今年は電気代を節約しようと思って

なるべく扇風機だけを使うようにしようと決めたのだが、

 

この暑さでは限界。

 

扇風機を回していても、ただ風にあたっているという感じで、涼しくない。

汗は引くものの、アタマはアツイままなのでだんだん辛(ツラ)くなってくる。

 

ということで、やはりエアコン。(あ~~~。)

 

節約も簡単ではない。

 

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去る8月8日。カブトムシの死んだ夜、少し歩いたところにある公園にカブトムシを埋葬してきた。

 

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去年のカブトムシは寿命いっぱい生ききったと思えたのだが、今年のは不幸な運を背負ったまま、生ききれずに死んだという感じがして、埋葬してやっても、いまだ気持ちがすっきりしない。

 

穴の底に置いた死骸も、まともだった二本の足はすっかりしなびてしまい、背中も開いたような状態で、いかにも哀れに見えた。

 

無常、無常、ナムナムということで、 

土をかけて埋めようとしたとき、半ズボン姿だったわたしの足に何かがくっついているのに気がついた。

 

え?

手で触ると大きな豆のようなものだったので、取ってポンと放り投げた。

 

なんだ?と思って携帯のライトを当てると、なんとセミの幼虫。

 

わたしの足を木と間違えたのかよ、あほ。早くほんとうの木に登れ、と言ったのだが、セミの幼虫は立ち去らない。

(言うことがわかるはずがない。(^^;))

 

わたしの掘った穴を下へと歩いて行き、置かれたカブトムシを

「ふーん」????といった感じで見るとまた上に上がってきた。

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そして、穴から出ても穴のふちをうろうろしている。

 

奇妙な参列者だな、と思っていると、わたしがカブトムシといっしょに埋めてやろうと思って持ってきていた昆虫ゼリーを食べ始めた。

 

ああ、なるほどね。

 

そのまま穴を埋めて、昆虫ゼリーはセミの幼虫が食べるままにしておいた。

 

しかし、カブトムシの埋葬にもう一人じゃなかった、もう一匹が参列?していた?というのはちょっと不思議な感覚だったなァ。(笑)

(確かにカブトムシの死骸を見ていたような・・・。)

 

もし羽化のために地上に出てきていたのなら、

いまはあのセミの幼虫が成虫になれたかどうかが気になる。

 

セミの幼虫は三年から十数年の間地中で暮らしたあと、地上に出てきて羽化し成虫になるのだが、その羽化の成功率は50%くらいだとか。

 

気になって、昨夜、散歩のついでに公園に寄ってきた。

 

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8日の夜には聞こえなかったけど、昨夜は耳を澄ますとたしかにセミの声が聞こえた。

 

「無事羽化しましたよー」って飛んできたりして。 ← ありえない。\(^^;)

 

それに、あのセミの幼虫がメスだったら鳴くはずはない。(笑)

(遅く羽化するのはほとんどがメス。)

 

 

・・・、しかし暑い。

今夜は外に出る気もしなかったので、散歩も無し。

 

 

 

 

 

カブトムシちゃん死亡。

 


昨晩のうちに死んだようだ。

 

朝、ケースのフタを開けると、昨日と同じ場所にうずくまっていて、

元気ないな、と思ったら、死んでいた。

 

去年のカブトムシは「死」をみとってやれた

 

が、今年のは「急死」という感じ。

 

ただ、死ぬ4,5日前から昆虫マットにもぐらなくなっていたのは前のカブトムシと同じなので、やはり死は迫っていたのだろう。

 

それにしても、このカラダで、

 

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よくがんばって生きたというべきか。

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合掌。

 

ケースをベランダに持って行って、カブトムシを取り出したりと整理をしていると、なぜか二羽のカラスが近くに来て、「ガ・・ガ・・ガ」と悲しそうに鳴いた。

 

エサ(=そのカブトムシ)をくれ、というような鳴き方ではなかったなァ・・・。(笑)

 

ちょっと不思議な気持ちにさせられた。

 

去年のカブトムシが来たちょっと前に死んだ今年のカブトムシ。

去年のカブトムシがそこから9月中旬まで生きたことを考えると、早死にだろう。

 

最後のエサも食べた痕(あと)があったのは、まだまだ生きようとしていた証拠で、本人?(本虫)は少し残念だったかもしれないが、

それでもボロボロのカラダを見ると、そこまでだった、ということだろう。

 

 

ということで、去年に引き続き今年も夜にこっそりと・・・。(笑)

 

行ってくるかな。

 

 

 

 

 

月、とくに満月に近い月は

薄い雲がかかっているくらいがちょうどいい。

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満月あるいは満月に近い月がむき出しで夜空に浮かんでいるのは、不気味というかあまりいい気持がしない。

わたしが好きな月は新月から半月までで、それよりふくらんだ月はどうも・・・。

まるで半月をゼロとしてそれよりもかけた月がプラスの領域で半月からふくらむにつれてマイナスの度数が増えて行く感じ。

 

でも、満月を良くないものに感じはじめたのは中年期からで、子どものころは満月が大好きだった。

 

この感覚の変化は不思議で、

もしかしたら、月は人に人間の運命を感じさせているのかもしれない、と思うようになってきた。

新月を誕生としたら満月は死、というわけだ。

(あるいは死の直前の状態?)

 

わたしも満月に自分の寿命の残りを想(おも)う年齢になってきた、ということなのだろうか。

 

(むき出しで強い光を放っている月を見ると、月に「おまえの寿命教えたろか~。」と言われているようでイヤ。(笑))

 

それにしても、政府の発表する日本人の平均寿命は怪しいな。

少なくとも十歳は上乗せしているような気がする・・・。

 

死にかけといえばカブトムシ。

二本半の足ではそう長く生きられないだろうと考えて、外出した時はカブトムシの埋葬場所になりそうなところをそれとなく注意してさがしていた。

適当な場所が三か所ほど見つかったので、

4~5日前だったか、「もういつでも安心して死ねるよ~?」なんて声をかけつつケースのフタを開けたら、

エサ皿の上に足を丸めてひっくり返っていてぴくりとも動かない。

「あ、死んだ。」

と思ってひろいあげようとすると、

ガシッ、という感じでわたしの指にしがみついた。

「え?」

かなり強い力だったので驚いた。

 

指を振(ふ)って離れさせようとしたのだけど離れない。

仕方なく、すこし強い力でひっぺがしてケースに戻した。

 

のだけれど、

 

それがカブトムシちゃんのココロ?をいたく傷つけたのか???それからまる二日ほど昆虫マットにもぐりこんだまま姿を見せなかった。

エサもそのまま手つかず。

 

やっと機嫌を直して?出てきたとき、

「悪いことをしたね」

といって、少し大きめのリンゴの切り身と昆虫ゼリーを木の皮の上に置いてやった。(大きなエサ皿は三本足のカブトムシには危険だということがわかったので撤去。)

そのときはケースのスミにじっとしていてエサに近づこうとはしなかったのだけど、一夜あけて驚いた。

リンゴは小さな破片が3~4個のこっているだけ昆虫ゼリーも3分の2ほど平らげていた。

どうやったらこんなに食べれるんだ?

 

ともあれこのカブトムシ、カラダの損傷が大きい分注意力が増している。

エサを食べに出てこなかったのはエサ皿の上でひっくり返ったことで警戒したためかもしれない。

 

いまはエサを木の皮の上に置いてやり、周りに転倒防止の木の枝や針葉樹の小枝を置いているのだが、それでもたまにエサを破片にして、より安全な?場所に移して?食べていたりする。

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                   (もとはリンゴの切り身。)

 

意外と長生きするかもしれないなァ・・・。

 

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人間界はコロナ騒動でサエナイけれど、セミは例年以上に元気。

 

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ここはカブトムシの埋葬候補地のひとつなんだけど、(笑)

人類が滅亡してもセミはこうやって鳴き続けているのかもしれない。

 

なんてフト思った。

 

人間が滅亡しようがどうしようがセミにとって、いや地球にとってはどうでもいいことだろう。

 

なんだか、人間が存在する意味がどんどん失われて行っているように感じる今日このごろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このカブトムシ

残念だけど自然には帰せない。

 

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状態が悪すぎる。

 

まず、足がボロボロ。

 

まともなのは右側の前足と次の足(中足?)だけ。

左側の前足は一応ふつうに動くのだけど、先端部分が欠けている。

そして左側の次の足は胴体に近い部分から折れている。

 

後ろ足は左右とも「無い」?

 

とんでもない障害を負ったカブトムシだった。

 

さすがにこれはわたしが踏みつけたせいではないと思う。

 

ただ、背中がちょっと割れたみたいになっているのは、わたしのせいかも・・・、

                            (^^;)

 

       

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なにはともあれ、ずっと(死ぬまで)面倒をみなくてはならなくなったようだ。

 

こんなひどい体でどれほど生きられるかな?と思うけど、エサはよく食べる。

 

最初の方はよく転んでひっくり返っていたけど、今は要領を覚えたのか、ひっくり返る回数は減った。

だいたいエサ皿の近くにいて、あまり動き回らない。

 

たまにわたしがつまんでエサ皿から最も遠いところに置いたりすると、必死でエサ皿の近くに戻っていく。

 

生きようとする意志は強いようだ。

 

さて、いつまで生きられるかはわからないけど、生きている限りはお世話をしてあげよう、と思っている。

 

命あるかぎり生きようとするのが生きものの本性というか本質だろう。

 

天から与えられた命を全うしようとする姿勢は尊いのだ。

 

なんて考えていると、今日、リテラさんのこんな記事が。

 

 

ハア~~~~~~~、

 

なるべくしないように注意しているため息が、つい出てしまう・・・。

 

 

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しかし、リテラさんは物ごとを見る目、視点がしっかりしているなァ。

 

暗黒の一灯。

 

信頼できる数少ない媒体のひとつと言っていいだろう。

 

 

 

 

 

 



 

いま、去年に続き、

メスのカブトムシの面倒を見ている。(笑)

 

10日ほど前、ベランダに置きっぱなしにしているボロボロのスニーカーに足を入れたとき、かかとのところが下からふくらんでいるような感じで入らない。

トントンと二度ほど踏みつけるようにしてもへこまないので、おかしいなと思ってスニーカーを脱いで見てみると、カブトムシが入って?いた。

 

一瞬、踏みつぶしてしまったかなと思ったのだけど、足をもぞもぞさせている。

去年のカブトムシより一回り小さいが、背中が白く乾いていて瀕死のように見えたのは去年のものと同じ。

 

(・・・わたしの家は死にかけたメスのカブトムシの駆け込み寺か?(^^;))

 

ともあれ、昆虫マットが袋半分ほど残っていたので、それを小さなケースに敷いてカブトムシを入れてやると、すぐに昆虫マットの中に潜(もぐ)っていった。

 

今回はすぐに公園にでも放してやるつもりだったので、買ってきたのは昆虫ゼリーと木の皮だけ。

木の皮の上に昆虫ゼリーと小さく切ったバナナを置いてやる。

 

最初の数日間はわたしにまったく姿を見せなかった。

たまにエサをたべているところを見るのだが、わたしがのぞくとあわてて昆虫マットに潜(もぐ)ってしまう。

 

去年のに比べひどく警戒心が強い。

(踏みつけられているのだから当然か・・・。)

 

しかし、知人と電話で話をしていたとき、

またカブトムシの面倒を見ていることにふれて、

「いやー、わたしの姿を見るとすぐにもぐってしまって~。かわいくないんだよね~。」

 

などと話した、その少しあと、

カブトムシを入れているケースをのぞきにいくと、

ナント、木の皮の上に出ていて、わたしを見ても逃げようとしない。

 

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 ええー???(笑)

 

偶然なのだろうけど、それからはわたしを見てもすぐに昆虫マットにもぐるというようなことがなくなった。

 

まさか虫に人間の言葉がわかるはずはないと思うのだけれど、このあたりが生き物の不思議なところ?

 

いまは歩いているところなどを観察できるようになったので、自然に返すタイミングを見計らっているのだが、

どうも動きが緩慢(かんまん)というかぎこちない。

 

(踏んづけたのが悪かった?)

 

もしかしたら去年と同じようにこのまま飼うことになってしまうの・・・かな~?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日7月16日は亡き父の命日。

父方の宗旨は日蓮宗

 

前回の日記で今年は日蓮宗の総本山である身延山に行こうかと思っていると書いたのだけれど、

最近始めたウエイトトレーニングが過ぎて足首が故障。

行けなくなった。

 

ということで、ウェブ参拝に変更。

 

身延山久遠寺ライブカメラの画面に向かってお題目をあげる。

 

父の苦笑いが目に浮かぶけれど仕方ない。

 

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それでもお題目をあげるとなんだか参拝したみたいな気分になる。\(^ー^)/

 

いくら無宗教者のわたしでも父と父につながるご先祖様がいないとここに存在していないわけだから(戦国時代からずっと日蓮宗のよう)、これくらいはしないとね。

 

梅雨の晴れ間の6月17日

築地本願寺に行ってきた。

 

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わたしの父方は浄土真宗本願寺派)ではないのだけれど、母方の実家が浄土真宗で、親戚もほぼすべて浄土真宗、住んでいた町も9割がた浄土真宗のお寺の檀家という環境だったので、浄土真宗とは縁が深い。

 

わたしはその母方の実家のあった町で育ったので、いまでも「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」と「念仏和賛(ねんぶつわさん)」くらいは唱えることができる。

f:id:hibi333zakkan:20200620112032j:plain お堂?の中に入らせてもらってお香をひとつまみ。

椅子に腰かけて休んでいると、なぜかうとうと、1~2分眠ってしまったようだ。

 

目が覚めて10分ほどそのまま座っていると、だんだんと気分が晴れてきてそれまで少し朦朧(もうろう)としていた頭もしっかりしてきたので、外へ。

 

本堂入口の説明板に「築地本願寺の創建は江戸時代はじめ」とあるのを読んで、

「へー、わたしの田舎(母方の実家のあった町)のお寺は室町時代からと言ってたからそれより後なんだー」なんて思ったりして。(笑)

さびれた漁師町だけど、東京きっての大寺院より古いお寺があるなんてのはちょっとうれしい。

じつはわたしはこれまで絶対他力浄土真宗にはやや疑問を抱いていたのだけれど、年を取るにつれ、その教えに包摂されて行くのを感じるようになっている。

 

なかんづくこれまではよく理解できなかった「御文章」の「信心獲得章」。

短い文章だけれど、これまでの自分の人生を重ねると、その底知れない奥行き深さに頭を垂れざるを得ない。

 

絶対他力の神髄」というべきか。

 

そのため末尾には

「この義は 当流(とうりゅう)一途(いちず)の所談(しょだん)なるものなり。他流(たりゅう=他の宗派)の人に対してかくのごとく沙汰(さた)あるべからざるところなり。」

とある。

この教えをもって他宗派の人に対してとやかく言うな、ということなんだな。

これもひとつの「宗派」としては思い切った言葉だと思う。

 

ということで、お寺の境内を歩いて見学

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した後は、

お寺カフェ?でかき氷を食べて帰路についた。

 

うん。行ってよかった。v(^-^)v

 

 

来月の父の命日(7月16日。母の命日は6月18日)の前後くらいには父方の実家の宗教である日蓮宗の総本山である身延山に行ってこようかな。

 

以前は、1,2年に1回は車をとばして身延山に行っていたものだが、この十数年一度も行っていない。

久しぶりに行って、どんな気持ちになるのか、ちょっと楽しみだ。

 

行ってこようっと。(笑)

 

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浄土真宗では「他力門」と「聖道門」という分け方をしているが・・・。

 

わたしは若いころは「聖道門」派で、「絶対他力」の考え方には反発を感じていたのだけれど、

夜、風呂に入ってとてもぬる~いお湯に浸(つ)かってこれまでの人生を思い起こしていると、「うーーーん」。

やはり「最後」は「絶対他力」しかないのかな、とふと思ったりするようになっている。

けっきょく「宗教」「信仰」はそこに行きつくしかないのかな?と。

 

まァ、日本の仏教はどこも「他力」を否定しているところはないのだけれど。(←異論のある人いるだろうな。)

 

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 これはお坊さんが読んでいるのかな?

歎異抄」を読んだ後にこの章を読む(聞く)と格別(かくべつ)。

 

悩みも後悔も越えて、ただ南無阿弥陀仏

 

ただ、わたしは今なお無宗教の不信人者なので、・・・

うーん、ここまで業(ごう)が深いと、やはり最後は南無阿弥陀仏かなァ・・・。(笑)

 

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いまや日本からも世界からも消えてしまった「平等」という言葉がお経の中に出てくるのはうれしい。

 

「光触(こうそく)かふるものはみな

 有無(うむ)をはなるとのべたまふ

 平等覚(びょうどうかく)に帰命(きみょう)せよ」(念仏和賛)

 

「願似此功徳(がんにしくどく) 

 平等施一切(びょうどうせいっさい)

 同発菩提心(どうほつぼだいしん)

 往生安楽国(おうじょうあんらくこく)」(回向(えこう))