本当(ほんとう)に本格的(ほんかくてき)な春(はる)が来た。
日差(ひざ)しの強(つよ)い昼間(ひるま)は初夏(しょか)を思わせるほど。
4月に入(はい)ってすぐの晴(は)れた日に、小用(しょうよう)があって都電(とでん)で出かけた。
その日はダイヤが乱(みだ)れていたようで、遅(おく)れて来た電車はキツキツの満員(まんいん)だった。
それでも何人(なんにん)かの人(ひと)は押(お)し入(い)って?行ったのだけど、わたしは恐(おそ)れをなしてパス。
そして、そのすぐあとに来た電車はガラガラだった。(ラッキー(^^)V)
都電はいつも混(こ)んでいて、わたしは座(すわ)った記憶(きおく)がないのだけど、その日はもっとも景色(けしき)のよく見える最後部(さいこうぶ)の座席(ざせき)をとることができた。
空(す)いている都電というのはいいもので、一人用(ひとりよう)の席(せき)に座(すわ)っていると、少(すこ)しのイヤなことなど忘(わす)れるくらいに心地(ここち)よい。
(わたしは還暦(かんれき)から10年目だから、10歳児(さいじ)みたいなものなんだな。 ←カワイクない10歳児 (^皿^))
ということで、気分(きぶん)を良(よ)くして途中(とちゅう)途中で動画(どうが)を撮(と)っていた。
↑ 新庚申塚(しんこうしんづか)から庚申塚を経(へ)て巣鴨新田(すがもしんでん)への途中(とちゅう)まで。
運転手(うんてんしゅ)さんいい声(こえ)だね。
↓ こちらは学習院下(がくしゅういんした)から面影橋(おもかげばし)。
東京に住(す)みついて30年ちょっと。
ロクなことのなかった東京だけど、空(す)いた都電に揺(ゆ)られたりしていると、まあ、それほど捨(す)てたものではないのかな、という気(き)もちょっぴりはする。
ちょっぴりね。(笑)
そういえばこんな歌(うた)があったっけ。
いいカバー。
こちらが本家。
この歌がリリースされた1974年はわたしは東京ではないトコで学生(がくせい)をしていた。
別段(べつだん)、東京へのあこがれもなかったので、この歌を聞いてもフーンと思ったくらいのものだった。
それより、同(おな)じ年(とし)に出た「わたしは泣(な)いています」のりりィのハスキーボイスに痺(しび)れていた。(^^;)
東京に住(す)み着(つ)いたのは中年(ちゅうねん)になってからなのだけど、振り返って思うのは、
東京というのは罠(わな)や落(お)とし穴(あな)に満(み)ちた危険(きけん)なところだったなあ、ということ。
これまでの人生(じんせい)でわたしが痛(いた)い目(め)にあったのは大阪と東京、この二つの都市(とし)でだけ。それ以外(いがい)のところでは至(いた)って平穏(へいおん)無事(ぶじ)だった。(笑)
巨大(きょだい)都市の華(はな)やかさの裏(うら)には深(ふか)く暗(くら)い闇(やみ)があって、それが若者の夢(ゆめ)や希望(きぼう)、憧(あこが)れを食(く)いつぶしているというのが現実なのであってね、超一流(ちょういちりゅう)企業(きぎょう)の安定(あんてい)したサラリーマン生活をしている人か、正規(せいき)採用(さいよう)公務員(こうむいん)でもない限(かぎ)り闇に飲(の)み込(こ)まれる恐(おそ)れがある、
なんてのは、まあ、誰(だれ)もが知っている「常識(じょうしき)」。(笑)
それでも、東京が今も多くの人を引きつけているのはそれを超(こ)える魅力(みりょく)がこの数千万人都市にあるからだろう。
この年(とし)になって妙(みょう)に沁(し)みるこの「東京」という歌もそれを歌っているのだと思う。
この歌はYouTube動画でいくつかUPされているが、その中の一つにこんなコメントが書かれてあった。
「東京へ行っては夢(ゆめ)破(やぶ)れて故郷(こきょう)へ帰(かえ)る歌ばかりの中(なか)、この歌が出たとき東京者(とうきょうもの)の私は本当(ほんとう)に嬉(うれ)しかった。」
故郷に帰る歌ばかりではないと思うけど、
なるほど。
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この歌を作詞作曲した森田貢(もりたみつぎ)さんは去年、68歳で亡くなったとのこと。
ご冥福を祈ります。