さる24日(10月)の夜、

ちょっと不思議な夢を見た。

 

わたしが「近藤等則」という人のマネージャーか何かをやっていて、興行で旅をしている、という夢だった。

脈絡(みゃくらく)のある夢ではなかったが、不思議なのは「近藤等則」という名前が漢字そのままで何度も夢に出てきたこと。

 

目が覚めて、

近藤等則?どこかで聞いた名前だなァ・・・、と思ってパソコンで検索してみたら、世界的なジャズトランぺッターとある。

 

なるほど、ひょっとしたら、ジャズの演奏会のポスターか何かを見て記憶していたのかもしれない、

が、

驚いたのはその近藤等則さんが今月(10月)17日に急逝していたこと。

 

とすると、24日は近藤さんの初七日ということになる。

 

いったいどんなご縁が?

 

とても不思議な気がした。

 

ただ、夢の中ではわたしは近藤等則さんを「こんどうひとのり」と呼んでいたが、実際は「こんどうとしのり」と呼ぶらしい。

その点は違っていた。

 

ともかくこれも何かの縁であることは違いないと思ったので、近藤さんの演奏のいくつかをyoutubeで見、ご冥福をお祈りした。

 

正直、その日(25日)に見た動画の演奏は少し難しく感じた。

 

すると、今日(26日)、youtubeのオススメに、この動画があった。

 

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この演奏は素晴らしい。

さすがは世界的トランぺッターというか、たしかな魂(たましい)を感じる。

 

それにしても、この演奏にたどりつくきっかけとなったあの夢はいったい何だったのだろう?

 

夢とは不思議なもの、非合理的なものといえばそれまでなのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

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こちらの動画、

近藤等則さんの「わたしが子どもだったころ

 

わたしも港町(というより漁師町だけど。。)に育ったので、とても懐かしい気持ちになりました。

 

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海、島、晴れた空に浮かぶ雲、そして塩田。

わたしの町には塩田はなかったのですが、隣の市には大規模な塩田がありました。

中学生時代はわたしもブラスバンド部。トロンボーンをやっていました。

 

母とのケンカもねえ、小学生時代はよくやりましたが、わたしの場合は母が涙を見せることなど一度もなく、“フン“という感じで一方的にボコられていましたっけ。(涙)

 

しかし、オルガンを買って、というのはさすがに無理がありますよねえ。

ウチは母が家のサイフを握っていたので、(父は母に明細書入りの給料袋をそのまま母に渡してました。)母にギターを買ってくれとねだったら、珍しくポンと出してくれて、少し驚いた記憶があります。

わたしがブラスバンド部で音楽をやっていたのが少し嬉しかったみたい。

でも、オルガンを買ってくれなんて言ったら蹴とばされていたかも。(^^;)

 

こうしてみると、少年時代の生活のベースは近藤さんと似ていますね。

もちろんわたしのほうが年下ですし、オール5なんてとったことないですし、京都大学の工学部に現役で?入れるような秀才でもなく、世界的トランぺッターでもないですが、その時代の瀬戸内海に面した町の雰囲気はよくわかります。

 

愛媛県といえば、わたしも小学校に入る少し前までの数年間、父の仕事の関係で愛媛県で暮らしていました。

 

と、なんだか次から次へと思い出が蘇(よみがえ)ってきます。

 

何なんでしょう。

こういうご縁というのもあるんですねえ。

そして、今回のことで何かを教えていただいたような気もします。

 

おそらく、第一線で活躍し、有名であるが故のご苦労も多い人生だったでしょう。

 いまはただただ、静かに両手をあわせて、近藤等則さんのご冥福をお祈りさせていただきます。