めろー! \(^○^)/

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5月2日の日記から断続的に続けて

いた、「コピー」の転写。

ラスト!

 

『サー・ジュリアン・ハクスリーにとって、生物の競争は大した意味をもたぬ陳腐な所見にすぎない。

1963年、ハクスリーはこう書いている。

「生存競争は単に、各世代の一部が子を残せぬまま死ぬ運命にあることを示しているだけだ」

 

つまり現代の立場としては、自然選択と適者生存は毒にも薬にもならないトートロジー(※)にすぎず、生存競争は進化に関して重要な役割を演じてはいないのである。

 

では、総合進化論の見地はどうなるのか。

ジョージ・シンプソンが次のように述べている。

 

「遺伝的に赤毛の親が金髪や黒い髪の親よりも平均して多くの子どもを生むとしたら、進化は赤毛に向かって進む。

また、遺伝的に左利きの親のほうが多くの子どもを生むとしたら、進化は左利きに向かって進む。

形質そのものは問題ではない。問題なのは、何世代にもわたって誰がより多くの子孫を残すかである。

自然選択が適者に有利にはたらくというのは、多くの子孫を残す者を適者と定義した場合のみ言えることだ。

実際に遺伝学者はそのように定義しており、他の者にとっては紛らわしいかもしれない。

遺伝学者のいう適性は、健康や力強さや見た目のよさなどとは無関係で、生殖効率のよさだけが関係している。」

 

これはたしかにしっかりとした考えのように思えるし、従来の落とし穴をすべて回避している。

自然選択とは、それぞれの形質がどうであれ、多くの子孫を残す者が世界を占め、あまり子孫を残せないものが死滅していくプロセスである。 』

 

※ トートロジー = 同義語反復。

同じ意味の言葉を繰り返すこと。詭弁のテクニックとしてこれをやられると、議論が循環して真偽を問うことなく終わってしまう。

 

欧米ではよく知られたもので、あるレベル以上の場所でこれが詭弁として使われることはないが、日本では、「国権の最高機関」=国会でこれが使われた。

いまや「歴史的」となった、イラク派兵をめぐる野党の質問者と小泉首相(当時)のやりとり

              ↓

質問者「戦闘地域とはどこか」

 

小泉首相「それは自衛隊が出動していない地域だ」

 

質問者「では、自衛隊はどこに出動しているのか」

 

小泉首相非戦闘地域だ」

 

質問者「では非戦闘地域とはどこか」

 

小泉首相自衛隊が出動しているところだ」

 

・・・

自衛隊が出動しているところ = 非戦闘地域   

戦闘地域 = 自衛隊が出動していない地域

 

見事な「循環話法」(詭弁)。まさにこれによって憲法違反のイラク派兵という真実が隠蔽されてしまったわけで、まさか、こんなものが国会で行われようとは!?という、「トンデモ」の世界。

 

わたしは恐らくこれは、ニッポンのレベルを見越したCIAあたりの外国機関の脚本だろうと思っている。

一度バカにされたらオシマイで、

安倍政権においては、公然とウソやゴマカシがまかり通るようになってしまった。

・・・日本人のレベルが見抜かれてしまった?・・・

市民運動のみなさん頑張って!(>-<)

 

閑話休題(それはさておき)

ダーウィンにおける「自然選択」と「適者生存」がトートロジーであることは、今西錦司博士も、いまから40年以上前に書かれた「ダーウィン論」(中公文庫)ですでに指摘していた

→『さてこうなると、「自然淘汰」(※自然選択)という言葉と、「適者生存」

(わが国では習慣上 the Survival of the Fittest に対する訳語として、最適者生存とはいわないで、これを適者生存と呼んできた)

という言葉とは、同義語ともとれるし、あるいは適者の生存することを自然淘汰というのであるならば、適者の生存しない場合は自然淘汰でない、あるいは自然淘汰のはたらかなかった場合と解してもよいであろう』(第二章 ダーウィニアン・ドクトリン)

 

「(最)適者生存」については「[図説]偽科学・珍学説読本」グレイム・ドナルド 著

にこう書かれている。

チャールズ・ダーウィンは自分の著書が後々にまで影響をおよぼすことになるとは思ってもみなかっただろう。早い話、その予想外の影響はひどいものだった。

~(中略)~

~ さらに長い目で見ると、その影響ははるかに破壊的だった。(中略) 「(最)適者生存」は専横的な輩(やから)に利用され、さまざまな差別政策のなかでも特に優生学という新しい「科学」を正当化するために引き合いに出された。』

 

 

ともかく、転記終了\(^^)/

            ほっ

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これからは本のコピーをとるときには必ず書名を記入するようにしなければ。。