ぐっと涼(すず)しくなった。
10月らしい気候(きこう)になっている。
今年(ことし)は9月(くがつ)らしい気候が無(な)かった。
このまま晩秋(ばんしゅう)から冬(ふゆ)へと移行(いこう)して行くのだろうか。
夜(よる)、人気(ひとけ)のない公園(こうえん)を散歩(さんぽ)する。
ブランコがあった。
年がいもなく乗ってみる。(^^;)
ゆっくり揺(ゆ)られていると、子どものころに戻(もど)ったようで、ときの間(ま)、イヤなことを忘(わす)れることができる。
でも、昼間(ひるま)ならとてもできないなァ。
とても他人(ひと)に見(み)せられる姿(すがた)ではない。(笑)
占(うらな)いでは今年(ことし)は大吉(だいきち)ということだったが、これまでのところ大凶(だいきょう)とまでは言(い)わないけど、まあ、凶(きょう)。
ツライことが連続(れんぞく)して気持(きも)ちも大(おお)きく落(お)ち込(こ)んでいる。
今(いま)も、ちょっと身動(みうご)きのとれない状態(じょうたい)だ。
でも、つらいのはわたしだけではないだろう。
とくに、昨今(さっこん)は政治(せいじ)がよくないので、苦(くる)しい思(おも)いをしている人が多(おお)いのではないだろうか。
街(まち)を歩(ある)いていても、そのことを強(つよ)く感(かん)じる。
だから、夜(よる)の散歩(さんぽ)がいい。
夜の道(みち)、夜の公園(こうえん)には非日常的(ひにちじょうてき)な楽(たの)しさがある。
そして何(なに)よりやさしさがある。
年(とし)を取(と)っても、まだ何(なに)か小(ちい)さな希望(きぼう)、小さな幸(しあわ)せはあるような気持(きもち)にさせてくれる。
歩(ある)いていて、これほどリラックスできることはないだろう。
そして、夜の空(そら)もなかなか味(あじ)わい深(ぶか)いのだ。
同(おな)じ占いでは、来年(らいねん)は大凶(だいきょう)、最悪(さいあく)の年(とし)、なんて書(か)かれてあったが、大吉の今年がこれなら、大凶といっても、それほど心配(しんぱい)することはないんじゃないか、と、思えてきた。(笑)
これも、夜の散歩のリラックス効果(こうか)か。
脳(のう)みそが落(お)ち着(つ)いたのだ。(笑)
運(うん)の悪(わる)いときは、慎重(しんちょう)に、用心(ようじん)深(ぶか)く、目立(めだ)つようなことをしないで生活(せいかつ)して行(い)けばいい。
そして何(なに)より忍耐(にんたい)。
ちょっとしんどいけど、それしかない。
耐(た)えていれば、いつか不運(ふうん)、悪(わる)いことどもも過(す)ぎ去(さ)っていく。
最悪(さいあく)が永遠(えいえん)に続(つづ)くことなどないのだ。
それが、この世(よ)が地獄(じごく)ではないことの証明(しょうめい)なのだろう。
限(かぎ)りなく地獄的(じごくてき)ではあるけども。(笑)
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わたしは占(うらな)いをいを信(しん)じているわけではないが、昔(むかし)、東京の某(ぼう)駅前(えきまえ)で冷(ひ)やかし半分(はんぶん)で占ってもらったとき、“一生(いっしょう)で最(もっと)も不運(ふうん)な時期(じき)“の「予言(よげん)」めいたものがモロに当(あ)たったため、それ以来(いらい)、用心(ようじん)のために占いを「参考(さんこう)」程度(ていど)には利用(りよう)することにしている。(笑)
まァ、的中率(てきちゅうりつ)は「よく当たるもの」で30%くらいかな?
当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦(はっけ)、とはよく言ったものだと思う。
わたしの場合(ばあい)、「悪(わる)いこと」はよく当たり、「いいこと」はまず当たらない。(笑)
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(このあたりがこの世(よ)で運(うん)のある人間と運のない人間の分(わ)かれ目(め)かなァ。
若(わか)いころに自分(じぶん)には運がない、という自覚(じかく)を持(も)つことができれば、人生(じんせい)はもっといいものになっていたかも。
て、もう遅(おそ)い。(笑))