S図書館に向かっていると、途中にあるお寺で菊祭りをやっていた。いつもは通り過ぎるだけなのだけど、「菊祭り」となると見逃せない。
正面はミニ大仏さん?かな?
境内ではいろいろなイベントが行われている様子。
右端の画像は、背景図つきの箱庭。
お寺さんにしては派手めだが(笑)、菊の花がすべてをうまく包みこんでいて、調和がとれている。
菊の花の包摂力というか包容力は相当なものだと思う。
もちろん?菊の花は私の最も好きな花のひとつだが、とりわけ好きなのは小菊と呼ばれる種類の小さな花の香りの強いものだ。
これには思い出があって、わたしが中学二年生のとき、母が子宮がんで入院した。
学校から帰っても家には誰もいない。
玄関前で落ち込んでいるわたしの気持ちをなぐさめてくれたのが、家の前に父がびっしりと植えていた、黄色の小さな菊の花だった。
その姿と香りは今でも強烈に記憶に残っている。
幸いに母は手術の結果、全快。その後40年近く生きることができた。
母が入院した日、厳しい表情でわたしに「お前も覚悟しとかないといかんぞ」と言った父のほうが先に死んでしまった。
わたしのように菊の花に思い出のある人は結構多いんじゃないだろうか?
境内にはうどんやお汁粉などのお店?も。
採算度外視で?安い!
お寺の名前のついたうどんを注文。
ワカメとネギに・・・
もう一品、カマボコかなにかを切らした、ということで、
「チクワ天かゆで卵かどちらかを選んでよ」
わたしは当然ゆで卵をチョイス。
なぜか?すでにチクワ天(チクワ半切り)にトングを伸ばしていたおじさんが苦笑いをしながらゆで卵を入れてくれた。
これで、250円!
七味をたっぷりふりかけて、
ごちそうさまでしたー^^
うどんとお寺といえば、わたしが学生のころ、両親と行った小豆島のことを思い出す。
フェリーから降りて少し行ったところに小豆島八十八ヶ所のひとつに数えられているお寺があって、
そこで「おせったい」のうどんがふるまわれていた。
親子三人、そこで「昼食」。
もちろんタダ。(お賽銭はしっかりといれた、はず?)
見た目はシンプルだったが、本場のうどんだけあって、とてもおいしかったことを覚えている。
ネットのお寺の案内を見ると、今でも「おせったい」の伝統は続いているようだ。
わたしたちが行ったときはもう少し小ネギが多かったかな?(笑)
このときは帰りに父が足の痛みを発症。
「いてて」
ということで、途中でひろった木の枝を杖にしていた。
そのときは「なんだろ?」と思っていたが、
後年、わたしが「同じような」状態を繰り返すようになって、「原因」がわかった。(痛風!(^^;))
父はともかく?母はこのときのことがとてもいい思い出になったようで、わたしが見舞いに帰ったとき、老人施設の窓から見える海を見ながら、
「もう一度、あのお寺に行ってみたいね」
と言っていた。
が、それが最後の会話になってしまった。
当時、東京で修羅の生活をしていたわたしは母の死に目にあうことができなかった。
それでも、母との最後の会話が、そのときのちょっぴり幸せな思い出だったことは、わたしの小さな救いになっている。
・・・東京のお寺で、田舎の事を思い出す、なんてこともあるんだなァ。
ミニ大仏さん。近くによって「いわれ」を見ると、お地蔵さんだったんだな。
(直接仏像を撮るのは気が引けたので、写真、お借りしました。謝謝)
江戸六地蔵のひとつだとか。
これからは、たまにでも寄って、手を合わせるようにしよう。 かな?