わたしの71歳(さい)の五月(ごがつ)もオシマイ。
今年(ことし)の五月は蒸’む)し暑(あつ)くなったかと思(おも)えば急(きゅう)に気温(きおん)が下(さ)がって肌寒(はださむ)くなったりで、五月(さつき)晴(ば)れといった爽(さわ)やかで気持(きも)ちのいい日(ひ)は少(すく)なかったような気(き)がする。
環境(かんきょう)の変化(へんか)に弱(よわ)いのか、躑躅(つつじ)の花(はな)も小(ちい)さくいじけて枯(か)れていた。
それでもこの時期(じき)の植物(しょくぶつ)の生命力(せいめいりょく)、繁殖力(はんしょくりょく)は強(つよ)く、旺盛(おうせい)だ。
雑草(ざっそう)の生(お)い茂(しげ)る空(あ)き地(ち)の横(よこ)を通(とお)ると、草(くさ)いきれの匂(にお)いさえする。
今日(きょう)、5月31日は朝(あさ)から雨(あめ)。
午後(ごご)になって止(や)んだので、散歩(さんぽ)を兼(か)ねて買(か)い物(もの)に出(で)かけた。
空はずっと、どんより。
身体(からだ)のどこが悪(わる)い、ということではないのだけど、このところ、体力(たいりょく)の衰(おとろ)えを感(かんじ)じることが多(おお)い。
全身(ぜんしん)がだるく、何(なに)をやる気(き)にもなれない。感受性(かんじゅせい)も鈍(にぶ)ったのか、何(なに)を見てもあまり感動(かんどう)しなくなっている。
心臓(しんぞう)が弱(よわ)っているのかな、
早足(はやあし)というか、周(まわ)りの人(ひと)たちのペースにあわせようとするとやや苦(くる)しいので、亀(かめ)のような足運(あしはこ)びで歩(ある)く。
(とほほ・・・。)
わたしは外見(がいけん)だけは若(わか)いため、後(うし)ろから来(き)た人たちに、
「なにトロトロ歩(ある)いてんだ。」
などと思われる、
のはイヤなので、必(かなら)ず杖(つえ)をつくようにしている。
杖をついていると、
「ああ、なるほどね。」
と、あたりが柔(やわ)らかくなる。(^^)
でも、だんだん世(よ)の中(なか)から遊離(ゆうり)してきているよなあ。(笑)
それでも花(はな)を見るとホッとする。
みなさん、上手(じょうず)に花を咲(さ)かせるなァ。
今年はアジサイの色(いろ)も濃(こ)いようで楽(たの)しみ。
ソ連(それん)崩壊(ほうかい)後(ご)のロシアが人(ひと)も国(くに)も大変(たいへん)なことになった時(とき)、それでも何(なに)かの記念日?(きねんび)に花屋(はなや)の店先(みせさき)に行列(ぎょうれつ)ができていて、
それを見た日本(にほん)の旅行者(りょこうしゃ)が、
「花を愛(あい)する国は必ず復興(ふっこう)する。」
と言ったらしいけど、
なるほど、いまは戦争(せんそう)で苦(くる)しんでいるようだけど、かつての破滅(はめつ)の危機(きき)は脱(だっ)しているように見える。
そうすると、日本にもまだ復活(ふっかつ)の目(め)があるのかな?(笑)
でも、この先(さき)、楽(たの)しいことはあまりなさそうだし、わたしはもう70歳まで生(い)きさせてもらったし、ということで、いつ〇んでもいいかな~、
という気持(きも)ちに時々(ときどき)なることがある。
あまりこの世(よ)に未練(みれん)はない。
未練を抱(いだ)かせない今の日本は、老人(ろうじん)にとって案外(あんがい)いい国なのかも。(笑)
しかし、このあいだ、仏教関係(ぶっきょうかんけい)の本(ほん)を読(よ9んでいるとき、人間の苦(くる)しみについて書(か)かれていた文章(ぶんしょう)に、
生(い)きて〇ぬ苦(くる)しみ、〇んで(また?)生きる苦しみ、
という一節(いっせつ)があって、とてもいやな気分(きぶん)になった。
生きて〇ぬ苦しみ、というのはいま現在(げんざい)のわたしが置(お)かれている状況(じょうきょう)で、これは仕方(しかた)ない、というか未練(みれん)、欲望(よくぼう)が薄(うす)くなってしまえば、〇はそう恐(おそ)れるものではない。
しかし・・・・、
〇んで生きる苦しみ?
これはちょっとたまらない。
〇んだら、それっきりにしてほしい。(^^;)
まあ、そんな輪廻転生(りんねてんせい)などという非科学的(ひかがくてき)なものはないだろう、
と思っていたら、どうも最近(さいきん)は科学も怪(あや)しくなっているように見える。
このあいだから読みはじめているトンデモ本?によると、
実績(じっせき)のある、ある科学者(かがくしゃ)は、
「原子(げんし)」自体(じたい)が生命(せいめい)であり、原子にも初源的(しょげんてき)な「知性(ちせい)」や「意識(いしき)」、初歩的(しょほてき)な「識別能力(しきべつのうりょく)」や「選択能力(せんたくのうりょく)」がある、と考(かんが)えていた、という。
そう考えると、
この世界(せかい)のすべてのものは、原子でできているわけだから、個体(こたい)も液体(えきたい)も気体(きたい)もすべてこの世(よ)のものは生命体(せいめいたい)だということができるのではないか?
動物(どうぶつ)や植物(しょくぶつ)など、われわれが「生命」といっているものは生命のいち形態(けいたい)にすぎない?
もし、そういう考えが当(あ)たって?いたら、だけど。
わたしも、
〇んで、ハイそれまでよ~
とはいかなくなってしまうのではないか?
いやー、この年(とし)になってこの疑問(ぎもん)はキツイ。(笑)
それにしても、科学もだんだんオカルトめいてきた。
絶対零度(ぜったいれいど)に近(ちか)い極低温(ごくていおん)にすると、光(ひかり)も自転車(じてんしゃ)くらいの速(はや)さになるとか、
ウソでしょ、と言いたいけどこれは実験(じっけん)で実証(じっしょう)されているらしい。
科学がどこまで行(い)くのはわからないけど、人間には限界(げんかい)がある。
科学が人間を幸(しあわ)せにするものではなくなっている現代(げんだい)世界(せかい)を見ていると、たぶん人間は滅(ほろ)びるのだろうな、と思う。
ま、その前(まえ)にわたしはこの世からおさらばしているわけで。(^^;)
・・・・・、
なんだかヘンな方向(ほうこう)に行っているなァ。(笑)
不調(ふちょう)、不調。(笑)
とにかく、気持ちの整理(せいり)がつかなくなったので、いましばらくは〇にたくない。(笑)
クルマがメンテナンスをしっかりしていれば長持(ながも)ちするように、
人間の身体(からだ)もメンテナンスが必要(ひつよう)。\(^0^)/