散(ち)ったあとの花びらに目が行くことが多かった。
桜が開花(かいか)している間は天候が不順(ふじゅん)で寒(さむ)く、雨もよく降(ふ)った。
風の強い日もあったけど、今年の桜は雨が散らした、という印象が強い。
この光景(こうけい)をみじめ、無残(むざん)と思うか、落ちた花びらにも風情(ふぜい)があると感じるか、はその人の主観の世界だろう。
今年のわたしは後者。
これはトシをとったからかな?(笑)
無常観(むじょうかん)の春。
色(いろ)は匂(にお)へど 散りぬるを 我(わ)が世(よ)誰(たれ)ぞ 常(つね)ならむ
芳香(ほうか)を放(はな)って色鮮(いろあざ)やかに咲く花も、いずれは散ってしまう、
この世の誰(だれ)が、いつまでも生きていられるというのだろう(そんな人はいない)
という「いろは歌」が身にしむ。 (いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ)
有名無名(ゆうめいむめい)はわからないけど、たしかにスゴイ人が作ったものには間違いないだろう。
空海といえば、その有力な後援者(こうえんしゃ)は嵯峨天皇(さがてんのう)で、死刑を廃止(はいし)したのがこの天皇だった。
今の日本からは考えられないが、そういうことができた時代もあったのだ。
エリートさんたちもね、こういう死刑を廃止したり空海を重用(ちょうよう)したりできるような支配者(しはいしゃ)に仕(つか)えることができれば、それなりにやりがいもあり、幸せなのではないだろうか。
今の政界(せいかい)や官界(かんかい)や経済界(けいざいかい)やマスコミ界などのエリートさんを見ていると特にそのことを強く感じる。
まあ、平気でウソがつけなければエリートにはなれない、ということはいつの時代にもあったことだろうけど、
とりわけ現代はそれが徹底(てってい)されているように思える。
ウクライナに関するメディアの報道なるものに至(いた)ってはもう。(笑)
わたしはエリートとはほど遠い人生を送ってきたわけだけど、仕事(しごと)でウソをついたり他人をダマして利益を得(え)るなんてことはやったことがないなァ。
まあ、サボったり仮病(けびょう)をつかったりということはたまにあったけど。(笑
ということで、俳人(はいじん)では小林一茶(こばやしいっさ)が好き。
一茶は非エリートに優(やさ)しいんだよね。
なかんずく好きな句がこれ
人の屑(くず) より(選り)のけ(除け)られて あら涼(すず)し
どうせオレは役に立たない無用者(むようもの)、ゴミと同じよ。一般社会から除(の)けものにされるような身の上だけど、暑苦(あつくる)しい(=夏の句)人間関係に縛(しば)られることもなく、涼しくていいじゃないか。
みたいな意味? (^^;)
この、己(おのれ)を余計者(よけいもの)としてとらえて、なお生きて行こうとする姿勢というか人生観(じんせいかん)は好きだなァ。
トシをとって役に立たなくなってくると特に。(笑)