六月を

綺麗(きれい)な風の 吹くことよ     子規

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わたしの大好きな俳句のひとつ。

 

しかし、今のわたしは季節の風を楽しむどころではない。

 

ブログにも書いた通り、

これまで快適に使っていたパソコンが「オシャカ」になった。

パソコンが身代わりになってくれた?

 ことで、「危機」「不運」は回避されたかな?と思っていたら、

 

先週の土曜日の朝からクビが動かせなくなってしまった。

 

最初は、単なる寝違いかな?

と思っていたが、首を動かしたときの激痛が半端ではない。

これまで経験したこのない痛さ。

 

しかも、三日たってもひどくなる一方で、呼吸も深くできなくなってしまった、

ということで、

仕方なく整形外科のある病院へ。

 

だいたい、わたしは最近のお医者さんが苦手で、こういう、にっちもさっちもいかなくなってしまった時以外は病院に行かないのだが、

今回のお医者さんは、昔ふうの、わたしが若いころにお医者さんに抱いていたイメージに近いお医者さんで、しっかり対応してくれたので、助かった。

(どうやらわたしよりは4~5歳年長のよう。こういうお医者さんが頑張ってくれているのは助かる。)

 

レントゲンを撮って、薬を出してもらったが、その薬はよく効いた。

見立てが的確だということだろう。

 

昨日は紹介された検査病院でMRI検査。

こちらも、非常に親切で、撮られた画像を懇切丁寧に説明してくれた。

 

しかし、わたしの首の骨(頸椎)、けっこうイカレテ来ているなあ(笑)

レントゲンの段階で指摘されたとおり、頚骨の下の二つの骨が圧縮?されていて、出ているはずの神経が出ていない?

って?

 

わたしの聞き取りが正確かどうかはわからないが、もし、神経が2本?ほどやられていたのなら、

 

なるほど、

それが、わたしが時々、「無神経だ」といわれる原因だったのか?

なんて一瞬思ったりしたが、それはたぶん違うだろう。        (←おバカ)

 

ともあれ、しばらくそちらの病院に通わせてもらおうと思っている。

 

(どうやら生協系(医療生協?)の病院のよう。わたしのように「利潤第一」のものに不信感を抱くタイプの人間には、こちらのほうが合っているかもしれない。

これからも、「困った」ときは、「医療生協」系のお医者さんを捜すようにしよう。)

 

 

だいぶ気分もよくなったので、夜、TBSのnews23を見る。

(クビがひどく痛んでいる間は、テレビもラジオも「たまらな」かった。)

 

女性キャスターさん、頑張っているね。

 

でも、安倍首相の「報道」には気をつけたほうがいい。

 

安倍首相に関して、少しでもまともに取り上げようとすれば、たいへんなリスク、危険を冒すことになるからだ。

 

安倍首相自身が「大きな」人でないこともあるが、なにより「危険」なのは、その取り巻きだ。

 

わたしは、安倍政権の「構造」は大きな「暴力団」のようなもの、と考えている。

 

安倍首相を「親分」として担ぎ上げている「暴力団

 

もしその「親分」が批判されたり、悪口を言われているなんて思われたら、

「若いもの(子分)が黙っちゃいない」

という、“構造だ。

 

論理も倫理も道理もありゃしない。

 

それが今のニッポン。

 

なにより、彼と我の力(権力)の差は絶望的に大きい。

 

そしてもうひとつ、「野党」の問題。

昔、社会党が曲がりなりにも、自民党の二分の一の議席を持ち、しっかり自民党と対峙できていた時とは、時代が違う、ということだ。

 

いまの権力から理不尽な「ツブシ」を受けても、いまの野党は守れない、というか、「守らない」。

これは、小沢ー鳩山体制が崩れてからの旧民主党を見ていてもわかることだろう。

 

さすがに共産党はしっかりと(まともな)野党としての立場を堅持しているけど、いかんせん、かつての社会党と比べ、その数が少なすぎる。

そういう意味で頼りにならない。(ごめんなさい。)

 

・・・だからこそ、まともな報道番組が必要とされるのだけど、いまのニッポン、「まともであろう」とすれば「やられて」しまう。

 

ともあれ、「心」があり、「誠意」も感じられる、わたしのようなうるさいおじさんが見てもストレスの少ない貴重な番組となっているので、

「直球」もいいけど、「変化球」も多彩に投げ分けて、暴力団員、もとい、安倍政権周辺の人や政権に上げ足を取られないように、したたかに番組を継続させていってもらいたいものだ、と思っている。

 

あと、番組キャスターに過重な負担がかからないように、スタッフの人たちも工夫が必要になってくるんじゃないかな?

 

ともあれ、いまの日本の支配体制は、ひとつの暴力団による「完全支配」に近いもの、という認識が必要だろう。

 

見えているものより。隠れているもののほうが「危険」なのだ。

 

 

・・・いてて。

また首の痛みが出てきた。

薬を飲んで眠ろう・・・

 

それにしても、苦しい病床にあってあんな句のよめる正岡子規というのは、すごい、というか、やはり偉大だなァ・・・

 

(今日のNEWS23での石川真生さんの「写真」特集。

あれは、石川真生さんがどういう人か、その生きざまを知らなければ、よく理解できないんじゃないか、と思う。

まず伝えるべきは、がんとも闘いながら写真を撮り続ける石川真生さんのことではなかったか?

悲しいかな、いま石川真生さんのことを知る(沖縄以外の)人は1%くらいではないだろうか?)

 

 

 

 

 

 



 

「この頃、やたらと昔のことが思い出されて」

と、

長年お付き合いをいただいている知人女性に話すと、

 

「そろそろ死ぬんじゃない?」

 

「げ」

 

その女性、カンが鋭くて、言うことがよくあたるんだよなあ・・・(コワイ)

 

でも、わたしがいま「確実に死ぬ」?ような病気を抱えているわけでもなく、彼女も冗談で言っているようだったので、

 

「いや、たしかに目や耳はダメになってきているようだけど、ガンとかそういう病気はないみたいだよ。

わたしは死ぬより前にアタマがダメになるんじゃないかと思うんだ。」

 

というと、

 

「あ、なるほど・・・」

 

「・・・・・・」

 

 

という話は、閑話休題(さておいて)(^^;)

 

どうも

「昔の思い出」が次々と蘇(よみがえ)ってきて止まらない。

 

・・・・・・・ 

わたしは、大学に5年間行ったのだが、(つまり1留)

その前年に学費値上げ問題があり、サークルや自治会などの仲間と、学費値上げ阻止闘争をかなり激しくやってなんとか成功(阻止)し、

5年生(?)の時は、少数の後輩を残して、そういった活動からも「引退」していた。

 

大学には週に1日だけ行けばよかったので、思う存分アルバイトができた。

 

このときはアルバイト先の勤務条件(収入)にも人間関係にも恵まれ、リッチ~♪というか、一生のうちで最も幸福だったんじゃないか?という生活を送らせてもらったのだが、

 

遊んでばかりでも気が引けるので、

シナリオライター養成」の通信講座を受けることにした。

 

たしか半年くらいの期間だったと記憶しているのだが、教程?の最後に、「自分が映画にしたいと思っているストーリーを書け」というのがあって、

それなりにアタマをひねって、原稿用紙20枚くらいのものを書いて提出した。

 

他の人に自分が書いたそういうものを読んでもらうのは初めてだったので、

「どんなかなー」

と思っていると、

 

しばらくして、講師の映画評論家の人から、市販のものではない?升目が大きめの原稿用紙に書かれた講評が送られてきた。

 

原稿用紙何枚だったかは忘れたが、かなり長く詳細かつ丁寧なもので、

 

内容は、

「批判」的なことはまったく書かれていなくて、「肯定」というか、かなり高く評価してくれていて、わたしが「意外」と感じるくらいのものだった。

 

ただ、「映画化」は難しい、とのことで、その理由は

アメリカの映画にこれとそっくりのストーリーのものがある」

とのことだった。

 

そのアメリカ映画は「アメリカの悲劇」というものだったのだが、わたしはその映画を見たことがない、というか存在自体を知らなかったので、

「ふーん」

という程度で受け取った。

 

「悲劇か・・・たしかに暗い内容だったものナ」

 

と、ほめて?はもらったものの、自分が書いた内容に少し気恥ずかしいものを感じた。

暗い想念、というか、あまりにも暗い「妄想」に引きずられていた、と思ったのだ。

 

「映画はやはり他者を楽しませるものでなくてはなァ。

よく考えたら、こんな暗い内容の映画、わたしも見に行かないな。

やっぱり才能無いワ。」

 

 ということで、わたしの「創作」指向はそれで終わり、

大学卒業後は、そんなものとは無縁なサラリーマン、社会人生活に突入することになる。

(サラリーマンになった当初の「人生オワタ」感はけっこうなものだったなあ・・・)

 

 ところで、

アメリカの悲劇」という映画はyoutubeでもUPされてなくて、いまだに見ることができないでいるのだが、※

 

その映画評論家さんが「講評」のなかで、

アメリカと日本でこれほど似た内容のものが出てくるとは」

と、「驚いた」ように書いていたことも思い出した。

 

 

これで、ふと頭に浮かんだのが、

このあいだ起きた、名門私立小学校(カリタス学園)児童保護者殺傷事件

と、

米国バージニア州で起きた銃乱射事件(12人死亡)。

 

日本の事件は、犯人が行けなかった?名門小学校が狙われ、

(犯人は公立小学校で嫌われ、いじめられていたらしい)

 

米国の銃乱射では、犯人をクビにした市役所がターゲットになった(犠牲者のうち11人が市役所職員)。

 

このアメリカの事件と日本の事件を関連づけて考える人はあまりなかったようだが、

 

ネットの書き込みに

アメリカは銃、日本は包丁」

というのがあって、

これが、今回のふたつの事件に関する書き込みで、最もわたしの心を捕らえた。

 

今回の日本の事件もアメリカの事件も、その底流に流れるものは同じではないか?

 

アメリカで銃の乱射事件が起きるたびに、日本のマスメディアは「銃」の所持が認められていることが悪い、との論調一辺倒で、「銃」さえ持てなくさせれば、それで「アメリカの悲劇」はなくなる、と言わんばかりなのだが、

はたして、それで大量殺人事件、無差別殺傷事件はなくなるのか?

 

それはあまりにも支配者の側の「都合」に沿った見方ではないだろうか?

 

と感じるのだ。

 

じっさい、銃規制が世界で最も厳しいこの国でも、大量殺人事件、無差別殺傷事件は起きている。

 

そういった事件が起きる要素は、日本とアメリカの社会に常に内在しているように、わたしには思われるのだが。

 

アメリカと日本に共通しているものがあって、それが「悲劇」を生んでいるのではないか?

 

といっても、マスメディアがそんな「本質的」なことに触れることはないわけで、

そのあたりにも、日本とアメリカの「絶望」の深さがある。

 

このまま行けば、日本とアメリカ、

両国の国自体が「強制収容所」体制になるしかないように思えるのだが・・・

 

・・・と、これはちょっと話が飛躍し過ぎてしまった。

 

ネットでの反応を見ると、日本とアメリカの違いはあって、

日本では「ひとりで死ね」という書き込みが多く、マスコミのアンケートでは、過半数の人がその意見に賛成しているのだとか。

 

日本人の想像力の欠如、ここに至れり、と言うべきかな?

 

アメリカではさすがに銃乱射犯人に対してそんなことを言う人は極少数派だろう。

 

(日本人には事の深刻さがまだ十分に認識されていない、ということなのかもしれない)

 

ともあれ今は、

わたしが自分でも「?」と思うほど暗い内容のストーリーを書いてしまったのにもそれなりの「理由」「原因」があったんだよなァ、

と、少しは自分を肯定する気持ちになっている。

 

アメリカの悲劇」を追いかける「日本の悲劇」?

 

しかし、日本ではそのアメリカの悲劇は理解されていないようだ。(「日本の悲劇」も)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※それでもDVDは発売されていたようで、それを見た人の感想と評価をネットで見ることができたが、

いずれも、

「最悪の映画」「ほとんど理解できない」

ということだった。(^^;)

 

まあ、古い映画だから意識のズレもあるのだと思う。

(当時(1931年!?)のアメリカではある程度の反響があったようだけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で5月も終わり。

梅雨入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

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(・・・ というところまで昨日は打ち込んで、眠くなってそのまま眠ってしまったので(-~-)、今日はその続き・・・)

 

入梅(つゆ)入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

 

卯の花(ウツギの花)は日本の初夏を代表する花とされていたようで、それを詠んだ俳句や短歌も多い。

 

しかし、近年は色鮮やかな花々が増えていて、花が地味なウツギは存在感が薄れ、街や公園でもあまり見なくなった。

 

だいたい、最近の日本人は、「卯の花」がどんな花なのかも知らない、という人が多いんじゃないだろうか?

 

f:id:hibi333zakkan:20190601133812j:plain ← こんな花。(画像は他のサイトからの借り物です)

 

現代人が卯の花と聞いて、真っ先にアタマに浮べるのは童謡「夏は来(き)ぬ」だろう。

 

卯の花の 匂う垣根に   時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

 

忍音(しのびね)もらす   夏は来ぬ♪

             (作詞 佐佐木信綱

 

とまあ、わたしも5月が来ると、必ず思い出す歌なのだが、こうして歌詩を書いてみると、わからないものが出てくる。

 

「忍(び)音」?シノビネ?   ナニそれ?

 

ネットで調べると、

「その年はじめて聞くホトトギスの鳴き声」。

 

 もともとは、「ひそひそ声」「小声」のことなのだとか。

 

うーん。ホトトギスの声ってこんなんらしいけど

[http://:title]

この国では、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」とか「テッペンカケタカ」と聞こえる、なんていわれている鳴き声で、

「忍び音」と表現されるような優雅なものであるかどうか?

 

ホトトギスカッコウの仲間で、鶯(ウグイス)に託卵(たくらん)する、ちょっと(ウグイスにとってはとんでもない)悪い奴でもあるし。

 

ま、どう感じるかは、あなたしだい(笑)。

 

ちなみに、作詞の佐佐木信綱さんは明治5年生まれ、戦前の帝国ニッポンの短歌と古典の「権威」で「正三位文学博士」「文化勲章受章者」という人。

 

作曲の小山作之助さんは文久3年(江戸時代)生まれで昭和2年に亡くなっている。

この歌のほかにも「敵は幾万」など、多くの軍歌を作曲し、作曲者不明と言われる童謡のいくつかも作曲したのではないか?と考えられているそう。

 

で、この「夏はきぬ」が作られたのは明治29年。

 

前年明治28年に日清戦争終結し、「次の」日露戦争(明治37年~明治38年)に向けて「軍国主義」が高揚していった時代だ。

 

そういう時代を「いい時代」ととらえるか、「悪い時代」ととらえるかも

「あなたしだい」だが、

(まあ、そう単純じゃないと思うんだけどね(笑))

 

こういう歌を聞くと

「いい時代だった」

と思う人も多いのではないだろうか?

 

たしかに、この歌は「美しいニッポン」を思わせ、かなりいい気持ちになる。

 

しかし、当時の日本のリアルな現実は、そんなにのんびりしみじみしたものではなかっただろう。

 

この頃の日本は富国強兵のスローガンの下に軍備が増強され産業が発展していく反面、財閥に富が集中し、貧富の差が絶望的に拡大、多くの民衆は悲惨な生活を強いられていた。

自殺者の割合は間違いなく世界のトップだっただろう。

徴兵制もあった。

 

この「夏は来ぬ」の歌詩も、

リアルな現実を歌ったものというより、豊かな古典と短歌の教養をもとに作られた観念的なもの、とわたしには思われる。(それだけに完成度が高い?)

 

ホトトギス卯の花も昔からよく歌に詠われる題材だ。

 

ホトトギスは40近くの漢字が当てられていることでも有名。日本では不如帰、子規あたりがよく知られている?。

 

ホトトギスでは江戸時代中期の俳人、山口素堂の

“目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)”

も、よく知られているが、

痛風で)もうカツオを食べることのできないわたしには毒な句となっている(笑)

 

食べたいけど、絶対に食べないぞー!(悲))

 

あと、この明治29年には東日本大震災の前例となる「明治三陸津波」も起きていて2万人を越える犠牲者が出ている。

 

この「前例」を「前例」とできずに、東日本大震災では死者1万5897人、不明者2533人の犠牲者を出している。こちらも約2万人だ。

 

いったいこの国の政府、支配層は何をしていたのだ、と思う。

 

そしてさらに、改憲軍国主義の復活?再び海外派兵?

 

貧富の差もやはり絶望的なレベルまで拡大していて、社会保障、福祉、年金も大幅後退。消滅もささやかれる。

 

そんな「改憲」を推し進める支配層が美化しているのが明治時代。

 

たしかに明治時代に作られた「童謡」は美しい、というか、われわれ日本語を母国語としている者の胸に染入る。

われわれの精神のある部分を作り上げているといっていいかもしれない。

 

しかし、民衆が貧困、生活苦、戦争苦(戦死、傷害)、災害にあえいでいたリアルな明治時代と、童謡を通じて幻想する美しい明治時代はしっかりと区別をつけておく必要があるだろう。

 

日本人は(支配層によって与えられた)妄想に支配されやすい民族だと思うので、とくにこの点は気をつけていたいものだと思う。

 

でも、音楽は音楽として十分に楽しもう。童謡に罪はないのだから。

危ないのはそれを利用して妄想に引き込もうとする人たち。\(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。

渡り鳥であるホトトギスの第一声として自分に聞こえる鳴き声のことね・・・

 

といちおう納得はしたものの、

ナンデそれを「忍び音」というのかはちょっとわからない。

 

 

 

 

 

 

 





 

おとといは日暮里の知人宅を訪ねたあと

立ち食いの「六文そば」へ

f:id:hibi333zakkan:20190530011753j:plain わたしは日暮里に来たときは必ずといっていいほど、この店に立ち寄る。

 

お目当ては、これ

f:id:hibi333zakkan:20190530012111j:plain 「五目かき揚げそば」300円。

‘脅威’の「安さ」といっていいだろう。

 

しかも、

これほど安いと、味のほうは犠牲にされて、「マズイ」というのが相場だが、

 

天ぷらは桜海老イカ、野菜などがしっかり入り、スープ(おつゆ)ともマッチしていて、ちょっとクセになるほどのものなのだ。

 

消費税8%、政府による物価値上げ路線下でこの値段と内容を維持しているのは、

 

「庶民栄誉賞」? ものではないだろうか?

 

消費者密着の中小、個人商店さんはほんとうにがんばっている。

 

それでも、消費税が10%に上げられれば、もうこの値段は維持できないだろう。

 

わたしは、この「五目かき揚げそば」を守るためだけでも、消費税増税反対のデモに参加する意味があると思っている(笑)。

 

庶民のために必死の努力で利便をはかってくれている商店(あるいは企業)を助ける、守るためにも、消費税は「廃止」すべき。

 

山本太郎さん、共産党さん、社民党さん、頑張って~~~。

 

ということで(笑)。

わたしも護憲と消費税廃止のために、頭数(あたまかず)の一人となって(できる範囲で)がんばる。

 

 

 

今日はやむを得ない?用事で渋谷に。

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じつは、わたしは渋谷が苦手。

 

東京に来た最初からそう。

 

駅も苦手だし、街も。

歩いているだけでヒドく疲れる。

 

理由はわからない。

 

渋谷といえばNHKがあるから、街(まち)じたいが排他的かつ「ウソつき」に見えるからかな?

(さすがにこれは(半分?)ウソ(笑)

しかし、東京きってのハイソな繁華街といいながら、植え込みや歩道はかなり荒れたりしているんだよなあ。

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こういうのは街の人々の(やや荒れた)心を反映しているんじゃないだろうか?

左端、目立つところはキレイにしているけど、少し坂を下るとねえ・・・。

右端、まだ「秋」(の紅葉の季節)ではないと思うんだけど。)

(予断と偏見、ゴメンナサイ) ← あらかじめ謝っておこう(^^;)




朝からの体調の悪さもあって、帰ったらくたくた。

 

ちょっと横になって休んだあと、

野菜ジュースと丸美屋の「とり釜めし」で夕食。

(五目釜飯がほしかったのだが、お店になかった)

食後にホットミルクとバナナ一本。

 

1日1本と決めているタバコをふかしながら、昨日起こった川崎の通り魔事件の情報をネットで検索。

 

うーん。

 

あの大教大(国立)付属池田小学校の事件と今回の名門私立小学校児童&保護者殺傷事件の類似性は多くの人が指摘していて、

わたしも、それは同感なのだが、

 

もうひとつ、相模原の障害者大量虐殺事件も、内容は180°正反対に見えるものの、「根っこ」は同じなんじゃないだろうか?・・・

 

ともあれ、この何十年間かの間、政府がろくなことをやってこなかったツケが出てきているのだろうと思う。

 

富の一極集中、格差の拡大。

 

そして、追いつめられていく、貧者、弱者、

 

さらには、(差別・選別、排除の論理の)日本政府・企業・社会から「排除」され、とことん追いつめられて行く人々。

(悪質な棄民(きみん)路線・・・)

 

団結(結託=けったく)している1%派の権力者、利権屋。

バラバラにされ、富を奪われ、互いに助け合うこともままならない99%の民衆。

 

・・・いやあ、

ほんとうに今日は疲れた。

これ以上は考えられない。(眠気)

 

アタマをからっぽにして、とりあえず、とにかく、眠ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月だというのに気温30°越え。

ついこのあいだまで「寒(さむ)~」なんて言っていたのに。

 

今年の春、「いい気候」を実感できたのは実質1ヶ月くらいかな?

 

春夏秋冬。四季ということにいちおうなっているわけだから、3ヶ月(=1年の4分の1)とは言わないまでも、2ヶ月くらいは「春」のいい気候でいてもらいたいもの。

 

昔はそうだったと思うんだけどねー?

 

春と秋が短くなって、夏の暑さと冬の寒さが長く厳しくなる。

これは、近年の人間社会に自然が「反応」しているのかも?

 

なんちゃって(笑)

 

でも、案外、そういうこともありそうな気がする今日この頃の気候と人間(日本)社会。

f:id:hibi333zakkan:20190525022938j:plainやっとアジサイの花が開きかけたばかりだというのに、エアコンを「除湿」or「冷房」にしてうちわを使っているという・・・。

 

それにしても、年を重ねるにつれ暑がりになってきたなァ。

 

子どもの頃は夏がいちばん好きな季節だったんだけど。(夏休みがあったからかも(笑))

 

暑くなる直前、数日前に、5月の「街角の花」を見ておこうと、文京区まで「遠足」?をしていたのはよかった。

もう出歩く気はしないものねえ。

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左の2つの画像は、やや暑さを感じさせるタチアオイ。右の3つの画像は「卯の花」(うのはな)?。中側のふたつの花はたぶん(ウツギ=卯の花)、いちばん右側の画像は間違いなく「卯の花」(うのはな)(笑)(※①)

 

仕事やゼニカネのことを忘れてのんびり歩くと、東京もけっこう「見るところ」があって楽しい。

普段は人間性を喪失しているように見える東京の人々も、心の奥底には花を愛する気持ちがあるんだなあ、

と思えるほど?(笑)5月の東京の街角にはいろんな種類の花が溢(あふ)れている。

 

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花屋さんの店先も賑(にぎ)やか

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今は「ヒアルロン酸」くらいでしか注目されないニワトリの鶏冠(とさか)から花名をとった鶏頭(ケイトウ)も、最近では小さく可愛いものに変わってきているよう。

 

空き地の草花(雑草?)も東京で生きようと必死で?頑張っている。

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右端なんて、まるで誰かが意図的に植えたかのように三種類の雑草が整然と並んでいる。

 

 

f:id:hibi333zakkan:20190525023009j:plain 花ではないけど、途中にあった美しい庭の禅寺。人影は無し。江戸時代そのままのような風情・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190526012137j:plain いいなあ・・・

 

この日が今年最後の春、あるいは「初夏」だったのかな?

今年は初夏がなくて、いきなり「夏」という感じだものナァ。

 

菊坂あたりへ

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蔦(つた)のからまる銭湯(この日はお休み)と、うれしくなってしまう建物の柱(笑)。

がんばりましょう\(^0^)/

 

菊坂では樋口一葉ゆかりの井戸を見たいと思っていたのだけど、見つけられず。残念。

後で調べると、路地の奥にあって、案内板も表示もない、とのこと。

 

樋口一葉が死んだ年に発表された「たけくらべ」は、伊勢物語の筒井筒(つついずつ=丸く囲った井戸)から着想を得ているそうなのだけど、

 

平安時代初期に書かれた伊勢物語では井筒で背比べをしていた幼馴染(おさななじみ)が成長して、やがて一緒になる(結婚する)という、いわば初恋が実る話になっているのが、

 

樋口一葉が書いた「たけくらべ」では、女の子が「遊女」になることを運命づけられていた、という、悲恋物語になる。

 

平安時代よりも明治時代のほうが人間にとって残酷な社会になっている、ということなんだろうなあ、

と、考えさせられてしまう。

 

伊勢物語は高校の「古典」教科書の定番で、わたしも学んだことがあるのだが、その内容はほとんど覚えてなく、ただ「文法」やらなにやら、テスト用のものとしての枝葉末節のことばかりが授業でやられていたように記憶している。

伊勢物語に限らず、古典はすべてそんな感じ。

 

まあ、日本の「古典」を「内容」中心のものにすれば、やたら「惚れたはれた?」の男女関係のものばかりなので、

 

内容に深く立ち入ることを避けて、そうなるのかもしれないが?(笑)

 

伊勢物語も、プレイボーイ(在原業平)の一代記のようなもんだし。

(筒井筒の段は在原業平は関係ない)

 

 

・・・・・最近、なんだか初恋にこだわっているなあ(笑)

 

これまで、過去は振り返らずのハードボイルド人生を送ってきたわたしなんだけど、トシをとると、やはり人並みに人生を振り返るようになってくる。

 

それではじめて、わたしはわたしの人生における初恋の影響の大きさに気づいた、というわけ。

 

単なる淡い思い出と思っていたものが・・・

 

そう、振り返ってみると、高校時代、大学時代を通じて、わたしはどんな女性にもほんとうの恋愛感情を抱くことができなかったようなのだ。

 

けっこう素晴らしい女性が回りにいたし、女性の「友人」や可愛がっていた後輩もいたし、(軽い?)おつき合いをした女性もいた。

 

しかし、どんな女性を見ても、初恋の彼女「以下」と思っていたようなのだ。

 

だから、どんな女性もでもわたしの心にぽっかり開いた穴を埋めることはできず、

お付き合いも深まることは無かった。

たぶん、わたしは周囲の女性たちからは、ずいぶんヘンな男と見られていただろうと思う。

 

わたしはなんともいえない「空しさ」に捕われていた。

(しかし、当時のわたしにはその原因がまったくわからなかった!)

 

わたしが一時過激な学生運動に走った(※②)のには、いろいろな動機があるのだけれど、まったく気がつかない潜在的かつ最大のものがそれだった!

 

と、やっとこのトシになって理解できた次第。

 

そして、この「後遺症」は30歳を過ぎるころまで続いていたようなのだ。

 

うーん、人生を振り返るというのはやはり大事なことなんだなあ

 

すべてのことに「原因」があり、その「結果」があるのだ、ということがよくわかってくる。

                f:id:hibi333zakkan:20190526041420j:plain

(複雑にからみあっているけれど・・・)

 

 

目的地の文京区立真砂図書館に到着。

f:id:hibi333zakkan:20190526024716j:plain ありゃー・・・・・・

以前来たときには、何本かの古い木があって、緑に囲まれていた公園が・・・

 

暑い日に日陰を提供してわたしを癒(いや)してくれたあの木は切られてしまった?

 

もしそうなら・・・

 

文京区いや東京、いや、日本社会は人間にも植物にもキビシイのだなあ、と改めてしみじみ・・・

 

 

図書館で本を読み、外に出ると日が暮れかかっていた。

図書館のある台地?から見る夕暮れの景色はちょっと絵画のよう。

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初夏の終わり?

 

 

 

 

▽▽▽▽▽▼▼▼▼▼▽▽▽▽▽▼▼▼▼▼

※①

わたしら、それをふつうに「卯の花」と言っているんですけど、正確には「卯の花あえ」とのこと。

卯の花」はこちら↓

 

         f:id:hibi333zakkan:20190527033442j:plain 調理前の「おから」。

その「白さ」がウツギの花=卯の花を思わせたので、「卯の花」と言われるようになったようです。

 

 なるほど。。

 

 ※②

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5月6日。ゴールデンウィーク最終日。

隣の駅までふらりと散歩。

 

若葉と花の季節。

どこの公園や、家の生垣、家先、庭にも綺麗な花が咲いている。

 

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歩いても歩いても、若葉の緑、そして花、花、花。

こういう風景を見ていると、東京は美しい、と思う。

 

しかし、 

かつて日本きっての思想家であった和辻哲郎氏は、それまで住んでいた京都に比べて、

 

「~東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やりきれない気持ちがした。」

「いったい東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。」

 

などと書いて(「京の四季」)、東京の樹木の「不愉快さ」を嘆き、京都の「緑」を懐(なつ)かしんでいる。

 

 けれど、

もうかれこれ30年近く東京に住んでいるわたしにはその感覚はわからない。

 

40年ほど前、春の季節に京都に3ヶ月ほど滞在したことがあるのだが、そのときの印象では、「緑」に関しては今の東京とあまり変わらないように思えた。

 

樹木はともかく、人々が花を美しく咲かせているということでは、東京も捨てたものではないと思うのだが?

 

f:id:hibi333zakkan:20190509174721j:plain ただ、東京で咲いている花は見た目はとても美しいのだが・・・

 

匂いというか、香り、

これが「良くない」とは感じる。

 

わたしが18歳まで住んでいた田舎で咲いていた花々とはその匂いが明らかに違う。

 

なんというか・・・東京の花の匂いを嗅(か)ぐたびに、くすんだ、というか、どこかに少し悪臭を含んだように感じるのだ。

 

和辻氏は、東京の樹木の「緑」が良くないことについて

「これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方ない」

として、

「土」が原因のように書いているが、

なるほど、

火山灰が降り積もってできた関東地方の「土」と、花崗岩が風化したものが多い関西地方の「土」の違いというものはあるのかもしれない。

 

しかし、わたしが数年間住んだ大阪の樹木、「緑」は東京と変わらず、東京よりまばらな印象で、花の匂いもそう良くなかった気がするし、

 

同じように数年間すんだ神戸市は、緑が豊かで、花の匂いも東京や大阪より少しは良かった気がするのだが、

 

やはり、わたしの田舎の緑、花の匂い、ほどではない。       

 

都会の花の匂いが悪いのは、土のせいか、空気のせいか、肥料のためなのか、

まあ、いろんな原因があるのだろう。

 

両親が亡くなってからは縁が切れたようになり、一度も訪れたことのない田舎だが、死ぬまでにはもう一度、あの緑と花の匂いを思う存分嗅ぎたい、とは思っている。

 

わたしの価値観では、花は見た目の美しさよりも、匂い、香りの良さ、なのだ。

 

ちなみに、女性も都会の美しい女性よりも、田舎(育ち)の素朴な女性のほうがいい。  ← ?  (わたしの苦(にが)い経験上(笑)) (^^;)

 

(でも、トシをとればみんな同じになっちゃうんだけど(笑))

 

 

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帰路、別の道を歩いていると、こんな光景が。

 

アイビー(つた)系の街路樹?が歩道と車道を隔てるフェンスを一部飲み込んでしまっている。

 

植物のたくましさを感じると同時に、これを許している人間の優しさが・・・

 

と思ったら、

 

f:id:hibi333zakkan:20190509175011j:plain やっぱりね・・・

日本のお役所は甘くありません。

 

 

帰宅すると、わたしの部屋のエアコンの室外機の前に野の花がひとつ。

f:id:hibi333zakkan:20190509175148j:plain いつの間に?

これまで全然気がつかなかった。

 

最初はヒメジョオンかと思ったのだけど、この季節でこの気候だとハルジオンの可能性が高い。

f:id:hibi333zakkan:20190509175125j:plain 背の高さも30cmくらいだし。

(ハルジオンはだいたい30cm前後。ヒメジョオンはそれよりやや高く50cmくらいらしい)

 

これまでそこに植物が生えているのは見たことなかったので、ポッと突然咲いた感じ。

不思議な気持ちがした。

 

気になってハルジオンの花言葉を調べると、ハルジオンだけの花言葉は無く、

ヒメジョオンなども含めた「紫苑(しおん)」系の花をひとくくりにした花言葉になるようで、

その花言葉

 

「君を忘れない」 「追想の愛」 「追憶の愛」

 

とか。

 

このところ、追想にふけることが多かったからあんな花が咲いたのかな?

 

 

夜になって、眠ろうと横になると

 

 すっかり忘れていた、あることを思い出した!

 

3月7日の日記でわたしは「初恋」について書いた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 そして3月27日の日記では、小学校3、4年次の担任だった女性教師のことに触れた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 わたしはその女教師をずっと恨んでいたのだが・・・

 

どうして、あんな大切なことを忘れていたんだろう?

 

わたしは初恋の女の子とは中学校を卒業して、それっきりだと書いたし、ずっとそう思ってきた。

 

しかし、高校を卒業していくばくもないころ、わたしは近所の同級生の女の子に、

「中学校時代のみんなが集まっているから」

といって誘われた。

 

行ってみると、7~8人の同級生が集まっていて(ほとんどが女の子だった)その中に初恋の女性がいたのだ。

 

そして、その同級生たちを集めたのは、あの小学3・4年次の担任だった女性教師だった。

そして、女性教師は彼女の隣にわたしを座らせた。

 

彼女はわたしを見て

「太っちゃって」

と、少しさみしげな様子でいった。

 

そこには中学時代より少しふっくらして女性らしくなった彼女がいた。

 

わたしは何も言えなかった。

 

すると女性教師が助け舟を出すように、

「○○子ちゃんは○○○音大に行くのよね」

 

東京の有名音大のピアノ科に行くのだそうだ。

 

わたしは東京ではないローカル?の私大文系。

 

話は弾まず、そのまま解散になって、今度はほんとうに彼女とは「それっきり」になってしまった。

 

そのとき、もしわたしが東京の大学に行っていれば、

「また、東京で会おうか」

という話になって、別の展開(1%くらいの可能性)になっていたかも、と夢想するのだが・・・(くくく・・・)

 

(じつは東京の大学も1校合格していたのだが、東京の某駅を上がっているとき、走って降りてきた30歳代くらいの女性に「ジャマ!」という感じで突き飛ばされたのがトラウマになったのと、東京の物価の高さに恐れをなして、そちらのほうを選んでいた・・・嗚呼)

 

男女関係も「運」なんだよなあ。

とつくづく、

 

このことを思い出して、眠れなくなって、起きて、コーヒーを沸かして一杯。

 

それにしても、あの女性教師。

なぜ、そんなことをしてくれたのだろう?

 

(そのことをすっかり忘れて)「恨んでいてごめんなさい」

と心の中で謝るべきか?

 

それにしても、そんな大事なことを忘れ去っていたわたしの記憶の不思議。

なぜ?なんで?

これは、どうにも理解できない・・・

 

(以前、記憶障害みたいなことがあって、MRIで脳を診断してもらったのだが、「異常なし」ということだった。

でも、やはりどこかに「欠陥」か「異常(病変)」があるのかも(怖))

 

 

みなさんも、いたずらに人を恨むようなことはしないで、よく記憶をたどったほうがいいですよ。

(しかし、5・6年次のあの男性教師への恨みはまだ残っているなァ(笑))

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、5月9日。

朝、窓を開けてあのハルジオンを見ると、

「まだ咲いてますよ」

と、挨拶をするように首をふっていた。

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 他にも何か思い出すことがあるのかな?

 

 

7日の夜から、中学一年生のとき、彼女が何かの?発表会のとき体育館で弾いたベートーベンの「悲愴」を聞いている。

 

「第一楽章」、「第二楽章」、「第三楽章」。

 

そのとき彼女がどの楽章を弾いていたかわからないし、当時のわたしは聞いていてもさっぱり理解できなかったが、

いまは、どの楽章を聞いても胸に沁みる。

 

小学校6年生のとき、ベートーベンとチャイコフスキーが大好きだと語っていた彼女。

 

案外、わたしとメンタル面では近かったのかも?

(わたしの場合大人になってからだけど)

 

ひょっとして、お互いに世間的なシアワセとはほど遠い感性の持ち主だった?

(違っていたらゴメン(笑))

 

 

 

 https://youtu.be/mIn8XSVb5l0

 

https://youtu.be/ngjCZD5KybI

 

https://youtu.be/jajZnldXWyw

 

目を閉じて聞きながら、たまに楽譜をチラ見(笑)

 

(半世紀も昔の)当時のイナカの中坊がこれをきいてもねえ・・・

(有名な第二楽章さえ(町の大人も含め)誰も知らなかったと思うよ)

 

わたしと仲の良かった(ヘアスタイルが)ベートーベン似のブラスバンド部顧問の音楽の先生も、「ホー」という感じで、ポケッと聞いていたもんなァ(笑)

 

小学生時代音楽が「2」だったわたしがブラスバンド部で、未熟にブカブカやっているのをバカにせず、優しい目で見ていてくれた彼女に改めて感謝。

 

やっぱり、彼女と出会えたのは人生の大きな財産だったなァ。

 

幸せな思い出をありがとう。

 

複雑(な気持ち)だけど(笑

 

 

 

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今は、ハルジオンの歌も結構あるんだなァ

 https://youtu.be/qq7nuVpdiZw

 

↓こちらは、わたしが18歳だったこの年に、菅原洋一さんと倍賞千恵子さんがレコードをリリースして流行った、

忘れな草をあなたに」 

 

https://youtu.be/vuueOK-XdBM

 

忘れな草とハルジオンは開花期が同じなんですね(4月~6月)。

 

 

それにしても、半世紀近い時の流れに、

 

やや呆然(ぼうぜん)。

 

ついこのあいだのことのように思えるのに、世の中も人々の意識も大きく変わっていることが実感できます。

 

ともかく、平和が続くことを祈るのみ。

 

この国と世界を平和に保つ。

これがわれわれの世代に残された最後の使命じゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


















 

昨日、日曜の朝9時前に、ふいの訪問者。

まだうとうとしていたのだけれど、あわてて起きて対応。

 

なんとNHKの訪問員さんだった。

「放送受信料の件で」

とのこと。

 

じつはわたしは二ヶ月ほど前に引越したばかり。

 

「いや、うちにはテレビの受像機がないんですよ。テレビを買う気もありませんので」

と言うと、

 

「パソコンとか携帯電話はお持ちですよね」

 

「はあ、それはありますよ」

 

「携帯にワンセグ機能がついていれば、お支払いしていただかなくてはいけませんので」

 

ゲッ、この前そんなおかしな判決があったと記憶はしていたが、もう、それを“錦(にしき)の御旗(みはた)”にそのような“強要”がやられるようになっていたのかア・・・!

 

それでも、テレビも見なければ、携帯のワンセグもほとんど見ないのに、毎月千数百円のお金を払わされるのには抵抗がある。

 

ということで・・・

 

とっくに枯れ果てて消えていたはずの、昔の性格の悪いわたしが蘇(よみがえ)ってしまった。

(あ~~~、なんてことをしてくれるんだ!)

 

以下、性格の悪さが生き返ってしまったわたし↓(^^;)訪問員さんに一方的にまくしたててしまう・・・

 

「なるほどねえ、そんな気の○った裁判官の判決があったってことは知っていますよ。だけどね、民主主義に反するそんな異常な判決にわたしは従う気はありませんからね。

 

訴訟を起こすならどうぞ起こしてください。

 

だいたい、わたしがテレビの受像機を持っていないのは、NHKがキライだからなんです。(← これは半分ウソ。すべてのテレビ局がイヤ、というのが“本当”)

 

NHKさんは会長さんも経営委員も右翼系や独占企業系の人で固まっていて、わたしのような庶民とは利益が相反する人たちです。

いまは、なかんずく庶民や弱者をいじめている政権の手先というNHKさんの本質がもろに出ています。

わたしは偽善を見抜く力だけは人一倍あるんですよ。

ネット情報などを見ましても、

いまわたしたちを守ってくれている憲法を守ろうともしていない、どころか、憲法改悪を推進しているように思えます。

たしか、いまのNHKの会長さんはもと日本会議の人でしたよね。

 

北朝鮮報道、韓国報道、中国報道も明らかに右翼偏向(うよくへんこう)していて、戦争を煽(あお)っているようだとか。

 

これは、明らかにわたしの思想信条に反します。

わたしは民主主義者であり平和主義者です。

戦争体制への協力と民衆の軽視、民衆を欺(あざむく)くようなNHKは明らかにわたしの思想信条の敵です。

 

友人に聞いたら、いまのNHKのアナウンサーさんなどもみんなネトウヨみたいなのばかりだとか。

権力を背景とした右翼的傲慢ないやらしさがにじみ出ているらしい。

 

あ、これは友人の感想ですよ。

 

だいたい、わたしはテレビ自体が現代日本社会における害毒だと思っていますのでね。

その中でもNHKはとくに危険だと思っています。

 

そのような、思想信条を異にする、嫌悪すべき存在であるNHKに強制的にお金を払わなくてはいけない、というのは、もうこれ、ファシズムです。

 

政府の広報機関だというなら、税金にすればいいではないですか。

そのほうがまだスッキリします。

 

とにかく、わたしはいまのNHKさんにお金を払う気持ちはさらさらありません。

 

裁判所が月々千数百円払えと言ったら、そのお金をわたしは民主主義を守ろうとしている市民団体か、弱者のために活動してくれている組織に寄付します。

 

したがって、たとえ裁判所の命令が出ても、わたしはそれを拒否して刑務所でも何でも入る覚悟ができていますし、強制執行されてもかまいません。殺されてもかまいません。

 

ということで、一切、いまのNHKさんにお金を払う気持ちはございませんので、煮るなり焼くなり好きにしてください。」

 

あきれて聞いていたNHKの訪問員さん。

「・・・でも、お支払いいただかなくてはいけませんので。また参ります」

ヤバイ奴に当たってしまった、という気持ちを押し隠して?帰っていったが、

 

「もう来ないでください」

というわたしの最後の言葉は耳に入れないようにしていたみたい・・・

 

また、来るんだろうなあ、しつこく(笑)

 

せっかく平穏かつ心静かに暮らそうとしているのに・・・

 

ヤクザ屋さんや警察と同じようにマスコミ、とくにNHKは“関わりになりたくない”もののひとつになってしまった、

どうも、平穏に暮らさせてくれないようだ・・・

 

平穏に暮らしたければ、カネを払えって?

しかし、それも業腹(ごうはら)・・・庶民としての、民主主義者としての敗北感持っちゃうし・・・

だいたい、100%信用していない組織?と関わるのはイヤ。名前さえ知られたくない・・・。

 

 

ということで・・・

 

でも、 

ホントわたしは性格悪いなあ、という気持ちにもなってしまって、その後、少し落ち込んだのだが・・・

 

知人の女性にそのことでメールを送ると

「そうよねえ。テレビも無いのに料金を徴収するのはおかしいわよね」

という、理解ある返事をいただいたので、気分的にやや救われる。(笑)

 

しかしわたしだけではなく、どうもいまNHKと日本国民の軋轢(あつれき)は激しくなる一方のようで・・・

 

https://youtu.be/hzjOD62oNy8

 

しかし、NHKの訪問員さんや集金人の人たちはほんとうにカワイソウだ、という気持にもなるんだなあ・・・。

 

おそらく、彼ら彼女らは「非正規雇用」。

高収入と高待遇、高い社会的地位を謳歌できる正規採用のNHK職員さんや幹部とは違う人たちだろう。

 

いまの日本の大企業、なかんずく大マスコミなどは、厳しい業務、汚(よごれ)れ役を非正規雇用の現場労働者にすべて押し付けるようになっている。

 

木でいえば土の中で養分を取り入れる「根」の役割を担っているのが非正規労働者で、その養分を吸い取って気持ちよく日のあたる場所で花を咲かせているのが正規職員、幹部といったところだろう。

 

矛盾も汚い仕事も理不尽なことも、すべて非正規労働者(あるいは下請け零細企業の現場労働者)が被(かぶ)る。

非正規労働者(あるいは下請け零細企業)とは、次々と切り捨てられる木の根っこのようなものなのだ。(生物としての木はそんな差別も非情なこともズルイこともやらないだろうけど)

 

そして、何か問題が起きても、「本体」は非正規労働者のせいにしていればいいわけだ。

 

世間も、「なるほどそういう(非エリートの)人間なら仕方ないな」と納得して、会社自体にはさほど傷はつかない。

 

日本社会はそういう構造になっている。

 

NHKもまさにそうだろう。

 

だから、わたしとしては非エリートたる現場の訪問員や集金人の人たちはあまり傷つけたくないわけで、

なるべく、NHK本体に対する対抗法を考えて行こうと思っている。

 

が、なかなか「現実」はキビシイからなア。

どうなることやら(笑)

 

ただ、NHK本体にも気の毒な面があることは認めてなくてはいけないので、

 

・・・・・・

「もう昔の(マシだった)NHKは時代遅れになってしまったんでしょう?これからのあなた方は

(いまのおいしい組織を存続させようとすれば)

民衆の敵、民衆を害する悪の組織としてしか存続しえないんですよ」

(いまのNHKはNTTになる前の、極悪組織といわれたあの旧・電電公社に似ているかも)

 

と、付け足して、今日のこの話題はオシマイにしよう(笑)。

 

 

 

夕方からは、区長選挙、区議会議員選挙の投票へ。

途中、公園のもみじの若葉やツツジの花をながめながら歩いていると嫌なことを忘れる。

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さて、誰に入れようかな?  

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どの政党の人に投票したかはナイショ(笑)

 

自分の選択で投票した後は、清々(すがすが)しい気分になる。

 

いま選挙も政党も信用を失っていて、投票率が大きく低下しているのは残念だ。

 

ファシズム化して行く日本。希望を失う民衆。

 

この先どうなるやら。

 

 

 

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4月24日は1月23日・26日の日記で触れた森田童子さんのご命日だとか。

このライブ録音を聞いて、ご冥福を祈ろう。

 

この寒くて憂鬱な冬を救ってもらいました。

 

しかし・・・この声!

https://youtu.be/wUmuOVz_HRc

 

地方のNHKスタジオでの録音だとか。

NHKさん、ありがとね(^р^)

(ほんとうにお礼を言うべきなのは、これを録音、保存してUPしてくれたy tomiokaさんみたいだけど(笑))

 

訪問員さんを困らせないよう、なるべく早くワンセグ機能のない携帯に変えておきますよ(笑)。

 

ともあれ、わたしなりの童子忌。

このライブを聞いて、静かに手を合わせよう。