真夏の夕暮れ時は、心(こころ)做(な)しか道も空間も微(かす)かに赤い色を発しているように感じる。
今年は蟻(あり)が元気だ。
いつも歩く歩道にいくつもの蟻の巣の出入り口が。
今年はとくに数が多い。
これはコロナ禍で人があまり出歩(である)かなくなっているからだろうか?
人が引っ込めばアリが出てくる?(笑)
そんな状況の下で東京オリンピックが強行開催され、日本はメダルラッシュで沸(わ)
いているらしい?(笑)
(↑ これは歴史(オリンピック史?)に残る漫画ではないだろうか?(笑))
テレビなどのメディアや自民党の政治家さん、官僚さんたちが大喜び?する陰(かげ)で、多くの貧しい人々はどんどん追いつめられ、飢(う)えている人も多くなっているようだ。
暑いさなか、大ぜいの人が食糧支援に長い列を作り、冷房費の払えないお年寄りが熱中症で亡くなったりしている。
これが多額のお金を費やしたオリンピックの行われている国の実情なのだ。
沈黙する羊(ひつじ)たちの国では権力者はやりたい放題。
しかし、市民のスピリットが完全に死んだわけではない。
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(少数派に見えるけど、共感している人たちは多い。がんばってください。ありがとう。)
もちろん、政府もオリンピック組織委員会も耳を貸す気はないだろう。
わたしは、こんなオリンピックへの興味はない。(そっぽを向いた羊状態?)
(なかったのだが、)
しかし、俄然(がぜん)、最近になって興味が湧(わ)いてきた。
というのは、競技期間中に広島に原爆の投下された8月6日がやってくるからだ。
その日に、オリンピック全体での「黙祷(もくとう)」が行われれば、その意義は小さくない。
選手で競技のある人は競技場で、競技のない人は各自の部屋で、役員、競技関係者の人たちも各々(おのおの)その場所で、原爆の投下された8時15分に一斉(いっせい)に黙祷してほしい。
いや、黙祷すべきだ。
もし、それが行われれば、遅ればせながらわたしもオリンピックを認めるかもしれない。
世界平和を目指すというオリンピックの理想のひとつが復活したと言えるからだ。
しかし、もし行われないと、
あのIOCのバッハ会長の広島訪問も、オリンピックでの原爆犠牲者への一斉黙祷(いっせいもくとう)ということを回避するためのものとしか思えなくなってしまうし、実際そうだろう。
一般民衆への原爆投下という事実を無視して競技を行う人たちは尊敬できない。
それにしても、日本は何をやっているのだろうか?
いまだ、日本の大会関係者や政府からは、黙祷を提案したという話は聞こえてこない・・・。
・・・。
まあ、8月6日を待(ま)とう。
わたしは黙祷するが、その黙祷が怒りを伴ったものにならないことを祈っている。
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なぜアメリカが日本に原爆を投下したか?
いくつもの説があるが、その中に、連合国軍の日本上陸作戦を容易にするため(連合国軍の戦死者を最小限におさえる)というものがある。
わたしはそれはあまり有力な説ではない、と考えているが、
それでも、その上陸作戦が“オリンピック作戦"と名付けられていたことは気になる。
日本人大衆の命を虫けらのようにしか思っていないかのような日本政府の行為、行動もあわせて考えると・・・。
・・・・・、ちょっと過激かな?(笑)
そんな心細い人間世界をよそに夏草が生い茂っている。毎年のことながらその旺盛(おうせい)さに強い印象を受ける。
戦争や大量殺りくなどで人類が滅んでも、植物やアリたちは営々と生命活動を続けて行くのだろう。