目の前の現実に失望しているからかな?
ま、昔もロクなもんじゃなかったけど(笑)
それでも人々が今よりは少し誠実だったような気がする。いい意味で個性的でもあった。
これまでの人生で最も楽しかった時は?と問われると中学生時代かなあ。友人に恵まれ、先生も個性的で人間性むき出しというか偽善を感じさせられるようなことはなかったし、人間的に素晴らしく、いい影響を受けた人もいた(敬虔なクリスチャンだった先生とかいたな)。
部活(ブラスバンド部)も楽しく、学校の成績もそのころが最高だったかな?
友人といえば、同級生の、1年生のときから周囲の学校まで知られていたような「番長」、ともなぜか気が合って、(いまは「番長」も死語かな?(笑)
べつに子分というんじゃなくて、わりと対等に話ができていた。
気が合うというのかな、彼はケンカも正々堂々、陰湿さが全くない、キップのいい男だった。
何より良かったのが、絶対に弱い者いじめをしないこと。
むしろ、弱い者いじめをするような奴が「制裁」の対象だったな。
それでも1年坊主のとき、朝、彼と通学路の途中であって、「おう」ということで話しながら学校に行っていたときのこと、
前を歩いていた3年生の、こちらも有名な「不良さん」が菓子パンが2,3個入った袋をぶらさげて、パンをかじりながら歩いていた。
すると、彼はその「上級生」をつかまえて
「おお、いいもの食べているじゃないか」
と、そのパンの入った袋を取り上げて、
「ほいよ」
袋からパンを取り出して、その一つをわたしにくれた。
あれにはちょっとまいった(笑)
後ろで舌打ちをしている3年生の方をふり返って、「スンマセン」という顔をして頭をちょっと下げて、パンにかじりついたんだけど、おいしいパンだったなァ(あの上級生、パン屋さんの息子だったような記憶が・・・・?(笑))
彼は、中学校を出て、しばらく土木関係の仕事に従事していたようだけど、その後、農業をやるということで沖縄に行き、そこで結婚したという話を聞いた。
今でも元気にしているかなあ?(笑)
部活も楽しかった。
小学校時代の音楽の成績が「2」だったわたしがなぜブラスバンド部なんかに入ったのか?今でも謎なんだけど(というか「動機」を忘れた)
楽器を与えられて、その楽器をやっている3年生の先輩が素晴らしくて、あっというまに「部」になじめた。
最初、その先輩を見たときは、その日限りでやめようと思った。
無口な感じで、何より「顔」が怖かった(笑)
「いやー、こりゃあハンパなくやられるぞ」
と怖さに体を固くした。
ところが、教えはじめると、教え方がすごく上手い。
楽譜に向かうとにこやかになって、話し方もすごく優しい。
教え方は・・・たぶんそこらへんの音楽教師よりはるかに上手だったんじゃないだろうか?その中学3年生は。
まず、絶対に怒らない。
楽譜と楽器の説明をして、自分で模範を示してから、こちらにやらせるのだけれど、下手でもつまっても、それなりにいいところを指摘してほめてくれる。
そしてとにかく熱心。こちらまで引き込まれる。
何日かしたとき、練習しているわたしたちのところに顧問の音楽の先生がやってきて、
「どうだ?進んでいるか?こいつ(その先輩)は音楽は天才だからな。しっかり教えてもらうんだぞ」
とニコニコした表情をしてわたしの肩をポンと叩いた。
その先輩は音楽で身を立てようとしていて、
「急いでばかりで悪いけどな。俺はやることがあっていつまでもブラスバンド部にいられないので、早く覚えてもらわないといけないんだ」
と言っていた。
歌が非常に上手だった(東京のエライ先生から「この中学生は並みのプロの歌手よりはるかに(歌が)上手だ」というお墨付きをもらっていたとか)
その言葉通り、先輩はわたしが独り立ちできるようになると、部にはまったく顔を出さなくなった。
その先輩は、中学校を出て、歌手になるために上京したのだけど、歌手としてはまったく芽が出ず、相当苦労したらしい。(歌のうまさだけではダメだったんだろうなあ)
しかし、その後、プロの作曲家として有名になった!
カラオケでその人の作曲した歌を何曲か歌っていると、当時のことを思い出して、ふと泣けそうになるときがある。
「よかったですね、音楽で身が立てられて」
(先輩のおかげで、わたしもブラスバンド部の部長を2期やらしてもらって、中学校の3年間は音楽の成績がずっと「5」だった!ええ格好できて女の子にももてたし? \(^0^)/ありがとうございますー(笑))
天網恢恢、疎にしてもらさず、というのかな?
いいものを持っている人は、苦労はしてもやはり報われることが多いのだと思う。
そういえば、わたしの小学校時代の担任教師。
1・2年を担当してくれた先生はけっこう大きな規模の小学校の校長先生になったな。
いっぽうあの二人の先生は教頭にも校長にもなれなくて、男性教師は近くの小さな学校で嫌われながら教師生活を終え、女教師は、途中から消息も聞かなくなった。元の県にでも戻ったのかな?
小学校から高校まで教えてもらった先生たちのその後を見ると、わたしが
「あ、この先生はいいなあ」
と思った先生は、だいたい校長になっていたりしていて幸せな教師生活を送ったようだ。
(ただ、高校時代気の合った先生は、後年その高校の校長になったのだけれど、生徒が不祥事(大事件)を起こしてマスコミにいじめられていたのは気の毒だったな。問題(部活関係)はわたしらの頃からあって、その先生は関係ないというか、どうすることもできなかったと思うんだ・・・)
そういう意味では、なかなか公正な人事が行われていたのかな?昔のわたしが高校生まで暮らした県では。「左翼」だからって差別されていたような形跡もないし。
ただ、いまの「いじめ」の隠蔽だとか子どもの自殺だとかでの、学校や教育関係上層部の卑劣な対応を見ると、昔とは違っているな、と感じる。
政、財、官、教育関係、いずれも「悪貨が良貨を駆逐」した結果の社会になってしまったようにも思える。
そして事態は悪化の一途?
とりあえず、わたしは6月10日は国会前に行って声をあげてこよう。
(きょう6月8日も国会前で「定額働かせ放題」に対する反対集会があるみたい、だけど、うーーん、今日はむりかな?)
6月10日は雨みたいだけど
まあのんびり行ってこよう
(再び思い出)
・・・しかし、天網恢恢かあ・・・
わたしはいったいどんな悪いことをしたんだろ?(笑)
ま、罪滅ぼし、罪滅ぼし(笑)
少しでもいい世の中が来るように、声をあげに行ってこよう。