“夏も近づく八十八夜~♪“
の“「茶摘(ちゃつ)み」の歌でよく知られている八十八夜(はちじゅうはちや)。
東京は曇(くも)り空(ぞら)から雷雨(らいう)へ、
といった鬱陶(うっとう)しい天候だったのだけれど、お茶の生産地の天気はどうだったのだろう?
イベントとか大丈夫だったのかな?
汗(あせ)ばむほど暖(あたた)かくなったと思えば急激(きゅうげき)に温度が下がったり、雨の日が多かったりと、東京は不順(ふじゅん)な天候が続いている。
天候に合(あ)わせたわけでもないだろうが、わたしもこのところ体調(たいちょう)がいまひとつ良くなくて、とくにこの数日は不調(ふちょう)がピークに達(たっ)していて、何(なに)か悪い病気にでもなったのではないか、と疑(うたが)うくらいだった。
しかし、昨日(きのう)、ふと思うところがあってスマホの電源を切って離(はな)れたところに置いていたら、
あら不思議、
いくつもの重(おも)しが積(つ)み重(かさ)なっているようなしんどさに喘(あえ)いでいた身体がスーッと軽くなって、体調が良くなった。
こんなこともあるんだなァ。
あと、このところ椅子(いす)に座(すわ)りっぱなしだったのも良くなかったよう。
若いころ、経理(けいり)の仕事で一日中椅子に座っていたとき、身体がガタガタになってしまったのを思い出した。
やはり、わたしには何をするにも根(こん)を詰(つ)めず適度(てきど)に運動して、座るのは胡坐(あぐら)、という生活がいい。
あと、スマホよりもガラケーなんだよなァ・・・。(ガラケーの復権(ふっけん)を望(のぞ)む。)
わたしは元々(もともと)がんばり屋さんタイプではないのだから、ムリをしてはいけないのだ。
(トシをとってからのムリは大きな病気や事故、突然死(とつぜんし)の原因にもなるしね。)
しばらく前から、ちょっとまとまった本を読んでいたのだが、
やーめた、っと。(笑)
目が悪くなっているから、負担(ふたん)も倍(ばい)だったし・・・。
健康(けんこう)を害(がい)するようなことをしてはいけない。
他者(たしゃ)の目を気にしすぎたり、見栄(みえ)を張ったりするのも年寄りには不要。(イヤな年寄りだな~。(笑))
人間のクズ、ゴミ、余計者(よけいもの)などと思われようとも気にしない気にしない。
ということで、体調は急速に回復しつつある。(笑)
しかし、だからといって、他者の状態に無関心であってはいけないだろう。
困ったり、苦しんでいたり、助けを必要としている人がいれば、自分としては最大限の配慮をはらってそういう人たちをさらに苦しめたり悩ませたりしないようにしたいし、もし自分のできる範囲でそういう人たちのお役に立てることがあれば、できることはやりたい、と思っている。
(・・・、今のわたしの状態では助けられることのほうがはるかに多いのだけれど。)
どんな状態になっても、他者への理解(りかい)、想像力(そうぞうりょく)だけは失(うしな)いたくないものだ。
(エゴイストとして〇ぬのはイヤ。せめても内面だけは。)
それで思い出したけど、5月2日は、2014年にウクライナでオデッサの虐殺(ぎゃくさつ)といわれる事件があった日でもある。
その内容はオリバーストーン監督のドキュメンタリ―映画「ウクライナオンファイヤー」で見ることができる。
日本のマスメディアはアメリカ・ウクライナ政権側に立って、ロシアやウクライナの政権反対派(せいけんはんたいは)を攻撃しているが、そのことによって多くの人たちを苦しめたり傷つけたり、あるいは死に追いやっていることを自覚(じかく)すべきだろう。
人間のケンカもそうだが、戦争や紛争というのは片方(かたほう)が一方的(いっぽうてき)に悪い、ということはない。
メディアの役割というのは客観的な事実を報道することによって、紛争、戦争の解決に道筋(みちすじ)をつけることに役立つことではないかと思うのだけど、いまの日本のメディアの報道を見ていると、プロパガンダによってさらに戦争を煽(あお)るものになっているようで、絶望的な気持ちにさせられる。
今日(5月2日)のテレビも、オデッサでの事件などはアタマの片隅(かたすみ)にもないように、相変わらずの番組作り(戦争を煽るプロパガンダ)をやっていた。
ウクライナ国民のことを考えれば一刻(いっこく)も早い停戦(ていせん)、
現実をふまえた妥協(だきょう)による平和と安定の確立(かくりつ)しかないだろうに。
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