子どもの頃(ころ)は

正月(しょうがつ)の三(さん)が日(にち)が長(なが)く感(かん)じられて、

正月は三日(みっか)もあるからいいいな~

 

なんて思っていたけど、

 

今は、あっという間(ま)。

三日が一日(いちにち)くらいの感覚になっている。

 

そして、三日が過(す)ぎれば、

あれ?

もう七草(ななくさ)がゆの1月7日。

 

年(とし)が明(あ)けてここまでは穏(おだ)やかな天気(てんき)が続いていて、それはいいのだけど、こうも日(ひ)が過ぎるのが早いと、

こりゃあ、あっという間(ま)に“”お迎(むか)えがきちゃうなァ、と心細(こころぼそ)くなってくる。

 

買い物で外に出ると、自治会(じじかい)の掲示板(けいじばん)に、また新(あたら)しく「ご逝去(せいきょ)のお知(し)らせ」が貼(は)られていた。

 

きょねんのお盆(ぼん)前(まえ)くらいから気になってこの「訃報(ふほう)」を数(かぞ)えているのだけど、これで10枚(まい)目(め)?・・・!

このご近所(きんじょ)、というか自治会内(じじかいない)だけで?

 

いくらなんでも〇に過(す)ぎでしょう。(涙)

 

亡(な)くなっているのは80歳以上か80歳に近(ちか)いお年(とし)寄(よ)りばかりなので、

まあ、仕方(しかた)ないといえば仕方ないのかもしれないけど・・・。

なかにはわたしと同年齢(どうねんれい)の人も。

 

そんな訃報を見ていると、

「一生懸命(いっしょうけんめい)なんとか生(い)きてきて、ここでお亡くなりになったんだねえ」と、

しみじみとした気持(きも)ちになる。

 

それでも、まだ生きているわたしの目の前(まえ)に広(ひろ)がるのは「生(せい)」の世界(せかい)。

 

正月(しょうがつ)明(あ)けの穏(おだ)やかな景色(けしき)だ。

 

ドウダンツツジの葉(は)は散(ち)る間際(まぎわ)まで赤(あか)いまま。
そして次(つぎ)の緑(みどり)の葉(は)へと繋(つな)いで行く?

(わたしは落(お)ちたらそれっきり~。(^^;))

ささやかだけど、立派(りっぱ)な姿(すがた)だなァ。

 

モチノキが赤い実をつけている。

これは鳥(とり)たちの有難(ありがた)いエサ。

 

赤い実を見ると、どうしてもこの童謡(どうよう)を思い出す。

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でも、これまで一度(いちど)も赤い色(いろ)をした鳥は見たことがないんだよなァ・・・。(笑)

 

桜(さくら)がもう芽(め)をつけている。

 

ホームセンターで炭(すみ)を買う。

電気代(でんきだい)節約(せつやく)のためにネットで中古(ちゅうこ)の小さい火鉢(ひばち)を買ったのだけど、果(は)たして節約になるかどうか?

格安(かくやす)の炭?3㎏398円。

 

帰(かえ)ってベランダで見たこの雲(くも)。

なんとなく、ほっこりする。(^^)

 

でも、ベランダで気になるのは朝(あさ)からあるこの糞(ふん)。

乾(かわ)かして片付(かたづ)けようとそのままにしているのだけど、

鳥の血便(けつべん)?

 

こんな黒(くろ)くて大きめな(1cm~1.5cm)糞(ふん)をする鳥なんているのかな?と思って調(しら)べてみたら、

どうやらイエコウモリ※

 ?       のフンのよう。

 

黒くて崩(くず)れやすそうな糞という特徴(とくちょう)は合(あ)っているけど、

糞の周(まわ)りのシミはどうなんだろう?

鳥も消化器官(しょうかきかん)の病気(びょうき)などで血便を出すことがあるらしいから、このコウモリも病気なのかもしれない。

(コウモリは哺乳類(ほにゅうるい)だけど・・・、まあ似(に)たようなものということで。(^^;))

 

生きている限(かぎ)り、動物(どうぶつ)も虫(むし)も病気やケガ、飢(う)え、環境(かんきょう)の変化、そして天敵(てんてき)などの災厄(さいやく)に苦(くる)しめられ、命も奪(うば)われる恐(おそ)れがある。

人間も同様(どうよう)なのだけど、人間には金銭(きんせん)の問題や大量破壊兵器(たいりょうはかいへいき)を使(つか)った戦争(せんそう)など、さらに複雑(ふくざつ)なものが加(くわ)わって来る。

 

生きるということはほんとうにタイヘンなことなんだよなあ。

 

それでも、わたしがこれまで生きてこれたのは多くの人の支(ささ)え、助(たす)けがあったから。

人間は互(たが)いに助け合うことで個人(こじん)の長寿(ちょうじゅ)と社会(しゃかい)の繁栄(はんえい)を実現(じつげん)してきたわけで、わたしがこうやって綺麗(きれい)な風景(ふうけい)を楽(たの)しむことができるのも、他者のおかげ、人間のおかげだ。

 

そのことを忘(わす)れず、他者(たしゃ)への感謝(かんしゃ)の気持ちを持って、1年を過ごして行きたい。

 

人間、エゴイズムに陥(おちい)ることなく、己(おのれ)を空(むな)しくしていれば、死(し)も怖(こわ)いものではなくなる。

 

「執着(しゅうちゃく)」を脱(だっ)することの大切(たいせつ)さが、やっと解(わか)りかけて来た、70歳。(^^)

 

他者への感謝や無償(むしょう)の愛(あい)は「執着」ではないんだよなあ。

 

「愛は死よりも強(つよ)し。」

というのも、そういうことなのだと思う。