日本人はチップを渡したり受け取ったりすることに

抵抗があるというのだけれど、WHY(ホワ~イ)?どうして?

 

それって日本人が単にケチなだけ、

あるいは官僚主義に完全に毒されているからではないだろうか?

 

ん?それって乞食(こじき)さん※みたいじゃん、かえってサービスをする人をバカにしているんじゃない?

人間は平等なんだから、

って?

 

どうしてそういう発想になるかねえ。

 

1年ちょっとの間とはいえ、チップを受け取って生活していたわたしから見ると、それはむしろ差別の裏返しのように見える。

日本人の差別意識はホント根強いんだよなあ。自覚できていない差別意識も含めて。

 

と、いっても、

これはあくまでもわたしの経験に基づく個人的見解であって、深く考えたものではない。

ナニ勝手なこと言ってんだ、くらいに思っていただいて結構。

 

でもまあ・・・、とにかく、

チップはウレシイよ~、楽しいよ~、(笑)

 

みじめな気持ちにならないか、って?

いや、全然、まったく。

 

そういう人も子どものころお年玉をもらった経験があるんじゃないかな?

お年玉もらってみじめな気持ちになった?

 

日本人がチップのようなものに対してネガティブな感情を抱くようになったのは、そう古いことではないと思う。

昔から「心付(こころづ)け」「ご祝儀(しゅうぎ)」というものがある(あった?)んだから。

 

そのころわたしはそのホテルがチップオーケーであるのはM社長が外国のホテルの真似(まね)をしているのだ、と思っていたが、

もと役者だったM社長の経験もあったのかもしれない。

 

とはいっても、ホテルが大っぴらにチップを認めていたわけではない。

あくまでも、

もらってもとがめだてはしないよ、というスタンス。

 

だから、チップの話題はホテルではタブーだった。

あくまでも、暗黙の了解、ボーイのひそひそ話の世界。

 

それでも、チップを渡してくれるお客さんの比率は80%を超(こ)していたと思う。

 

しかも心得た?お客さんばかりで、チップを渡すのはエレベーターでか、部屋の中。

ロビーや廊下でいただいたことは一度もない。

 

外人のお客さんの多かったホテルとはいえ、半数は日本人なのだから、みなさんよく知っていたなァ、と、いま思い出しても不思議な気がする。

 

旅行会社が「暗黙の了解」を説明していたのかな?(笑)

 

しかし、だからと言って、チップを渡すか渡さないかでサービスに影響があるわけではない。

チップを要求するようなことはなかったし(それは許されない)、無いからといってサービスやボーイの表情・接客態度に変化があるわけでもない。(中にはそのあたりちょっと怪しい人もいたような・・・(笑))。

 

だから、いただいても、感謝の表現を強く現わすことはなく、さりげなく感謝の気持ちをこめて、外人さんにはサンキュー、日本人にはありがとうございます、と言って軽く会釈するくらいのものだった。

 

内心はまったく別だったのだけど。(笑)

 

こう書くと、ちょとややこしいホテルだな~、と思って敬遠したくなる人もいるかも知れないが、

ホテルの評判は意外なほど良かった。

 

リピーターも多く、旅慣れた女性から「このホテルは(いい意味での)穴場なのよねー」と言われたことがあった。

クレームもほとんどなかった。

 

これはサービスの内容もさることながら、ホテルに人の血が通っていた、というか、アットホームな雰囲気のあったことが大きかったのではないだろうか?

 

そしてそれは、従業員の自由度が高かったことに支えられていたと思う。

 

M社長、仕事に対して非常に厳しい姿勢の人であったかも知れないけれど、ウルサイ人、細かい人ではなかった。

仕事は各自の自主性を尊重する、というか、人をモノ扱いする人ではなかったんだなァ。

 

そのころはまだそんな経営者が存在していた。

 

それだけに、イヤイヤで義務的に仕事をするような人にはかえってつとまらない職場であったかもしれない。

今ではどの企業でも重宝されるような?上だけを見る偽善的、他罰的な要領のいい人も浮いてしまう環境だったように思う。

 

 

↓これは、わたしが働き始める3年ほど前に、学校を卒業してそのホテルにコックとして就職した人がブログでUPしていた、当時のレストラン厨房の様子の写真なのだけれど、みなさんいい表情をしている。

 

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            (写真お借りしまーす。元ボーイより。(笑))

 

それにしても、今はもう無いホテルの記憶というか、記録をこうして見ることのできるネットのすごさに改めて驚く。

 

こんな画像も見つけた!

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これは実は映画のワンシーン。背景に写っているのがそのホテルだ。

この時はまだ工事中でホテルの開業は翌年。わたしは田舎の中学一年生だった。

 

写っているのは戦前戦後を通じて長く俳優として活躍した藤原釜足さん。

 

映画は加山雄三さんの「若大将シリーズ」のひとつ。※2

 

まだ現役ばりばりといった感じの加山雄三さんだけれど、芸歴はおそろしく長いんだなー。(笑)

 

 

 

うーーん、当時のことを思い出していると、とりとめがない、というか次から次へと記憶が蘇(よみがえ)ってくる。

 

ということで、次回もホテルでのアルバイトの話。なんだか続きそう。(笑)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、わたしは「乞食」という「職業」を認めている。

 

※2

こちらの映画。いまはもう見ることのできない懐かしい風景がてんこ盛り。DVD買おうかな?

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眠いのだけれど眠れない。

そんなちょっと嫌(いや)な状態のまま、昔の記憶をたどっている。

 

いま思い出しているのは、前回も書いたホテルのボーイ時代のこと。

そのアルバイトをはじめて2、3週間経ったくらいの時だったかな、

その日は夜勤で早朝5時前、ロビーにいるのはわたし一人。

夜勤のときボーイは交代で仮眠をとることになっていたので、わたしはまだ寝起きという感じで、背中を壁につけてうつらうつらしていた。

 

すると、正面のエレベーターがスーッと開いて、小柄(こがら)な老人というか、おじいちゃんという感じの人が出てきた。

 

「こんな朝早くにどうしたんだろう。老人だから朝早く目が覚めてしまってうろうろしているのかな。」

と思っていると、そのおじいちゃん、しばらくロビーを見渡していたが、わたしに気づくと、まっすぐこちらに歩いてきた。

田舎のおじいちゃん風だが、姿勢がよくて足取りもしっかりしている。

 

そしてその老人、わたしの正面に来ると、いきなり、

「こらっ!」

 

大きな声で一喝。

 

「な、なんだ、心当たりないよー。」

と思いながらも居住まいを正して「はッ」という感じになると、その老人。

「なにをダラダラしてるッ。」

 

あ、見苦しい、ということかな、とかしこまったが、老人は緩(ゆる)めず、スゴイ剣幕でしばらく叱り続けた。

「ひでーじいさんにつかまてしまったな」と思ったが、悪意とか嫌味な感じは全くなかったので、直立不動で叱られていたのだが、その様子がおかしかったのか、老人は「は?」という感じで一瞬口を閉じると笑顔になった。

 

そのあとは柔らかな表情になったのだけれど、説教はしばらく続いた。

 

最後は、親し気に、

「いいか、元気だ。元気がないと社会で生きていけんぞ。元気を出せ。」

というと、またすたすたと歩いてエレベーターのところに戻り、そのまま上階に上がっていった。

 

「あれ?あんなじいさん泊まっていたかなあ?それにしても変わったじいさんだったなァ。」

と思ったが叱り方がからっとしていたので、それが尾を引くことはなかった。

 

その日のお客さんのチェックアウトが一段落して、夜勤と昼勤の引継ぎをしていると、その老人がこちらのほうに来た。

支配人がその後をついて歩いている。

 

老人はわたしたちの横を通るとき、ニヤッと笑って、

「元気でやってるか。」

先輩のボーイたちが頭を下げた。

 

その老人がホテルのМ社長だと、先輩が教えてくれた。

 

М社長はそのホテル以外にもいくつかのホテルやレジャー施設などを経営しているので、ここにはあまり来ない、ということだった。

 

「はァ、それで。納得。」

 

しかし、あまり圧迫感とかは感じなかった。

 

フロントや事務所の社員の人たちの話だと、とても厳しい人だということだったので、ちょっと拍子抜けがしたくらいだった。

 

ただ、ボーイやアルバイトなど、今でいう非正規労働者を叱るようなことはなく(わたしは叱られたが・・・)、社長の前でピリピリしている社員さんや支配人などの幹部とは違って、アルバイトたちはわりとリラックスしていたようだった。

 

今から思うと、下に厚い人だったのだろう。

わたしもM社長にはいいおじいちゃんという印象しか残っていない。

 

旅役者の子役から身を起こしたというだけあって(これは最近ネットで知った)、下層の人たちの苦しさを知る人だったのだろう。

 

ということで、そのアルバイトはおいしかったー。(笑)

 

時間給はふつうの金額だったのだが、ナント、そのホテルはチップオーケーだったのだ。

このチップが時間給でもらう給料よりも2倍、3倍、ときにはそれ以上の金額になった。

 

 

・・・あ、眠くなった、この続きはまた明日書こう。zzZZ

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも厳しいことはキビシイ社長だったんだろうなァ。

ネットを検索していると、横浜の某レジャー施設の事務所に掲げられていたというM社長自筆の「社訓」の写真があった。

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そのホテルの事務所にも同じような額が掲げられていたが、文面は少し違っていたようだ。

 

たしか、「鉄の信念、鉄の意志」という言葉があって、「うへっ」とちょっと引いた記憶がある。

(ダメ人間だからね、わたしは。

豆腐の信念、豆腐の意志 ・・・・とまでは言わないけれど。(笑))

 

 

曇り空の下にひびく

区役所からの、外出自粛の放送。

 

[http://

:title]

ということで、引きこもり。

 

テレビは相も変わらず。

つまらないのでほとんど見ない。

 

もっぱらネットだけれど、こちらも入ってくるニュースは、絶望的なものばかり。

夢もチボーもない。

 

夢もチボーもない、と言ってもいまの若い人はわからないだろうなァ。

わたしの学生時代に活躍していた漫談家の東京ぼん太さんのギャグというか決まり文句だった。

 

もうyoutubeの動画でもほとんど見ることができない。

かろうじて残っているのがこの動画。丸々と太って首に唐草模様の風呂敷を巻いて、傘を手にしていた頃の面影はなく、ひどく痩せている。

 

[http://:title]

このあとも波乱の人生を歩んで47歳で亡くなったようだ。

 

わたしがあるホテルでボーイのアルバイトをしていたとき、ホテルのクリーニング部に東京ぼん太とマジックで書かれた紙の衣装入れが棚の上に置いてあって、

へー、東京ぼん太、ここを利用しているんだー、なんて、思ったのだが、

そのケースは1年以上そのままで、わたしが大学を卒業してそのアルバイトを辞めるときも同じところにあった。

 

けっこう笑わせてもらった芸人さんだったので、見れたらいいな、と思っていたのだけれど、

けっきょく一度も来なかったみたい。

 

夢もチボーもないといえば、昨日見つけたこの動画。

 

[http://

:title]

 このコロナウィルス禍による売り上げ減と自粛要請に耐えられないような会社は潰す???

のだと。

 

自民党幹部さん、どんなオソロシイ考え方をしているんだ???

 

オソロシイといえば、自粛によって立ち行かなくなっている国民の生活への補償がどうしようもなく不十分なことに対しても、自民党の議員さんのほとんどが、

“働かざる者食うべからず“

だから、国民の要求を聞く必要はない、と、安倍自民党政権に全面的に同調しているのだとか。

 

え?いつから自民党ステレオタイプマルクス主義共産主義の党になったの?

 

と言っても、マルクスは働かざる者食うべからずとまでは言ってなくて、

この言葉は、パウロキリスト教初期協会の人たちに対して、

民衆に迷惑をかけないように、“一日働かなければ一日食べないようにしよう“

と言っているのをレーニンが引用して、

当時、権力者とつながって金満の生活をしていた宗教者に投げつけた言葉だったのだけれど。

 

ま、日本ではその辺の事情も知ることなく“働かざる者食うべからず“

という言葉だけが社会主義のスローガンとして独り歩きした面があるようだ。

 

でも、そうか・・・。

自民党も旗を赤旗にしたほうがいいかもね。

 

しかし、自民党にはそのほかにも“働けざる者食うべからず“ や “自己責任“などというスローガンがあるようだから、それを旗に反映して次々と削っていけば、

あ!

旭日旗だ!

となるのかも?

 

 

いずれにしても、日本国民お気の毒。

わたしもこのトシでさらに絶望が深まるとは・・・。

 

それにしても、安倍首相や麻生財務相

ほんとうにどうしようもないぼんぼんなんだな。

庶民の苦しさ、日本社会の現実がまったく見えていない、というか理解できないでいる。

 

そして、そのぼんぼんに媚びることしかしない、できない自民党の人たち、取り巻き。

 

どうやら、安倍首相や麻生財務相

裸の王様どころじゃないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょう配信されたリテラさんの記事。

https://lite-ra.com/2020/04/post-5358.html

 

ドケチファシストとは言いえて妙(みょう)。笑

 

わたし的には関西風にアレンジして

“どけちファシスト

といきたい。

 

1ヶ月ほど前に前を通った居酒屋さんのマスコットパンダ?

 

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             昨日見ると、

「やってらんねーよ」とばかりに横を向いていた。

            

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ワカル・・・。

 

それにしても、

どうして、あの人(あの人たち?)は庶民をヒドイ目にあわせて平気なのだろう?

 

いまの首相と財務相はいずれも、代々超お金持ちでかつ権力も握った御家(おうち)の生まれ。

おカネの苦労も生活の苦労も知らない身分の方たちであることは間違いないだろう。

 

そういう人たちのものの考え方、感じ方はわれわれ庶民とはかけ離れたものがあるのではないか?・・・

 

むかし、まだ学生だった時、

わたしはある「高級」と言われるイタリアンレストランでウエイターのアルバイトをやったことがあった。

当然、お値段も立派なものだったのだが、そこをしょちゅう利用する学生のグループがあった。

 

そのグループは某有名企業のオーナーの息子とその取り巻きだったのだが、

驚いたのは、その中に“太鼓持ち“がいたこと。

そのいでたちは、

うーん、いまTBSに出演しているタチカワシラクという人にそっくり、といえばいいかな?

いつもああいう「和服」で、扇子(せんす)を持っていた。

 

その太鼓持ちさんはいつもグループの周りを歩き回って雰囲気を盛り上げるのだが、その姿はまさにプロ。

 

当時の彼らの大学は、お勉強をあまりしたくないタイプのお坊ちゃんが集まる、お金持ち大学として有名だったのだが、

それにしても、田舎から出てきたばかりのわたしにとってはショッキンングな光景だった。

まるで別種の人たち、というか感覚が全く違う。

 

そしてまた、中心にいるその大企業オーナー息子というのが、それまで見たこともない異次元の横柄さ。

わたしの愛想笑いも引きつっていたと思う。

 

「あまりお金持ちや有名人の素(す)の姿を見ていると人間不信になっちゃうな~」

と思って、そろそろアルバイトをやめようかと考えていた頃、

その太鼓持ちさんが珍しく、というか、はじめて一人でそのレストランに食事に来たことがあった。

 

やはり和服姿だったのだが、いつもの軽薄な感じの笑顔はなく、マジメというより、少し怒ったような表情をしていた。

 

いちばん安いメニューを注文して、ひとりで食べていたのだが、そのうしろ姿が悲しげで、とくに慟哭(どうこく)しているような(に感じた)首筋から後頭部あたりの様子は今でも思い浮かべることができる。

 

そのときは

「そりゃーあんなことしていればツライよなー。」と思っただけだったのだが、

いまは、

ひょっとしてあのオーナー息子から何かヒドイ仕打ちでも受けたのかな?

と考えることもある。

期待していた就職の願いを断られたとか・・・。

 

 

ま、格差の少ない田舎で18歳までを過ごしたわたしには、都市部の格差社会というのは想像を絶していた。

 

そして今、その格差はン十年むかしのわたしの学生時代よりはるかに広がっている・・・。

 

以前、よく安倍首相や麻生財務相の「学歴」が揶揄(やゆ)の対象になったことがあった。

学歴洗脳教育を受けた日本人にとっては、東大かそれに準じるようなヘンサチ大学でないと、学歴的に不満なのだろう。(ただし、それを問題にするようなのは一部の人。)

 

わたしは基礎的な教育など中学校までで十分で、あとは大学・大学院に行こうと、社会で経験を積み知識を吸収しようと、それは「個人」の問題だと思っている。

べつに制度で差別するようなことではない。

 

(ただ、あの立場で日本語が読めない、理解できないというのは問題あると思う。(笑))

 

「学閥」なども国、社会にとってはマイナスでしかないだろう。

 

ただ、学歴はともかく、実社会の現実を知らない、知る必要もない人たちが絶対的な権力を握るというのはたまらない。

 

そういう人たちが絶対的な権力を握っている国、社会がどうなるか?

 

それはいまわたしたちが経験しつつあることではないだろうか?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

・・・・・・あのアルバイトは精神的につらかった。

      

 しかし、 いま見ている光景・現実は、絶望的な分、もっとキツイかも・・・。

 

 

今日で2020年の3月も

終わり。

 

パソコンの「フォト」を開くと、「この日」とあって、こんな写真がUPされていた。

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7年前の2013年3月31日に撮ったものだった。

満開の桜と海棠(カイドウ=ハナカイドウ)。

 

桜は小石川から後楽園まで歩いて行く途中で写したものだと思うけど、海棠のほうはどこで写したものか、記憶がない。

たぶん小石川の公園ではないかと思うのだが・・・。

 

偶然、昨日(3月30日)買い物からの帰り道に満開の桜と海棠を写していた。

 

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当然7年前とはまったく別の場所。

 

この時期印象に残る二つの花、とはいえ、ちょっと不思議な気持ちがする。

 

昨日帰ると、知人女性からの泣きながらの電話。

 

29日の夜、お父さんが亡くなったのだという。

 

なぐさめの言葉も見つからず、

 

「誰もが必ず死ぬんだから。」

 

というのがやっと。

 

72歳。まだまだ生きられる年齢だっただけに、親族はつらいだろう。

 

29日の夜といえば、コメディアンの志村けんさんも亡くなっている。

 

こちらは70歳。

 

庶民受けのするいい芸人さんで、多くの人たちが悲しみに沈んだ。

 

70歳、72歳といえばわたしからは先輩世代。

しかし、その時代の若者の様子をよく知っているだけに、感慨も思いも深い。

 

知人女性のお父さんは、若いころはバイクに遊びにギャンブル(←これで家族は少し苦労したらしい・・・)にと、活発というかやんちゃなくらいだったらしいが、仕事も一生懸命する人だったという。

 

志村けんさんもデビュー当時から見ていた。

ドリフターズの他のメンバーから見ても若手で、当初は、いかにも若者らしい元気すぎるくらいの芸だった。

しかし、本物のプロフェッショナル芸人の片りんは当時からあり、安心して楽しめた。

 

志村けんさんの死に際しては、小池東京都知事

「(その死によって)新型コロナウィルスの恐ろしさを知らしめる功績が」

というような発言をして少し物議をかもした。

 

わたしはこの発言を

「死んでまでみんなのためになってくれた」

という意味に受けとったのだが、

 

「名誉の戦死」という意識が小池都知事の頭の片隅になければ幸いだ。

 

ターミネーターなど、近年のアメリカ映画に「自己犠牲」「名誉の死」を賛美する内容のものが多かったため、その影響を少し心配している。(アメリカの「愛国者法」=(USAパトリオット・アクト2001~2015)のようなものが作られたら大変だと思うので。)

 

たしかに志村けんさんの芸は唯一無二のもので、志村けんさんも唯一無二の人だ。これを失った国民の嘆きの大きいのは当然だろう。

 

ただ、日々亡くなっている多くの人たちもやはり唯一無二、貴重なかけがえのない人たちであるということもわたしたちは忘れてはならない。

 

指紋だって誰一人同じ人はいないのだから。

 

誰にだって父がいて母がいる。

その父母が子どもにとって唯一無二の存在だということは誰にでもわかるだろう。

 

そして、誰にだって愛があり悲しみがある。

人間に備わった要素は誰もが持っている。

 

戦後、いっとき日の目を見た「平等」という思想が消えてしまったこの国だけれど、

 

いま一度、「平等」ということを考えてもいいのではないだろうか?

 

平等性の強い社会であれば、人はその悲しみや楽しみを共有でき、

悲しみはやわらぎ、楽しみは増すのではないだろうか?

 

差別、選別、そして格差が増すほど、人間の不幸の総量は大きくなっていくのだと思う。

 

わたしもあとどれだけ寿命が残っているかわからないけれど、

最後まで現代ニッポンの格差イデオロギーに同ずることなく、「平等」を理想としたまま死んで行きたい。

 

今年の3月は「鎮魂」と「祈り」の月になってしまった。

 

知人女性のお父さん、志村けんさん、そのほか名前はわからないけれど、この三月に亡くなった人たちの冥福を祈りたい。

 

 

 

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        海棠の 日陰(ひかげ)育ちも 赤きかな   一茶

 

        観音の 大悲(だいひ)の桜 咲きにけり   子規

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

3月の金星(宵の明星)と明け方の月。

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どちらも強く光っていました。

とくに月はまぶしいほど。

 

月も金星も年齢が増すほどに不思議なものに思えてきます。

 

 

        

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 





 

「経済的に追い詰められる国民への政府、自民党などの

対応について感じたことなどは、日記「ひぐらし無常」に書きます。」

 

と書いたので、書きます。(笑)

 

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これに関しては、いまネットですぐれた記事、ブログ、意見などが多く上がっているので、それを参照、紹介すれば足りると思う。

 

まずは、リテラさんのこの記事。(枠組み□の左下端をクリックしてください。)

 

lite-ra.com

 

この商品券の件に関しては、経済学者の植草一秀さんも、自民党というか麻生財務相などから話が出たときに、あっさりと論破している。

 

uekusak.cocolog-nifty.com

 

しかし、さらに自民党は・・・

 

www.agrinews.co.jp

 

もはや何をかいわんや。

 

twitterでの反応。

 

『和牛が生活の足しになるかボケ。検討しているやつら完全に頭おかしい。

 → [新型コロナ]和牛消費へ商品券。経済対策自民が検討。』

 

まったく同感。

まして、肉や魚を避けている痛風持ちのわたしにおいてをや。

腹立つなァ、ホント。(笑)

 

自民党の国会議員さんというのは、国民の生活の実態、国民の痛み苦しみを知らない人で占められているのだ、

ということがよくわかる。

 

ブログで触れた「新自由主義グローバリズム」については、お仲間ブログの「われら庶民主義」「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」で。

 

それとは少し話がそれるけれど、昨日mnsニュースで見た記事で憂鬱な気持ちが倍加した。

 

→ 『3月25日午前2時5分ごろ、岐阜市寺田の路上で「知人が数人の男に蹴られた」と110番があった。

岐阜北署員が行ったところ、住所不定・無職、渡辺哲哉さん(81)が路上に倒れていた。

病院に搬送されたが数時間後に死亡が確認された。

同署によると、渡辺さんは路上生活者(ホームレス)とみられ、通報したのは一緒にいた知人女性(68)。

2人は近くの橋の下にいたが、何者かに石を投げられたために逃げ出した。途中で女性が後ろを振り向くと渡辺さんが倒れていたという。』

 

・・・81歳で住所不定無職もないだろう。

橋の下で露命をつないでいた、おじいさんだ。

68歳の女性と老いたものどおしで助け合って生きていたのだろう。

 

その老いた2人に石を投げつけ、逃げ遅れた81歳の老人を寄ってたかって蹴って殺した数人の男たち。

 

その老人の人生がどういうものであったか、そういう想像力も無いこの国の(おそらく)若い男たち。

 

・・・ホームレスが若者たちによって襲われたケースは過去にも多くあった。

ホームレスなら殺してもいい、殺してもたいしたことはない(たいした罪に問われない。)。

そんな社会的背景もあるのだろう。

たしかにホームレス殺しはあまり犯人が捕まったという話も聞かない。

 

そういうこと(ホームレスor弱者殺し)をやることで、彼らは自分が「強者」の側にいることを実感し、日本社会の一員であることを(潜在意識的に?)確認できるのかもしれない。

 

これは、案外、自民党の和牛商品券検討の国会議員さんにもつながるような気がする。

(お仲間政治)

まさに、中曽根政権以降の自民党を中心とした「保守政治」、「政治体制」の本質に関わっている問題ではないだろうか?

 

いうまでもなく、あの相模原の障がい者大量殺害ともつながる。

 

ところで、今日見たニュースによると、

世界の国の幸福度を調べた調査で、日本は62位だとか。

 

これはたぶん表面的な数字を追ったものではないか?

 

もっと詳しく内実を調べれば、以前そういう(詳しい)調査をした結果が100位近くであったように、いまも100位近く、あるいはそれよりもずっと下かもしれない。

 

いくらテレビやネトウヨ自民党サポーターなどがニッポンスゴイなどとはやし立てようが、日本人の不幸はすでに世界に露呈しているのだ。

 

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今日の締めはこの曲を聞こうかな。

“”ジェリコの戦い“”

中学生の時、わたしはブラスバンド部にいてこの曲を練習して、どこかの発表会(忘れた・・)で演奏して、

そのときは「いい曲だなー、演奏もしやすいし」と思っていただけなのだけれど、

 

最近、旧約聖書の「ヨシュア記」を読んで、

この「ジェリコの戦い」がとてつもなくオソロシイものだと知った。

 

侵略&皆殺し。

 

わたしには恐るべき侵略者としか思えないヨシュアモーセの次のユダヤの指導者)が「英雄?」なのかがわからない。

聖書の中だけではなく、今も「偉大な人物」なのだ。

 

でもま、今日は音楽だけを懐かしく聞こう。

 

[http://:title

 

ヨシュア記については、またここで書いてみたい。

 

 

 

昨夜TBSのnews23を見ていたら

番組の終わりに、

女性キャスターが(小池都知事の“感染爆発の恐れ“発言で?)

「スーパーなどから食料が(爆買いで?)無くなっているようなんですが」

と、男性コメンテーターに意見を求めると、

ここぞとばかりにコメンテーターさん、笑顔で

「いやまったく心配いらないですよ。食料はありますから。}

というようなことを自信たっぷりな様子でおっしゃっていた。

 

それでそのまま番組は終わったのだが、わたしにはストレスが残ってしまった。

 

短い時間では無理なのはわかっているが、

「なぜまったく心配がいらないのか?」

その根拠なしに言われたままで終わってはねえ・・・。

 

もちろん、元朝日新聞の論説委員という立派なキャリアをお持ちの方の言葉だからそれなりの裏付けはあるのだろうけど、

 

幼稚園や小学校低学年の児童に言っているんじゃないんだからさァ。

 

「ハイ、大丈夫でちゅよー。」

 

だけでは、こちとら納得できない。(笑)

 

実際、マスクなどはいま非常に手に入りにくい。

 

とくに必要と思われる70歳以上でマスクをしている人が少ないのは、テレビしか見ない人が多いからではないか?

 

そこらへんの責任をテレビや大マスコミは感じてほしい、と思う。

 

(マスクの不足に関する調査報道も見たことがない。

ちなみにわたしはテレビなどでマスクは効果がないなどという説が流布され始めたときに、“”これはおかしい“”と思って10枚入りのものをふたつ購入。

おかげでいまのところマスク難民ではない。→一度使ったものは洗って日干ししている。)

 

もちろん、大元(おおもと)は政府だけどね。

 

な~んにも考えていないんだな、

と思ってしまう。

 

お年寄りのために自分のお年玉を切り崩して、手製のマスクを作って送った山梨の女子中学生に多くの人が感激した背景にもそれがあるのではないか?

 

ともあれ、国民の不安に対して何の根拠も示さずに「大丈夫」とだけ言って済ますのは、政府や自民党議員さんたちだけでいいので(よくはないか(笑))、いちおうジャーナリズムの系譜にある報道番組としては、

その「安心」の「理由」も国民に知らせる必要があるのではないだろうか。?

 

政府広報はNHKだけで結構です。

 

このあとの「調査」「報道」に期待したい。

 

(どうなっているの?政府のバックアップ体制)

 

 

※このところnews23しか見てなかったので、あげつらうような感じになってごめんなさいね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・ホント、わたしだけじゃなく、最近、テレビを見ていたらストレスがたまる、という人が多いんですよねえ。

 

で、ストレスのたまる原因を考えたら・・・

 

① ウソ、ごまかしをかまされる。

 

② 上から目線でバカにされてる感じ。

 

③ 処世にはたけているのだろうけど、ふつうにイヤな奴、イヤなタイプが多い。

 

④ 権力を背景にした傲慢さ。特権意識。

 

⑤ 昔のように民衆、庶民に根ざした芸人さんが(テレビには)いない。

 

⑥ 庶民からはあきらかに一線を画した「あっち側」の人間であること。(準上級国民?)

 

⑦ 「誠意」を感じさせる人が極端に少ない。

 

⑧ でもまあ、ほんとうの「プロ」を感じさせれば、いいのだけれど、ほとんどがアマチュア芸の延長。お仲間芸。

 

⑨ 権力の犬意識が徹底されていて、潜在的に民衆(庶民)を敵視。

 

 

面白いわきゃないわね。

ほんとうに民衆のためになる、あるいは民衆を楽しませようというのではなく、だまし工作、ごまかし、ゴマカシ芸なんだから。 (-~-)

 

・・・まだまだありそう。

この項、書き継いでいこ(^^)