夜の散歩に出かけるのが楽しい。
晴れた日の夜空には目の悪いわたしでもくっきり見える星が二つ。
ひとつはおなじみの金星、そしてもうひとつは木星だ。
11月は木星の光が増す。
金星よりも光は弱いけれど、中天(よりやや南西?)に輝く木星を見上げているとなんだか幸せな気持ちになって来る。
木星の光はやさしい。
いま元素や素粒子について書かれた本を読んでいて、ふと思ったのだが、素粒子レベルになると星を作っている素材もわたしたち人間、生き物の体を作り上げている素材もまったく同じもの、ということになるので、なんだかまったくの他人?と思えなくなってくる。
もっとも、親しみを感じても、星は何十億年もその形を保って運動しているけど、われわれ人間は長生きしても100年ちょっと。
日本人の寿命の中央値は68歳くらいと、星に比べれば一瞬の存在でしかない。
それでも、何十億年、何百億年その形態を保とうが、星々もまた、いずれ必ず消滅する(死ぬ)。
この宇宙にあるもので永遠に同じ姿を保てるものなどないのだ。(宇宙自体も?)
そして、死ねば、あらゆる生き物も、星も元素に分解される。
(元素はさらに素粒子に?元素さえもその姿を永遠には保てない?)
・・・。
そんな浮世(うきよ)離れしたことを考えるのは、現実の世界が不条理だらけでつまらないからか?
とくにこの9年来、憲法の理想を踏みにじって、国民の生活をよそに改憲、改憲などといい続けて国民を苦しめている政治家や官僚(お役人)を見ていると、ほんとうにいや気がさしてくる。
目をそむけたくても突きつけられる現実。
人間であることをずいぶんとツラくさせてくれる政治、社会・・・。
そんなことをしばし忘れさせてくれる夜の散歩、
そして11月の夜空。
木星って、ほんとうにいいなあ。
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こちらはベランダから見た木星(左側)と金星(右側)
木星と金星がこの位置関係で見ることができるのはちょっとうれしい。
なんだか地球をしっかり見てくれているという気がする。
現実逃避でキメタ頭にはお星さまも生きているのだということが実感できるのだ。
(^^)
夜の散歩に出かけよう。
夜の公園のベンチに座(すわ)って夜空を見上げていると、イヤなことをすべて忘れることができるから。
わたしはその至福の一瞬を“木星の祝福"と名付けている。
・・・・べつにカルトではないよ。(^^;)