巡(めぐ)って、また六月。

(近所にある)大きな柳(やなぎ)の木の下で風に吹かれていると、この上なく心地(ここち)がいい。

      

 

そこから、曇った空に薄(うす)く灰色(はいいろ)に光る太陽を見ていると、まるでこの世ではないかのよう。(笑)

 

あー、なんという癒(いや)し。

 

幽霊が柳の木の下を好む気持ち?がわかるような気がする。(笑)

 

人がいたら、わたしも幽霊に見えたかもしれないが、人通(ひとどお)りはなく、まだ明るい午後(ごご)だったので、誰も不気味(ぶきみ)がらせることはなかった。(^^;)

 

それにしても不思議な気分。

 

しばらくいい気持ちでいたら、

だんだんと肩が重くなってきた。

 

あわてて木の下から出ると、スッと軽くなった。

 

まるで、

“生きた人間よ、もういいだろう“

と幽霊さんか柳の木から言われたよう。

 

まさかね。

 

しかし、今年の春先(はるさき)の夜、芽吹(めぶ)く前のこの柳の木をスマホで写したらこんな写真が撮れた。

       

 

おわかりいただけただろうか、・・・・・・・・・・・(笑)

 

木がぼんやりと大きなオーブらしきものに包(つつ)まれているのが。

もちろん近くに照明らしきものはない。

そして、この柳の木があるのは、以前しきりにオーブが撮影された道の延長線上(えんちょうせんじょう)なのだ。

 

と、やや夏向きにしてみたのだけど、このところ雨が降っては気温が下がるといった梅雨寒(つゆざむ)のような天気が続いているので、ぱっとしない。

 

ぱっとしないといえば、最近のわたしもそうで、どうも気持ちの整理がつかない、というか、へんにじたばたしている。

ちょっとした精神の危機なのだ。

 

それは、トシを食(く)って年々(ねんねん)身体(からだ)の自由がきかなくなっていくことが納得(なっとく)できないということ。

身体は年相応(としそうおう)に衰(おとろ)えているのに気持ちは30歳代、40歳代のまま。

それで混乱(こんらん)し、悩み、救(すく)いようのない気分になってのたうち回(まわ)る。

といった状態。

 

 

困(こま)ったものだ。

 

去年の六月は入院して手術、ということで、肉体的には苦しんだが、精神的には観念(かんねん)していたので気持ちは整理され、余計(よけい)な悩みはなかった。

そのためあらゆることが素直(すなお)に受け入れられ、周囲の人たちにも感謝の念(ねん)しかなかった。

 

それが今年は・・・。(笑)

 

「老い」に関する本もいくつか読んだけど、やはり解決のつかない問題だ。

 

・・・、あー、今日も煮詰(につ)まった。

深夜(しんや)だけど、雨も上がったし、散歩に出てあの柳の木の下で風に吹かれようか。

間違って誰か通りかかったりしたらヤバイけど。(笑)

 

(そのうち、あの柳の下には幽霊が出る、という噂(うわさ)が囁(ささや)かれ始めるかもしれない・・・。)

 

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『 少年(しょうねん)老(お)いやすく 学(がく)成(な)り難(がた)し。』 

 

若者(わかもの)よ、何事(なにごと)も先(さき)延(の)ばしにしてはいけないよ。