雨(あめ)、雨、雨の毎日(まいにち)。
いまも降(ふ)っている。
それにしても、一気(いっき)に10℃以上(いじょう)も気温が下がる天候(てんこう)には参(まい)った。
身体(からだ)も心(こころ)もついて行けないで、憂鬱(ゆううつ)な気分(きぶん)になっている。
調子(ちょうし)の悪いときには誰(だれ)とも話したくない、できれば他人(ひと)の顔(かお)も見たくない、というのが最近(さいきん)のわたしの傾向(けいこう)なのだが、
これがわたしの運(うん)のいいところで、そういうときに限(かぎ)って、いろんな事柄(ことがら)や用事(ようじ)が重(かさ)なって人と関(かか)わらなくてはいけなくなってくる。
「運命(うんめい)というやつの顔(かお)が見てみたい。」というのは幸田露伴(こうだろはん)の小説(しょうせつ)の中の言葉(ことば)だったかな?
もし運命の顔が見えたら、これまでの人生(じんせい)でわたしは何千回(なんぜんかい)その顔に向けて叫(さけ)んだだろう。
「これはどういうことだ~!」
でもまあ、落ち込んでばかりではいけないので、気分転換(きぶんてんかん)のために日が暮(く)れると散歩に出た。
雨のマイナスイオンで爽快(そうかい)な気分に、と思ったのだが、寒(さむ)いし足元(あしもと)はびちょびちょだし、で心(こころ)も体(からだ)もネガテイブモードから抜(ぬ)け出(だ)せない。
でも、目的地(もくてきち)を楽(たの)しみに、ゆっくりゆっくり歩(ある)いて行く。
目的地(もくてきち)は隣(となり)の区にある区立図書館(くりつとしょかん)。
いつも行っている近くの図書館よりも蔵書数(ぞうしょすう)が多く、夜も遅(おそ)くまで開館している。
片道(かたみち)、5000歩ちょっとで到着(とうちゃく)。
図書館でのわたしのルーティン。
まず新聞と週刊誌にざっと目を通して、開架(かいか)めぐり。
開架されている本の背表紙(せびょうし)を見ながら歩き回るのだけど、これが至福(しふく)の時なんだなァ。(^^)
何冊(なんさつ)か手に取ると座席(ざせき)に座(すわ)って拡大鏡(かくだいきょう)を手に斜(なな)め読(よ)み。
これを繰(く)り返(かえ)して借りる本を決める。
今回(こんかい)借りた本は、
「元素(げんそ)の王国(おうこく)」(ピーター・アトキンス)
「時間は存在(そんざい)しない 」(カルロ・ロヴェッリ)
と、
「日本の失敗(しっぱい)」(松本健一)
の三冊(さんさつ)。
松本健一さんの本を読むのはこれが二回目で、前回(ぜんかい)は1972年頃(ごろ)読んだ「北一輝論(きたいっきろん)」だった。
あの本を読んだことで、わたしのそれまでの「右翼(うよく)」のイメージが変(か)わった。
でも、松本健一さんはもういいかな~、なんて思っていたのだけれど、本の終わり近くに書かれていた、この中野正剛(なかのせいごう)の言葉で借りることを決めた。
『国(くに)は経済(けいざい)によりて滅(ほろ)びず、敗戦(はいせん)によりてすら滅びず、指導者(しどうしゃ)が自信(じしん)を喪失(そうしつ)し、国民が帰趨(きすう)に迷(まよ)ふことによりて滅びるのである。』
う~ん、いまの指導者さんにそういうことを言ってもねえ・・・、
思(おも)い込みでとんでもないことやられても困(こま)るし(笑)、
なんて思いつつ、ポツポツ読ませていただこう。
閉館(へいかん)5分前に図書館を出て、ゆっくりと帰り道を歩く。
相(あい)変わらず細(こま)かい雨が降(ふ)っている。
まだ夜の9時前なんだけど、淋(さみ)しい光景(こうけい)だ。
車も人もほとんど通(とお)らない。
途中(とちゅう))通ったスーパーマーケットも明かりは華々(はなばな)しいけど、この時間(じかん)お客はあまりいない。
寂(さび)れ逝(ゆ)くニッポン?
日本は坂道(さかみち)を転(ころ)げ落ちている最中(さいちゅう)なのかもしれないけど、
こうして、夜遅くまで図書館で本を読ませてもらって本が借りられる、というのはありがたいことだ。
文化(ぶんか)を守り、文化を伝(つた)えようとする日本人の営(いとな)みは、政治、経済に関(かか)わりなく続いているのだろう。(※)
文化を大切にし、文化を伝えようとしたのは日本人は誇(ほこ)っていいことだと思う。
人間、人類にとって文化を伝えて行くことには大きな意味(いみ)と意義(いぎ)があると思うからだ。
それは、特定(とくてい)の優秀(ゆうしゅう)な?人間の個体的(こたいてき)形質(けいしつ)を残していくことよりも重要(じゅうよう)かもしれない。
人間の頭脳(ずのう)が抜群(ばつぐん)といっても、
人間の全身(ぜんしん)のニューロン(神経細胞(しんけいさいぼう))の数はアフリカゾウに大きく負けるし、大脳皮質(だいのうひしつ)のニューロンだってある種(しゅ)のイルカたちよりも少ないからだ。
日本の政治、経済は絶望的(ぜつぼうてき)かもしれないけど、日本の文化はしっかり残(のこ)っていってもらいたいと思う。
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(※)でも、文化と悪習(あくしゅう)を混同(こんどう)してはダメだよね。たとえば政治家の世襲(せしゅう)とか。そこが難(むつか)しいところ。
悪習を矯正(きょうせい)するのは文明(ぶんめい)なんだろうけど、日本は中国文明、大陸北部(騎馬民族?)文明(習俗?)、インド文明、南アジア文明(習俗?)、西欧・アメリカ文明などがそれぞれ本質的(ほんしつてき)に入っているから複雑(ふくざつ)。
うーん。よく考えたら図書館とかは文明なんだろうけど、文化も絡(から)んでいると思うんだよなあ・・・。
混乱(こんらん)してきた。(笑)
70爺、知識(ちしき)も思考(しこう)もまったく足(た)りない。
あーあ。(^^;)
若い人たちはしっかり知識と思考力を身につけて、いい社会を作っていってね~。
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ということで、依然(いぜん)暗い気持ちのまま。抜け出せない。
こういうときはしみじみと昔の思い出に浸(ひた)る、と。(逆効果になる時もある(^^;))
1972年といえば今からちょうど50年前だ。
50年前・・・、わたしは二十歳(はたち)。(むふふ)
いまやゴミのようなじいさんであるわたしにもハタチの頃(ころ)があったのだ。
50年前にタイムスリップして、この暗い気持ちのじいさんでも聞ける歌、歌手といえば・・・、
この人しかないなァ。
1972年の日本に入(はい)り込(こ)んで・・・、
眠れそう。
70爺(じい)は二十歳の頃(ころ)の夢(ゆめ)を見る・・・?
(^^;