隣の区にある温泉施設というかスーパー銭湯に行ってきた。
入浴料は税込みで800円。
これで時間無制限で温泉に入れ、寝転がったりもできるのだからありがたい。
国民切捨ての政府官僚系や独占企業系と違い、ニッポンの民間資本は民衆のために頑張っているのだ
(^-^)v
わたしが風に吹かれて、気持ちよく露天風呂に浸かっていると、ひとりの老人が話しかけてきた。
「きょうは暑いかなと思ったら案外涼しかったねえ」
一見、70歳代後半かな?と見える老人。
「ええ、陽ざしは強かったけど風が涼しかったですから、それででしょう」
わたしもそれに応じて答えた。
老人は
「夏至は一年でいちばん昼が長くてお日様が照っているのに、7月や8月に比べてそう暑くないというのは不思議だねえ」
という話から始まって、地球の緯度や経度の話を始めた。
「ずいぶんと詳しいですね」
とわたしが言うと
「戦争中、海軍に4年間いたからねえ」
ちょっと驚いた
「え?戦争に行っていたんですか?じゃあもう相当なお年?」
「90歳を越えているよ。16歳で志願兵の一期で海軍に入って、終戦まで足掛け4年間海軍にいたんだ」
「へええ、4年間も。よく戦死しませんでしたね」
わたしの微妙な反応に、老人は苦笑しただけ。
それから、戦争の話になった。
しかし、それまでとは違って戦争の話になると、老人の口はやや重い。
だいたい、戦争体験者というのは戦争の話はあまりしたがらない。とくにその体験の内容は語らない。これは一般の空襲体験者なども同じで、やはり話すとトラウマになるというか、口にできないほどの辛い体験だったからだろう、と思う。
老人はずっと駆逐艦に乗っていたらしいが、その内容についてはあまり聞けなかった。
ただ4年間の「従軍」体験を通じて、政府や軍に対する疑問はずっと抱いていたようで、
「よくあんな戦争を始めたもんだ」。
「国力が全然違っていましたもんねえ。まだいまの北朝鮮のほうが当時の日本よりマシですよ。核を持っているだけ」
老人は少しうなずいて
「山本五十六が真珠湾で飛行機を使ってあんなことやっちゃったものだから、アメリカは、じゃあ飛行機でお返ししろとばかりに、飛行機をどんどん作って・・・」
老人の口からは当時のアメリカ軍の飛行機の名前が次々と出てきたのだが、わたしが憶えているのはP51くらい。そのあたりのわたしの戦争知識は薄いのだ(笑)
わたしが最初70歳代と見たくらい、まだ体型も表情もしっかりした、おそらく戦争中は精強そのものの兵隊サンだったろう老人。
しかし、その話には、もう戦争はしてはいけない、という気持ちがにじみ出ていた。
はっきりとは言わないが、「日本政府」に対する疑問もずっと内面に秘めていたように思えた。
「しかし、(北朝鮮の)キム・ジョンウンと安倍首相の(政治家としての能力の)差は・・・」
最後にそういって老人は苦笑した。
ぬるめのお湯だったが、長話になってしまって、わたしも湯から出ると少しふらっとしたほど。元気に立ち去っていったが、あのご老人、大丈夫だったろうか?(あとで倒れていやしないか?)とやや気になる。
それにしても、少し反省したのだが、年長者との話は聞き役に徹するのがいちばんいい。
わたしの話はあまり意味がなかった気がする。
まだ聞いておきたい話があったんだけどなァ
少し残念・・・